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八の字の巣穴

八の字の巣穴

第八十四話「因縁」

「さて、いよいよか……」
 ぽんぽんと左掌に右拳を軽く叩きつけ、神住が薄く笑う。
 二回戦はすべて終了し、次からは試合場をひとつにして各ブロック決勝を順に行ってゆくことになる。
 その最初がAブロック、神住の試合だ。
「怖いの、神住?」
 サラシアが言う。
 神住はにやりと笑った。
「まさか。これは武者震いだよ」
 拳と掌に力を込め、震えを止める。
「あたいはこの一戦を待ってたんだからさ」
「神住……」
「大丈夫だってば、ゆりっち。あたいは勝つ!」
 サラシアとは反対側で心配そうな顔をしている由莉香にも笑って頷き、試合場へと進み出る。
 対戦相手は、ランキング三位、杜若芹。





「う~ん、かすみんの相手、強そうだねえ……」
 観客席で、遥が冊子を片手に眉根を寄せて困ったように笑う。

『久遠神住、行動:C、力:A+、速度:B、技:C+、耐久:A-、ランキング四位』
『杜若芹、行動:B-、力:B+、速度:B+、技:A-、耐久:B、ランキング三位』

 やや、芹が有利だろうかと感じるくらいの評価だ。
「雄介くんは、かすみん勝てると思う?」
「どうだろうね。僕はどっちも戦ってるところ見たことないし」
 話を振られ、雄介はゆっくりとかぶりを振る。
 と、すぐ近くにいた博司が言った。
「多分、いい勝負だろう。見たところ、そのデータはかなり当たってる感じはあるんだが、技のところだけ付け方が甘いんだ」
「どういうことですかー?」
 きょとんとした顔をする遥。
 博司とは話すのも初めてだが、特に物怖じしたところは見えない。
「例えば……俺のを見てみてくれ」
 博司は自分のデータを指差した。

『祖父江博司、行動:C+、力:A+、速度:C+、技:S+、耐久:S、ランキング二位』

「俺は技よりも力を主にしてる部分が大きいんだが……なんでかこれでは技の方が三段階も高い。多分、表記に差がないと詰まらないから、他の項目より評価の上昇の仕方が大きいんだろう」
「つまり、表記上では離れていても実際には他の項目ほど大きな差はないということですか」
 雄介が頷く。
 となれば、データ的にもいい勝負ではあるのだろう。
 それは同時に、予想しがたいということでもあった。





「……やり合うの、久しぶりじゃない? この頃避けられてた気もするんだけど」
 向かい合い、芹が言う。
 それを見下ろしながら、神住は少しだけ笑った。
「逃げてたわけじゃないんだ。あんたに勝てる自信ならもう、ある」
 かつて神住がバトルフィールドに来たとき、初めて戦った相手がこの芹だった。
 そして今まで、勝ったことはない。
「倒すなら、折角だから大きな大会で華々しくって思ってな」
「……なるほど。本当に自信があるのね」
 芹は少しだけ目を細めた。
「それなら選ばせてあげる。本気と、全力だけど本気じゃないのと、どちらがいい?」
「そりゃ、本気に決まってるだろ。そうでなきゃ倒す意味がない」
 当然とばかりに、神住。
 芹としても予想出来ていたのだろう、特にそれ以上は何も言わなかった。
『双方準備はよろしいですね?』
「おう!」
「ええ」
『それではAブロック決勝……始め!!』
 試合開始宣言。
 同時に芹が地を蹴った。
 ゆらりと身体が大きく沈む。
 その動きを神住は知っていた。芹のことはしっかり研究してある。
 まず足を刈ってバランスを崩させてから追撃を仕掛ける、そのための動き。芹の得意とする攻撃始点だ。
 知っているつもりでいたからこそ、気付くのが遅れた。
 撓るような低い回し蹴りが、いつものものより高かった。
 それは足を刈るためのものではない。
 狙っているのは左膝の側面。
「っ!?」
 神住は咄嗟に後ろに跳んでそれを外させる。
 が、芹は絶妙な体重移動で、いつの間にか軸足を変えて一気に距離を縮めてきていた。
 しかしそこは神住の間合いでもある。
「貰った!」
 逆に掴みに行き、左の袖を右手で引っ掛けた。
 芹は投げや関節技の類はほとんど使わない。
 したがって、掴んでしまえば有利となる。
「甘いわよ」
 その声を認識したときには、既に右腕に痺れが走っていた。
 芹が裏拳で神住の肘を下から打ったのだ。
 そして、逆に左手で神住の右腕を掴み返し、右肘を水月に叩き込む。
「ぐ……」
 脂汗の浮かびそうな激痛を堪えながらも神住は反撃に出ようとする。
 が、芹は既に神住の懐から跳び離れていた。
「どうかしら?」
 わずかに笑みを浮かべ、両拳を顔の高さで構えてからかうように言う。
 なるほど、と神住は思った。
 本気の意味が分かった気がする。
 芹は普段、水月を狙うことや頭部への回し蹴りなどは行っても、相手の身体を壊しかねない打撃は放たない。
 だが今は、膝や肘などの関節を側面の弱い部分から狙って来ていた。
 確かにこれは、バトルフィールドのルールでは反則に入らない。
「……面白い……望むところだ!」
 抑えようともせず、楽しそうな笑みが浮かぶ。
「今度はこっちから仕掛けさせてもらう!」
 宣言どおりに、足を踏み出した。





「……攻められてるな……」
 博司が呟く。
 いかに表記を大袈裟にしてあるのだろうとは言っても、やはり技においては芹の方が確実に上手だった。
 状況把握から行動選択の早さも勝っている。
 動きそのものもやや速い。
 それらが組み合わされて、実に的確な攻めを組み立てている。
「とは言っても、潜在的には一方的有利でもないけどな」
 斜め後ろから、知った声。
 振り返ったところにいたのは徳教だ。
 巴とジルもいる。
 徳教は博司の隣に並ぶと、続けた。
「言うなれば、剣士と闘士の戦いみたいなもんだ。剣技で倒し切れなきゃ……」
「あとは闘士に潰されるだけ、ですね」
 博司も頷いた。
 そして、紗矢香はどっちが勝つと思う? と訊こうとして、いつの間にか紗矢香の姿が見えなくなっていることに気付いた。
「あいつならば向こうに行ったぞ」
 イセリアが顎をしゃくる。
 その先には、確かに紗矢香がいた。同い年くらいの少女と話している。
 どこかで見たような気はするのだが、思い出せない。
 紗矢香には紗矢香の付き合いがあるのだからあまり干渉しないでおこう、と思いつつ試合に意識を戻す。
 攻めの数は芹の方が多いとはいえ、神住も反撃できていないわけではない。
 そして、芹もダメージを受けていないわけではない。
「……そういえば祖父江、不思議な女性だと思わないか?」
「杜若さんのことですか?」
 徳教の問いかけに、博司は念のために対象を確認する。
 まさか十歳以上年下の神住を捕まえて女性という言い方はしないだろうとは思ったのだが。
 徳教は頷いた。
「ああ。聞いた話じゃ、最初期からいるそうじゃないか」
「らしいですね」
 最初期と言っても、それほど前のことではない。
 これも聞いた話ではあるが、精々一年程度らしい。
「最初のバトルフィールドなんて正体不明の催し物だったろうに。何を思って参加したんだろうな。何も考えてなかったなんてことはないと思うんだけど」
 芹と話をしてみると、実に見識ある女性だと思わずにはいられないのだ。
 学生時代はさぞ優等生だったのだろうと思わせる一般教養に加え、現在の社会的話題もそつなく押さえている。
 一定以上の距離には踏み込ませないのに、警戒しているという感じは相手に与えない。
「それから、戦闘技術の方も謎だ」
「我流みたいな感じはしますが。自由な発想で戦っているわけではなさそうですけど」
「そうだな。あちこちの流派の技を混ぜてある」
 試合を見守りながら、徳教は呟くように言う。
「今の蹴りは多分ムエタイ…………今度はサファーデか。日本古来の武術もあるよな。自分で混ぜたのか、混ざったものを教わったのか、どっちかは知らないが……一体何の為に?」
 なるほど、と博司は思った。
 <武具>遣いの家の生まれでもないのに、自分の肉体で敵を倒す術を、しかもこれほどの腕を何の為に身につけたのか。
 言われてみれば不思議な話だ。
 ただわけもなく強くなりたかっただけ、と言ってしまえばそれだけの話ではあるのだが。
 しかし、考えて判るものでもない。
 今はただ、試合を見ているしかなかった。





 それはもう、幾度目の交錯の後となるのだろうか。
「さすがにタフね」
「……そっちこそ」
 互いに荒い息をつきながら、言葉を交わす。
 驚きは神住の方が大きかった。
「スタミナじゃあたいが勝ってるつもりでいたんだけど……」
「それは認識が甘かったわね。この程度で切れる体力はしてないわ」
 無論、疲れがないわけではない。
 それでも構えには出さない。
 その様子に神住はむしろ嬉しくなった。
 超えるべき目標と定めていた人物は自分が思っていたよりも強かった、それは喜ぶべきことだ。
 しかし、だ。
「そろそろ決めようぜ」
 膝や肘も含め、攻撃され続けた身体の節々には押さえ切れぬ鈍痛が常時走っている。
 そして芹の方も無傷で済んでいるわけではない自信がある。
 入れたのは一撃や二撃ではない。
「……そうね。あまり長引くと後の人たちの迷惑になるし」
 芹はそう言うと、構えを変えた。
 大きく腰を落として身体の左を向け、右手は開いて胸の前、左手は結んで腰の前。
 少なくとも、神住の知らない構え。
「まだ隠し玉があったのか……」
 ごくりと唾を飲み込む。
 何はともあれ、取るべき手段は一つだ。
 攻め立てればその隙を突かれる、どちらが早いかの勝負に持ち込めば芹が早い。
 ならば、耐えてから決めるのみだ。
「来い!」
「……そう」
 芹は、ふ、と笑い、滑るように踏み込んできた。
 神住は芹の本命を開いた右手だと見る。
 そしてそれは間違いではなかった。
 腹部へとめり込んだ左拳は、自分を倒せるほどのものではない。
 同時に動いていた右掌は、しかし神住の想定範囲からまるで逸脱した動きを見せた。
 神住の左手首を掴んだのだ。
 そして身体を軸に左へ回転させつつ足を払う。
 神住の身体が宙を舞い、背中から落下する。
「く……」
 すかさず跳ね起きるが、ちょうど目の前には芹がいた。
 つい先ほど見たばかりの体勢。
 だが、少しだけ異なる部分があった。
 左の掌底が腹部に打ち込まれ、それを目印にするかのようにその横に右の掌底が叩き込まれた。
 ずん、と内部に衝撃が浸透してくる。
 『徹し』や『通背拳』と呼ばれる手法。
 まさに隠し玉だ。<武具>遣いでもそうそう修得しているものではない。
 神住にも、できない。
「うおおおおおっ!!」
 がくりと膝が崩れそうになりながらも、それでも神住は倒れなかった。
 抱え込み、高く持ち上げる。
 そのまま地面に叩きつければパワーボムだ。
 固い地面の上で使った場合の威力は相当なものになる。
 負けられない。
 今、超えるのだ。
「これで終わりだっ!!」
「そうね」
 叩き付けようと力を下に向けた瞬間に、神住の曲げた両膝が掴まれた。
 芹が掴んでいた。
 阻まれた勢いが方向を変えて、体勢がぐらりと揺らぐ。
 そこで、芹の両膝が神住の頭を挟み込んだ。
 そして両手を地面に着けると、反動をつけて脚で神住を放り投げる。
 煩いくらいの歓声が耳に戻って来る。
 芹は先に立ち上がり、起き上がってこようとする神住に声をかけた。
「決まったとは思わない?」
「……あたいはまだ立てる!」
 あくまでも強気に返す神住。
 芹はもう一度、そう、と少し笑った。







「ううううううううう……」
「しつこいわよ、神住?」
 唸る神住に、サラシアが冷ややかに言う。
「納得いかないのは判るけど、決まったものは決まったのよ」
「だって、ストップであたいの負けはないだろ、まだギブアップしてないのに」
「誰が見ても相手の勝ちだったということよ。実際、あの状態から逆転できたとは思えないわ」
 結局、すぐに試合は終わらせられた。
 二人の状態を見比べれば妥当な判断だったのだが、当人はすっきり納得するというわけにもいかないわけで。
「ちくしょう……今度こそ勝てると思ったのになあ……」
「まあ、次があるよ、ね?」
 少し困ったようにながらも由莉香が宥める。
 と、そこへ徳教が顔を出した。
「残念だったな」
 苦笑気味に徳教が声をかける。
 神住には随分と挑戦をされたので、かなり親しくなっているのだ。
「直接的な力が足りなかったわけじゃないんだが……読み負けたな」
「読み負け?」
「ああ、完全な読み負けだ」
 きょとんとした顔を見せる神住へと、徳教は頷く。
「最後、攻撃後の隙を突くつもりだっただろ? で、投げ系統に行くつもりだった。打撃の勝負だと分が悪いから」
「ああ、そうだけど……」
「観客席から見てても丸判りだった。当然、相手にも丸判りだ」
「判ってても仕掛けてきてくれるんなら別にいいじゃないか」
「判った上で馬鹿正直な攻撃をしてくれるならいいんだけどな、そんな相手じゃないだろ」
 神住の素直さに好ましいような不安なような微妙な気持ちを抱きつつ、徳教は続ける。
「……多分、あの徹しは戦闘中に自由に出せるほど習熟したものじゃない。だからこそ、一度体勢を崩してから使ったんだろう。そして神住は、身体もきつい、時間もない、で使い慣れた技を出そうとした……相手の予想通りにな」
「あとは見事に料理された、というわけね。情けないわよ、神住」
 サラシアがわざとらしくため息をつく。
 神住はむっとした顔をするがさすがに言い返せない。
「まあ……真っ向から純粋な力だけで勝ちたいっていうのなら止めはしないけど……不利ではあるな」
 徳教は何かを思い出すかのように眉根を寄せた。
「じゃ、まあ俺は用事あるからこの辺で」
 そう言い残して、その場を後にする。
 頭にあるのは芹のことだ。
 当然ながら、選抜には徳教は大きく噛んでいる。
「あと一つ、戦う理由さえ分かれば、欠片の問題点もなく確定、か……」
 呟いた。










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