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八の字の巣穴

八の字の巣穴

第九十八話「契り」

 ザイン=ウェスペルと名を与えられた男はその厳しい面に苦い色を浮かべていた。
 己の見積もりが甘かったとつくづく思わずにはいられない。
 ようやく一定以上の魂が集まり、それを使うことによって残る魂を迅速に吸い上げようとしていた矢先の出来事。
 そして地球上の数多の魂を贄として起爆剤と為し、あとは惑星・恒星と連鎖的に外へ外へと贄を広げさせてゆけばやがてはこの世界が滅びに至る、その予定だった。最終的な手段は最初から変わっていないものの、いかにして多くの魂をこの<楽園>に取り込むかについては試行錯誤を繰り返してきた。
 <魔具>による強制的な同族狩りもそのひとつだ。結局は誘いという効率の悪い方法を取ることになったわけなのだが。
 この<楽園>は、正確には<夢の庭>と呼ばれるものであり、<夢を巡らすもの>の受け皿のみが有する固有能力だ。夢幻である此処に時空間的な大きさは無意味だが、現在の影響範囲は星一つに及んでいる。
 よもやその半分がたった一撃で消し去られるなどとは思ってもみなかった。
 ここは非常に巨大な力が多数集っている特異点、それゆえに実行可能だと判断した計画なのだが、その力のひとつに邪魔をされた。
 何を見誤っていたのだろうか。
 ともあれ、このままでは当初の計画を実行に移せるかどうかが怪しくなってきた。
 また集め直せばいいだけではあるのだが、こちらのことが明確に気付かれてしまった以上、妨害を受けるだろう。あれだけの力いくつもに狙われて何年も凌ぎきれるとは到底思えない。
 もっと自在にこの<楽園>の力を使えれば、と思う。
 これはあくまでも<夢の司>のものであって、自分は擬似的に扱う第二素で式を作ってそれを限定的に引き出しているに過ぎない。しかも、それができるのすら日付の変わる瞬間の地点のみなのだ。
 しかし不便ではあってもそれを補って余りある力だ。
 世界を滅ぼす、というのは言葉で言ってしまえば簡単だが、滅ぶだけの条件を満たさなければ滅びない。星を滅ぼすときのようにただの破壊で成せることではないのである。
 ザインは<夢の司>を見た。
 彼女は目を閉じてふわふわと漂っている。
 かつて滅ぼした世界の生き残りにして、その世界も含めて滅ぼすために自分に力を利用されてきた存在。もう共に幾つ世界を滅ぼしただろうか。
 なんと残酷なことをしているのかとザインは思う。
 しかし、どうしても彼女の力は必要なのだ。
 あらゆる存在に安寧を与えるために、彼女には生の苦しみを強いなければならない。
 己にもっと力があったならば、叡智があったならば、すべてを救うことができるというのに。
 どうすればいいのだろう。
 どうすればこの世界の存在を絶対の安寧に導けるだろう。
 心の底からの煩悶、懊悩。
 その様を、ゆっくりと眼を明けた少女が見ている。
 と、ザインは不意に答えを得た。天啓の如くに閃いた。
 いける、と試算して判断する。
 当初の計画ほどは力を必要としない。魂も半数は残っているのだ、二月あれば実行できる。
 ザイン=ウェスペルは己が信じた理想を邁進する。
 苦行にも等しい弛まぬ努力ならば右に出るものはない。
 その力をザイン=ウェスペルは知っている。
 悩み苦しみ、その果てに答えを得て無数の世界を滅ぼしてきた。
 これならば、とまなざしを細めた。







 執務室のドアが閉まる。
 宗一郎と緋雪、朱鷺子が出て行ったのだ。
 それを見送り、鬼十郎はゆったりと机に頬杖を突いた。
「どうも未曾有の事態のようだなあ……」
「……すぐには信じかねますが」
 理美がミラーシェードの奥に表情を隠して応える。
 今回の件の下準備から進行を行っていたのは彼女なので本来ならば事後処理に回るべきなのだが、宗一郎が関わることは理美の管轄ということで同席していたのだ。
 だが、聞かされた内容は経験豊かな理美にとっても、さすがに突拍子もないものだった。
「本当に世界を滅ぼせるというのでしょうか?」
「……とんでもない相手には慣れてる宗一郎君が顔色変えてるんだ、少なくとも嘘は言ってないだろうなあ」
 鬼十郎はにやりと笑う。
「さて、統合本部やら他の支部やらにはどうやって信じさせたものか……」
 突拍子もない話である上に、だからどうしろと言うことも難しい。
 なにせ、未曾有の危機だというところまではよくても、世界を滅ぼす手段も判っていなければ具体的に何に気をつければいいのかも不明なのだ。
 警戒して連絡を密に、というのが精一杯というところだろうか。そして何とか糸口を見つけて解決する。
 随分と無茶な話だ。
「まあ、とにかく……君には統合本部への交渉役を頼みたい」
「それは構いませんが……」
 困難極まりない作業が予想されるというのに、理美はそのことにはあっさりと頷く。
 しかし、続いた言葉は重かった。
「ミストルテインは……何だというのですか?」
 世界の滅亡だなどという話が出てくる事態に飛び込んでいながらアウリュエルスト=サイファーを抜いたのは最後だけ、ならばどうやって生き残ったというのか。
 そもそもどのようにして<楽園>の奥へ行ったというのか。
 何か自分たちには語っていないことがあるのではないか。
 誰もが容易く思うような疑問でありながら、このような大きなことを聞いた直後にはそれに紛れて見落とし易いもの。
 それを理美はしっかりと見出していた。
「葉渡宗一郎君さ。うちの上の娘の一番の友人だ」
 理美の言わんとすることを察しながら、鬼十郎は飄々と言う。
「この際、それ以外は要らんよ」
「彼我の戦力を精確に把握しておくことは重要だと思いますが」
「それは確かにそうなんだが……知ってたらどうにかなると思うか? 敵さんの戦力も分からないってのに」
 口調も表情もまなざしも、何もかもが踏み込みにくい。
「嫌な言い方だが……我々としてはいざとなったら彼を放り込むしかないわけだ。要らないいざこざは起こさない方がいいと思うがね」
「それは……」
 日和見主義とも見えるが、そういうわけではない。それもまた強い考えのひとつだ。
 <武具>遣いはそもそも<武具>のことすらほとんど経験則でしか知らないままに遣っている。分析しようとする動きもあったらしいが、その動きそのものが当の<武具>たちの勘気に触れたらしく、その周囲からはことごとく消え去ったそうだ。
 解らずとも利用できるのはひとつの強さである。
「しかし、知らないことによって余計な被害が出ることもありえます」
「知ることによって余計な被害が出ることもありえるな。むしろ宗一郎君の感じからするとそれだろう。排斥されるのが嫌で言わないなんてことは間違ってもありえないと断言してもいいくらいだ」
 何気ない口調だが、宗一郎のことをよく言い当ててはいた。
 それでもやはり庇っているところはある、何かを危惧しているのかもしれない、と思いつつも理美は何も言わなかった。
 刃を振るうばかりが戦いではない、圧するだけが手ではない。むしろ理美の得手とするものこそが、安易な力に拠らぬものだ。
 小さく息をつく。
 あの会場の去り際に、宗一郎についてひそひそと交わされていた会話がある。情報は思わぬところに転がっていたりするものだから、しっかりと把握しておいたのだ。
 誰なのかの個人特定まではできないが、討滅の家の者による会話だった。
 犠牲者の中に親しい人間がいて、なぜさっさとこちらを助けてくれなかったのかという愚痴から始まった。
 それはいいのだ。命は等価と言ってみたところで、個人にとっての価値は等しくない。親しいものの死を嘆くのは人として当然のこと、そしてその責を何かに転化してしまうのもよくあること。
 だが、愚痴はすぐに謂れ無き非難へと変わった。
 宗一郎は、アウリュエルスト=サイファーのあまりに強すぎる力のせいで本人の力が評価されない。何を成し遂げても、努力もせずに手に入れた力のおかげと思われる。
 <武具>との契約は素質のみだから確かに努力もせずに手に入れた力であることには違いない。が、その巨大な力の代償に耐えるという苦難を、想像できるはずなのにそこには大して注目されない。
 大抵の者にとっての宗一郎の姿は、普段は守られていなければならないのに努力もせずに手に入れた力で美味しいところだけを持って行く、そんな代物だ。
 全員がそうではないにせよ、全体的にそういう傾向はある。
 無論、宗一郎自身もそういう風に見られていることは幼い頃から知っている。知ってなお歯牙にもかけないから余計に、いい気になっているように受け止められる。
 まさに排斥など今更のことである。
 ちなみに、逆に好意的な笑顔で近づいてくる見知らぬ者の大半は取り入ろうとしている者だというのだから始末に負えない。
「……人間不信になっていないのが不思議に思えてきますね。もっとも、ミストルテインにも問題はありますが」
 皆の勘違いを情感たっぷりに指摘してみせれば同情に裏返る者も少なくないだろうし少なくとも当たりは緩やかになるだろうに、と理美は思う。
「どうすれば人を動かせるかということも、人を陥れるやり方も、知らぬはずもないでしょうに。演じられるかどうかは別としても」
 それなのに、精々児戯の範囲でしか使わない。
 鬼十郎はまたにやりと笑った。
「あの子の知性の本領が発揮される先は、人間が忌み嫌い誇る権謀術数の類じゃあない。もっと感覚的な、理解できない何かだ。それが宗一郎君なんだろうさ」







 朱鷺子と別れて家に帰り着くと、もう深夜というよりは明け方が近い時間だった。
 夜もあと二時間もすれば終わるだろう。
 隠し場所から鍵を取り出して家に入ると、暗い。雄介も翔子も帰って来ているようだが、皆寝ているようだ。
 大介と沙菜の靴があるのは勿論のことなのだが、晃人の靴まであるところを見ると泊まってゆくらしい。
「……ちゅうか、助かったわけやな。それは何より」
 呟き、上がろうとしてから不意に思い直してまた外に出た。
 庭には木々が緩やかな風に揺れ、見上げた夜空には星が瞬いている。
 静かにして美しい情景、と人は言うだろう。
 宗一郎もそう思いながら、しかしそれとともに滅びを待っているように己のすべてで感じられる。
 もう、しばらく前からそうだ。
 己のものであり、真に己のものとした力と感覚、そうなるための対価。
 というよりは、須らく現れるべき結果だ。
 語るほどのことではない。世界はただ今までと同じように其処に在るだけだ。
「宗一郎?」
 緋雪が声をかけてくる。
 そのことで、宗一郎は外に出直した理由を思い出した。
「ちと庭の方に行こか」
 そう言って歩き出す。
 緋雪は素直に着いてきた。
 宗一郎が立ち止まったのは池の畔だ。
 水面にはほぼ満ち切った月が浅く映っている。
「私は松沢征とはちゃうと思う」
 振り返り、告げる。
「あいつが好きなんは多分、セリアっちゅう女なんやろな」
「そうですね」
 緋雪はいつもの無表情にも見える澄まし顔で頷く。
 本当に、何を考えているのかよく判らない。
 が、宗一郎にとってはそれすらも愛おしい。
「あいつは……セリナリア=フォルシスを人間扱いしとったしな」
 征の思いは、大半の者には笑い飛ばされ、そして残る少数の者には感銘を与えるのであろうものだ。
 笑い飛ばすのと感銘を受けるのとでどちらが正しいのかと言えば、両方とも適切な見方とは言えない。
 笑い飛ばす方は論外だ。<武具>を道具だと思っているようでは話にならない。
 しかし、人として扱うのもまた、違うのだ。
 なぜならば、人として扱うことを良いことだと思うのは、それこそが人の傲慢の裏返しに他ならないからである。
 そもそも<武具>は遣い手を主と呼んで立ててくれるが、存在の階梯を考えれば遥かに桁が違う。<武具>を人として扱うということは、人の程度にまで貶めるということなのだ。
 そもそも、そのことがなくとも、人が人であるように<武具>は<武具>なのである。
 人として扱うことを最上とすることに疑問を抱かないのは、人を最上に置いているからこそだ。
「とは言うても、当人がよければ別にええとは思うんやけど、どうなんやろな、セリナリア=フォルシスは?」
 言いながら、宗一郎は征に感謝していた。
 征の思いは、緋雪に一度は言っておかなければならないことを浮き上がらせてくれた。
「そこまではわたしにも判りかねますが」
 消え入りそうな声で、緋雪は宗一郎を見つめる。
 今までのものはすべて前置き、宗一郎が本当に告げようとしていることはこれからなのだと判っていた。
 沈黙が訪れる。
 そして宗一郎は真顔で名を呼んだ。
「<断罪の槍>アウリュエルスト=サイファー」
「はい」
 緋雪は、<断罪の槍>アウリュエルスト=サイファーはいつもの無表情にも見える澄まし顔で待つ。
 その人ならざる領域の美しさは出会ったときから変わりない。
「私が知る限りのお前のすべてを愛しとる。まだ知らん部分も、多分」
 宗一郎は告げる。
 今回のように緋雪が不安にならないように、はっきりと。
 緋雪はほんのわずかに微笑んだ。
「わたしにとって至上の言葉です、宗一郎」
 口調はどこか訥々としている。
 見上げるまなざしには、純粋な喜びと少しの憂い。
「あなたはわたしに応えてくれる。怖くなるほどに応えてくれる。愛してくれた上で、惑わされないでいてくれる……」
 宗一郎と同じ考え方ができる人間が他にいないわけではない。
 だが、それはただの相方と思っているからこそ理性的に判断できているだけだ。
 <武具>に焦がれると、必ずと言っていいほど<武具>を人間のように思ってゆく。
「……なのに、いえ、だからこそひとつだけ気付いてくれないことがあります」
「気付いてないこと?」
「きちんと理解しているのに、気付いてくれないことです」
 緋雪はいつもの無表情にも見える澄まし顔に戻って告げる。
「人の恋うる者同士が行うこと……宗一郎も知っているはずのこと……そんなものがあります。わたしも人の傲慢の発露は望みません。しかし、あなたの想いの発露なら受けてみたい……」
 それは、と宗一郎はすぐに理解した。
 いや、緋雪の言ったとおり、既にその思いはありながら無意識に除外していたのだ。
「本気……か……?」
「わたしは嘘はつきません」
 緋雪はやはりいつも通りの無表情にも見える澄まし顔。
「人は触れ合い、抱きしめ合って愛を確かめるといいます。わたしはずっと待っていました」
 だが、それはそこまでだった。
 宗一郎へと向けられた緋雪の隙のない美貌、もうどうしようもないと言わんばかりに揺らめく。
 それは、泣き出してしまいそうに見えた。
 何かを言おうとして声にならず、儚げにくちびるを震わせる。
 一度きゅっと閉じて、ようやく搾り出す。
「……でも、宗一郎はしてくれない……わたしのこと……嫌い、ですか……?」
 緋雪は自らの望みを言葉や行動に表すことは少ない。
 訥々と、切々と紡がれる言葉は、どれほど忍んだ結果なのだろうか。
「……済まん」
 宗一郎は一歩踏み出して抱き寄せた。
 口にまでしていながら簡単な問い一つを発していなかった己の迂闊さを呪う。
 緋雪は宗一郎の首筋に顔を埋めたままで囁くように言った。
「わたしも愛しています、宗一郎。<武具>としてありえぬほどに。その上で後悔はないほどに……いえ、後悔したとしても……それでも、なお」
 宗一郎は右手でそのぬばたまの黒髪に指を通し、その素直ですべらかな感触を味わいながら、少しだけ顔を離させる。
「緋雪」
「はい……」
 消え入りそうな吐息。
 どうしようもないほどに愛おしい。
 その薄紅いくちびるに、ただ重ねるだけのように静かに口付ける。
 それなのに、何も分からないほどひたすらに甘やかで。
 一度離れ、緋雪がまた首筋に顔を埋める。
「口付けだけ……ですか……?」
「……お前が望むなら……」
 宗一郎は迷わなかった。










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