第六十四話「決闘」「いない……」由莉香はまずは学校の周りを探していた。 制服で歩き回ってはいるわけだが、そもそも今は夏休みなわけなので見咎められてもあまり気にされることもない。 もっとも、今は由莉香もそのようなことは気にしていなかったが。 神住が気にかかる。止めなきゃ、という思いが焦燥とともに溢れる。 「……秋屋家の方かな……」 どうしても見当たらず、情報を求めてそちらに行っているかもしれないと思い、南東へと足を向ける。 じりじりと照りつける日差し。 それでも人の出は少なくない。プールにでも行こうというのか、袋を提げた小学生が数人連れ立ってはしゃぎながら追い越していった。 そういえば今年は行ってないな、と由莉香は不意に思い出した。 が、それはすぐに追い払う。 今はそういう類のことを考えている場合ではない。 「神住……」 「お?」 呟いたとき、不意に横合いで男の声がした。 「由莉香じゃないか」 「え?」 強烈に聞き覚えのある声に、由莉香は反射的に立ち止まって振り向いた。 そこにいたのは、昨夜初めて会った顔と、知らない顔がもうひとつ。 「竜座さん……?」 「何だか、さっそく会えたな」 北斗はにぱっと笑って歩み寄ってきた。 もう一人もそれに着いてくるが、由莉香にはうっすらとした笑みを向けているだけで特には何も言わない。 「急いでるみたいだけど、何かあったのか?」 「……友達を探してるんです。久遠神住っていって……ショートカットで、凄く背の高い女の子です」 もしかして見てはいないかと思い、由莉香は尋ねる。 日本では、180cm近い身長の女性というのは多くない。 学校にはあと一人いるが、髪型が違うので間違えられないだろう。 意識には留まり易いし、人違いの可能性もそれほど高くはない。 しかし北斗はかぶりを振った。 「いや、見てないな。急ぐのか?」 「早く見つけられるのに越したことはないと思うんですけど……」 由莉香の気は急く。 神住が雨田武士に出会ってしまう確率などごく低いであろうことは判っているのだが、気持ちはどうにもならない。 すると北斗が告げた。 「分かった。探すの協力する」 「え?」 さらりと言われたことに由莉香は戸惑う。 「竜座さんは、何かやってるんじゃないんですか……?」 「俺は昨日の奴探してるんだけど……全然手がかりないし」 あっけらかんと言って、北斗は笑った。 「それに、困ってる女の子助ける方が大事だよ」 由莉香は返事に困った。 そういえば昨夜も、男が女を助けるのは当たり前だ、というようなことを言っていたような気がする。 「ところで、見つけたらどうやって連絡すればいいんだ?」 由莉香が応えないうちに北斗が続ける。 もう手伝うことは決定事項らしい。 「それは……」 由莉香は困った。 北斗の行動は、見ようによっては厚かましく映りかねないほどのものだ。 だというのに、自然に響いて嫌な感じがしない。 それでも直接の連絡先を教えたいと思うほどではなかった。 やっぱりいいです、と断ろうかと思ったそのときだった。 「ゆりっちから離れろ!!」 後ろから神住の叫び声。 そしてこちらに駆けてくる足音。 「神住!?」 由莉香が振り返る暇もあらばこそ。 それと擦れ違うようにして、神住が北斗に浴びせ蹴りを見舞っていた。 「神住!? 竜座さん!?」 どちらにどう声をかけていいものか、混乱しながらも由莉香は名を呼ぶ。 神住の浴びせ蹴りは、バトルフィールドでも低位のランカーならそれだけで戦闘不能になってしまうほどのものだ。 しかし、実際に眼に入ったのは右腕一本で神住の脚を受け止めている北斗だった。 その場からは一切動いていない。 神住の視線と北斗の視線が一瞬だけぶつかった。 とは言っても、視線の質はまるで違う。 神住の睨みに返って来たのは、胸躍らせる腕白小僧のような眼の輝き。 北斗は結局その場から一歩も動くことなく、そのまま神住を弾き返した。 バランスを崩しながらも神住は道路に右手を突き、一挙動で立ち上がる。 そして由莉香を背にかばうようにして北斗の前に立ちはだかった。 「無事か、ゆりっち!?」 「……無事もなにも……私、別に危険な目に遭ったりしてない……」 どう見ても勘違いをしている神住に、由莉香は困ったように言う。 が、神住は譲らなかった。 「騙されるなよ、昨日危なかったんだろ?」 「いや、だから……その人、昨日助けてくれた人……」 「む……」 そう言われると神住も明確な敵意は収めたが、警戒も顕わな表情は変わらなかった。 一方、北斗は人懐こく笑う。 「凄い蹴りだったぞ。俺は竜座北斗だ。よろしく」 「……久遠神住だ」 「そうなのか、見つかってよかったな、由莉香」 神住が名乗り返すと、北斗は笑顔を由莉香に向けた。 そして、神住が聞き逃すはずもなかった。 「ちょっと待て、昨日会っただけで呼び捨てだと!?」 それは、由莉香も思っていた。 神住を探すことを優先していたので触れられなかったのだが。 しかし北斗はきょとんとした顔を見せた。 「へ? 何かまずいのか?」 その表情は到底演技などではない。 名前を知ったばかりの相手を呼び捨てることに何の疑問も抱いていないのだ。 由莉香どころか、神住まで言葉を失った。 そして北斗は二人を交互に見て、さらに続ける。 「ところで、神住も見つかったことだし、よかったら次の日曜にでもどこかに遊びに行かないか?」 神住の右拳が唸った。 狙いは北斗の顔面。 が、北斗の右腕に逸らされて頭の右側の空間を打っただけだった。 「すげえなあ……今、なんか空気裂く音が聞こえたぞ」 北斗は目を輝かせている。 神住はゆっくりと拳を引き戻した。 「ふっふっふっふっふ……」 「か、神住……?」 「ゆりっちは渡さない! 決闘だ、竜座北斗!!」 由莉香の声も聞こえず、神住は指を突きつけた。 「ここだと横槍入りそうだから、西の城山公園まで着いて来い!!」 「おお、勝負か! 燃えてきたっ!!」 北斗も心底嬉しそうに言う。 慌てたのは由莉香だ。 神住が挑む決闘なら、また殴り合いに違いない。 よりにもよって自分を賭けてなど、とんでもない。 「ちょっと、やめてよ……神住も、竜座さんも……」 「時間が勿体無いから走っていくぞ、遅れるなよ!?」 「望むところだ!!」 由莉香は、自分の言葉が既に二人の耳に入っていないことを悟った。 あまつさえ、二人は示し合わせたように駆け出してしまう。 速い速い。 あっという間に小さくなってゆく。 「ちょっと待って……!」 我に返った由莉香も後を追う。 今だけでも仕返しを失念してくれたのはよかったが、だからといってこれはこれで放っておいていいわけではない。 残されたのは、一切を傍観していたゼルディアス=ザンティオン。 相変わらずのうっすらとした笑みを浮かべたまま、呟いた。 「僕はちょっと消えて行こうかな」 街の西にある城山公園。 ここは霊脈の通り道の一つであり、そのせいかどうかは判らないが人気がない。 昼間の決闘にはうってつけだ。 3mほどの距離をおいて向かい合い、神住は北斗の出方を窺っていた。 北斗は中心線に拳を置いて、目を輝かせている。 隙はあるとも見えるしないとも見える。 侮れる相手ではないことは神住にも分かっていた。 北斗は自分自身と同程度の体格である神住の浴びせ蹴りを、その場から動きもせずに片腕で受け止めたのだ。尋常な足腰ではない。 先に仕掛けたのは北斗の方だった。 直線的な踏み込み、直線的な拳撃。 それは読み易くこそあったが、とてつもなく速かった。 そして側方へと弾いた右腕に一瞬痺れが走るほどに重い。 「やる!」 反射的に笑みが浮かぶ一方で、神住は即座に反撃を開始していた。 左足を踏み込み、弧を描きながら顎に左拳を叩き込む。 が、空を切った。 北斗がしゃがみ込んだのだ。そしていつの間にか引き戻されていた左拳が脇腹に突き立てられていた。 ずしん、と身体に衝撃が走ったような気がした。 「く……」 苦しい息を漏らしつつも神住は一旦後ろへと跳び離れるものの、北斗は即座にぴたりと追って来る。 愚直な左右のストレート。 連撃と呼ぶには間が空きすぎている。小寺官亮のものと比べればお粗末だ。 しかし、一撃の切れと重さそのものは比べものにならなかった。 いや、それだけではない。 確かに連撃としては遅いのだが、こちらが手を出そうとしたところを絶妙に潰している気もする。 思い出すのはむしろ国井義和の方。雰囲気に、どこか通じるところはある。 が、やはりそれでも、また違う。 同じ真っ直ぐな拳だというのに、北斗の方が明らかに防ぎにくかった。 そしてそれ以上に、攻撃の後が安定している。 だから、容易くは仕掛けられない。 気がつけば、いつしか防戦一方になっていた。 しかし神住は怯惰に駆られてはいなかった。 「こりゃ、ただじゃ勝たせてくれるわけないな……」 口の中だけで呟き、決める。 いかに攻撃後に隙が少ないとは言えど、欠片もないわけではない。 要はそれを大きくしてやればいい。明らかに優勢に、一気呵成に攻め立てている今だからこそ、付け入るべき場所があるはずだ。 神住は、そのとき北斗の拳を防がなかった。 胸骨を打ったその一撃に息を詰まらせながらも、腕を掴む。 「おおおおおおおっ!!」 左腕で引き寄せながら、右手は北斗のベルトを掴み、力任せに空中へと引っこ抜く。 そして地面に叩きつけた。 「これで……どうだ!!」 確かな手応えを感じつつ、神住は叫ぶ。 その、次の瞬間だった。 「これいいなあ……」 掴んでいた腕を逆に掴み返され、神住の懐で北斗が瞬時に起き上がる。 そのまま、腹に重い衝撃が来た。 神住の身体が宙を舞う。 「やっぱ強いなあ……燃えるぜっ!」 そう言って笑った北斗と、一瞬だけ目が合う。 そして神住は、つい先ほどの北斗と同じように地面に叩きつけられた。 肺の中の空気がすべて押し出されてしまうような感覚。 目の前がぐらりと揺れた。 最近ではあまり味わうことのなかった感覚。 全身の力がどうしようもなく抜けてゆく。 神住は呟いた。 「……なんて野郎だ……」 有利でありながら、北斗のまなざしはあくまでも挑戦者のもの。 驕りなどあろうはずもなかったのだ。 「よ、立てるか?」 にぱっとした笑顔で北斗が覗き込んでくる。 神住は睨み返した。 「あたいを舐めるな」 意識に逆らって抜けそうになる力をなんとか失わぬままにして、立ち上がる。 すると北斗は嬉しそうに右拳を左の掌に叩きつけた。 「よおっし、第二ラウンド行くか?」 自分も大きなダメージを受けていることには変わりないはずなのに、欠片の翳りもない。 「お前……」 「神住~!!」 神住が思わずといった風に呟いたとき、東の方から由莉香の声が響いてきた。 「だ、大丈夫……ですか?」 まずは神住へと向けて、それから北斗にも向けたために、由莉香の第一声はそういう言い方となった。 「ああ、大丈夫大丈夫……」 そう答えた自分の声がいつもよりも力ないものになっていることに気付き、神住は改めて悟った。 これは負けだ。 認めてしまえば、神住は見苦しく屁理屈を捏ねたりはしない。 「ち、仕方ない……約束だからな、ゆりっちと遊びに行くのは認める」 「か、神住!?」 来てみたら自分を置いて話が進んでいて、由莉香は多いに慌てる。 が、神住は強く続けた。 「ただし! あたいも着いて行ってガードする。文句ないな!?」 威嚇するように睨む。 北斗はきょとんとした表情を見せた。 「着いて行くもなにも……俺、元々由莉香と神住の両方とも誘ったんだけど」 「はあっ!?」 「え?」 まずは神住、そして由莉香も目を丸くする。 しかし、思い返せば確かに二人ともを見ながら言っていたような気がする。 北斗はにぱっと笑った。 「それに、嫌なら気にせず断ってくれていいぞ。折角遊ぶのなら楽しくないとな」 「ゆりっち……」 神住が困ったように由莉香を見る。 決闘までやらかした以上、止めたくとも口を出しにくいのだ。 だが、由莉香も困るのだ。 なんとなく断りにくいが、だからといって大して面識もない北斗と遊びに行くというのは、とても困る。 「あの……その……恋人さんに悪いですし……」 「恋人?」 北斗はきょとんとしている。 何のことだかさっぱり判らない、といった風だ。 神住が眉根を寄せて頭を掻いた。 「ほら、銀髪で変なかっこした……」 「それは僕のこと?」 背後から、唐突な声。 気配などまったく感じていなかった二人は飛び上がるようにして振り向いた。 そこにいたのは、今ちょうど話題に出していた極めて美しい姿。 「ゼルは男だぞ」 あっさりと北斗が言う。 その言葉を、二人は即座には信じることができなかった。 何度見ても、女にしか見えない。 「嘘だろ……?」 「嘘ですよね……?」 「僕が男性格であることは確かだね」 まさに呆然、といった感じの二人に、ゼルことゼルディアス=ザンティオンはいつものうっすらとした笑みで応えた。 そして北斗も笑う。 「俺も最初は女の子だと思ったぞ」 しばしの沈黙。 我に返ったのは、神住よりも由莉香の方が早かった。 「……あの、すいませんけど、それでも、私……」 もごもごと言う。 それだけで北斗は察したのか、頷いた。 「うん、そうか。じゃ、また今度な」 やはり屈託はない。 「行こうか、ゼル……と」 擦れ違うようにして去りかけて、ふと思い出したように振り返る。 「楽しかったぞ、神住。またやろうぜ。じゃあな」 そして今度こそ、ゼルを連れて立ち去った。 後に残された由莉香と神住は顔を見合わせる。 神住が笑った。 「ようし、よく断った、ゆりっち! あの分じゃあっちこっちで誘いまくってるぜ? あんな軟派野郎に付き合ったってろくなことない」 「あ、う……う~ん……」 曖昧に頷きながらも、由莉香はなんとなく、それは違うという予感を感じていた。 声をかけ慣れているのは確かなのだろうが、神住の言っているものとは何かが違うのだと。 しかし説明どころか己で整理することも出来ず、言うに言えない。 だから話を変えた。 「とにかく神住、学校に帰ろう?」 ジャンル別一覧
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