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八の字の巣穴

八の字の巣穴

第百五話「絶対と絶対の矛盾」

 打ち寄せる波の音。
 中天には満月。
 そして海を背景に佇む男と、その傍らに立つ蒼い髪の少女。
 念を入れて見つからないように離れた街で時間を潰し、最終列車で帰って来た巴の前にあるのはそんなもの。
 予想通りの図。
 男がぬたりと笑った。
「いい月だな、ミス剣」
「あなたは……」
「月は……人を狂わせるという。そのこころは何か知っているかね、日本史の先生?」
 男は、<双頭剣>は口を開こうとした巴を遮り、そんなことを言う。
 しかも答えも待たない。
「ちなみに俺にとってはどうでもいいことだが」
「あなたはっ」
「その後、小山徳教とはどうだ? うまくやっていけているか?」
 やはり巴の言葉を聞こうとしない。
 絶妙に遮り、しかも意味はない。
「それも俺にとってはどうでもいいことだが」
「っ……!」
 巴は、叫びだしそうになるのを必死に抑えた。乗せられてはいけないと己に言い聞かせ、深呼吸をする。
 その様に<双頭剣>は口許を歪めた。
「結構結構、その方が落ち着いて話ができるというものだ」
「マスター、そのことにもさして意味はないと推測する」
 蒼い髪の少女の姿をとった<大地の牙>コキュス=サリュサトゥスが無感動に告げる。
 が、<双頭剣>は大きく肩をすくめた。
「いやいや、落ち着いて話をした方が楽しいではないか」
 相変わらずの二人だと巴は思った。
 とにかく、落ち着いて話をすることには巴も異存はない。エメット=ニルディーナこそ持って来たが、話し合いをしに来たのだから。
「私の話を聞いてください」
「その前に……重要なことがあるのだよ、ミス剣」
 三度、<双頭剣>は巴を遮った。
「俺は貴女を呼んだ覚えはないのだがな?」
「……悪いと思いましたけど、手紙は読ませてもらいました。徳教さんには見せていません。あなたと徳教さんを会わせるのは危険だと思って」
 巴はじっとりと冷や汗が浮かぶのを感じながらも、<双頭剣>から視線を外さない。
 これから説得しなければならないのだ、こんな始まってもいないところで気圧されるわけにはいかない。
「予定にはないでしょうけど、私と話をしてもらいます」
「いやいや、そんなことはないぞ、剣巴?」
 だというのに、早速目を丸くする破目になってしまった。
「……え?」
 <双頭剣>が言ったことの意味が解らない。
 呼んでいないと言いながら、予定が違うわけではないと言う。
「俺のような商売ではな、脚本を一本しか書かんのは三流か慢心した超一流かバケモノだけなのだよ、日本史の先生。いいところ二流の俺には、そんな恐ろしいことはとてもとても」
 <双頭剣>はくっくと笑った。
「分岐点でどう動くかによってシナリオも分岐させ、そのいずれであっても目的を達成できるように構成しておくのだ。下準備は勿論、ミスディレクションも用意してこちらの真意を分からんようにできれば上々だな」
「当然のこと」
 無感動なコキュス=サリュサトゥスの声さえ、まるで煽るように聞こえる。
「手紙では貴女に来いとは書いていない。俺は貴女を呼んではいないのだ。だが、来ることは俺の脚本のうちの一つ、予定のうちなのだよ、ミス剣」
 <双頭剣>は揶揄の笑みとともに告げた。
 巴は先ほどに倍する、身体が冷たくなる感覚を覚えていた。自分は既に<双頭剣>の掌の上にいるのだと実感する。
 が、それでも構わないはずだと己を奮い立たせた。
「とにかく、話を聞いてもらいます!」
「いいともさ。拝聴しよう」
 至極あっさりと<双頭剣>が頷いたことに肩透かしを食らわされながらも、巴は今日一日で纏めておいた言葉を今一度頭の中に呼び出した。
「徳教さんはもう戦う気はありません。まだ鍛錬はしてますけど、争うような、そんなことはやめたんです」
「ほうほう」
「徳教さんは、もうあなたが求めてるような人じゃありません。戦っても、あなたにとって得られるものなんて何もありません」
 巴の考えはこうだ。
 <双頭剣>が求めるものは、かつての徳教のように強敵と戦うことであるはずだから、そんな戦いなどできないと分かってもらえればいいのだと。
 実際、夏以来徳教には戦いへの欲求が欠片たりとも見られない。
 <双頭剣>の求めているはずのものがないのは本当なのだからきっと分かってもらえるはずだと。
 必死で言い募る巴を、<双頭剣>は薄ら笑いとともに眺めている。
 そこにある愉快げな光に気付くには、巴は悪意に疎すぎた。
「言いたいことは分かったが……だからどうしたというのだ? 俺は元より小山徳教に勝負など期待していない。ただ殺しに来ただけだ」
「え……?」
 まるで予想していなかったこと。
 拮抗した戦いを求めていれば否定要素となるものは、殺しに来たとなれば何の制止要素にもならない。
 むしろ。
「しかし、良いことを聞いた。ならば抹殺も容易であろうよ。小山徳教を売り渡してくれて礼を言うぞ、ツルギトモエ」
「売り渡っ……!!?」
 全身の血が音を立てて引いた気がした。
 今自分が説明したことは、売り渡したとは大袈裟ではあるものの、余計なことを教えてしまったに等しい。
 その事実は、容易く理性を失わせた。
「そんなことしませんっ! 私は徳教さんを売り渡したりなんかっ!!」
 気がついたら、エメット=ニルディーナを構えていた。
「私が徳教さんを守ります!!!」
「ふ……くくくくく、そうかそうか、俺とやり合うか。やはり泣かせる奴だな、貴女は」
 <双頭剣>も、傍らに突き立ててあった霊具を引き抜いた。
「しかし……俺とやり合うからには、死ぬ覚悟はよかろうな?」
「私は死にません! 生きて、守り抜くっ! 私が見つけた闘う理由はそれなんですからッ!」
 裂帛の気合。巴は己の覚悟をその一言に込める。
 しかし<双頭剣>には揶揄の笑み。
「ブラヴォー。見事な台詞だ。記念にどこかの語録にでも載せておくといい」
 ぱちぱちと無言、無表情で拍手するのはコキュス=サリュサトゥス。
 その動作も無感動で機械的だ。
「その覚悟に敬意を表して、俺はコキュス=サリュサトゥスは遣わないでおいてやろう。そして、貴女が勝つことができれば小山徳教を殺すのは諦めてやろうではないか」
「……それは、本当ですね?」
 それならば確かな勝機がある、と幾分冷えた頭で巴は思う。
 エメット=ニルディーナを遣った巴の腕は、フタカゲを使った徳教に僅かながらも勝る。
 夏の様子からすれば<双頭剣>の腕は徳教と同等のはずだ。
 ならば勝てる。
 <双頭剣>は頷いた。
「本当だとも。俺に敗北を認めさせるか、敗北を認めることもできないようにすれば、俺は退こうではないか」
「分かりました」
 巴は柄を握る手に力を込めた。
 どこか、心が逸る。
「……行きますっ!!」



 白銀の輝きとともにエメット=ニルディーナが縦横に翻る。
 苛烈に苛烈を重ねた攻め。
 <双頭剣>は防御一辺倒に回っている。
 始まったときからそうだった。
 これならいける、と巴は確信した。<双頭剣>はこちらを侮っていたのか、最初に手を抜いていたようだが、もう完全にこちらの流れに乗せてしまったからには今更本気を出しても遅い。
 叩きつけられる大剣は弾かれても弾かれても即座に翻されてまた叩きつけられる。<双頭剣>が攻撃に移る暇など与えない。
 さすがに<双頭剣>の防御は固いが、いつまでも守り続けられるものではない。
 しかし、それが分からぬはずのない<双頭剣>は薄ら笑いを貼り付けたままだった。
 まだ侮られている、と巴は思う。
 それでも、そのことは自分に有利に働く。
 徳教を守る、その思いに己のすべてを乗せて巴は剣を振るう。夏から身に染み付いていた恐れも、今は吹き飛んでいた。
 徳教は今、深い迷いの中にある。夏のあのときからずっと、試行錯誤を繰り返している。
 そのきっかけを与えたのが<双頭剣>なのだと巴は思っていた。
 だから会わせてはならない。会わせればこれ以上の苦しみの中に沈むことになってしまう、と。
 剣の打ち合わされる甲高い音。
 <双頭剣>は薄ら笑い、コキュス=サリュサトゥスはまったくの無表情、巴は必死の顔。
 そして均衡は破られた。
 <双頭剣>の剣が大きく弾かれ、エメット=ニルディーナの刃が<双頭剣>の首にぴたりと押し当てられる。
「……これで……退いてくれますね……?」
 限界を超えて苛烈に攻め立てたがために肩で息をしながらも、巴は安堵の笑みを浮かべた。
 これで徳教を守ることができたのだ、と。
 が、<双頭剣>は揶揄の口調で問い返した。
「なぜ俺が退かねばならんのだ?」
「約束したでしょう!? 破るつもりですか!?」
 厳しい口調と表情になる巴。
 <双頭剣>はそれをも予想し、愉しむかのようにせせら笑った。
「随分とおかしなことを言うではないか」
「おかしくなんてありません! 私が勝ったじゃないですか! そうしたら退くっていう約束です!」
 <双頭剣>の首に刃を押し当てた体勢のままで、巴は言い募る。
 と、そこにコキュス=サリュサトゥスの平坦な声が割って入った。
「約束の条件は果たされていない」
「果たされていないって……どう見ても勝負は決まってるはずです!」
 思いも寄らぬことを言われて狼狽えそうになるのを、巴は気を強く持って堪えた。
 勝っている、これは絶対に勝っているはずだ。生殺与奪の権は、確実に自分の手の中にある。ここからの反撃などさせない。
 そんな巴を、<双頭剣>は愉快でたまらないといった目で見た。
「認識がなっておらん、と七月に言ってやったのを覚えてはいないようだな、ミス剣?」
「何を……」
「俺が出した条件をもう一度よく思い出してみろ。よぉくな。そうでなければ、貴女のクリスマスと正月が纏めて来たような脳味噌では理解はできまい」
 嘲笑。
「もう一度、条件を一字一句違わず言ってやろう。『俺に敗北を認めさせるか、敗北を認めることもできないようにすれば、俺は退こうではないか』だ」
「だから私が勝って……」
「俺は、敗北を認めたか?」
 ゆっくりとした口調。
 それこそ幼子に言い聞かせるが如く、優しく。
「そして俺は、敗北を認めることのできない状態か? 答えは……否、だ」
 ようやく、巴にも<双頭剣>の言わんとすることが理解できた。
「そんなっ……そんな詭弁……! この剣をもうちょっと押し込めばあなたは……」
「そうさなあ……そんなことをされれば俺は死ぬであろうなあ……」
 <双頭剣>はくっくと笑う。
「しかもそうすれば、俺は敗北を認めることもできない状態となり、貴女の勝利になるではないか。どうした、答えは非常に簡単ではないか。早く実行するがいい」
 巴は絶句した。
 <双頭剣>は、勝ちたければ自分を殺せと言っているのだ。
 しかし、そんなことができるはずがなかった。
 エメット=ニルディーナを握る手がかたかたと震える。
 刃も震え、浅く傷つけられた<双頭剣>の首から血が流れ出す。
「っ!?」
 反射的に、巴はエメット=ニルディーナを下げてしまっていた。
 <双頭剣>はわざとらしく首を傾げると、得物を構えた。
「おお、余裕ではないか。俺などいつでも殺せる自信があるというわけだな?」
「そんな……」
 瞬閃の斬撃を、巴はやっとのことで防ぐ。
「そんなわけ……」
「どうした、小山徳教を助けるのではなかったのか、ツルギトモエ?」
 <双頭剣>は厭らしいまでに隙だらけだった。
 首や心臓など、致命傷になる場所だけをがら空きにして、それ以外の場所は許さない。
「やめて……」
 巴の喉から悲痛な声が漏れる。
「やめてください、こんな……こんな……」
「やはり……売り渡すのだな、ツルギトモエ?」
「違う! そんなこと……」
「では俺を殺すがいい」
 揶揄。
 <双頭剣>は巴のすべてを理解して、その心を追い詰める。
「あ……うあ……」
 巴は、もはや戦えるような状態ではなかった。
 剣を取り落としてこそいないが、振ることも出来ない。
 絶対に徳教を助けたい。
 紛うことなき真実の思い。
 しかし、だからといって人の命を奪えるわけがない。
 そんなことは絶対にできない。
 絶対と絶対が、矛盾する。
「さあ、どちらにするのだ、ミス剣?」
 その声が、とどめとなった。
 光が消え、エメット=ニルディーナが音を立てて転がる。
 巴は己を抱くようにして、膝を突いた。
「う……うあああああああああああああっっっっっ!!!!」







 防砂林に無数の朧な人影。
 そんなものに徳教は襲われていた。
 知らない存在。
 知識にもなければ推測もできない。
 ただ分かったのは、この影に触れられると魂がごっそりと削られるということ。
 一度偶然に触れさせてしまった、それだけで知った感覚に襲われた。十回も触れられれば魂が砕けてしまうだろう。
「主よ、これは魂の欠片だ」
 触れられてもジルの方は平気そうだった。
 だから先に立って影を切り払ってくれているのだが、影は全方向から近付いてくる。
 影そのものは強くなどない。動きは単純だ。
 だが、触れられるだけで魂を削られる以上、無理に突っ切ろうなどとすればあっという間に砕けてしまう。
 ゆえに、地道に数を減らしてゆくしかない。
「一体何だっていうんだ!?」
「だから、魂の欠片だ。どうしてこんなものが存在していられるのかまでは判らないが」
 そう言うジルの声にも苛立ち。
「ともあれ、邪魔をするために使われてるのだろうな」
「くそったれ!!」
 徳教は前方を睨みつける。
 そちらにあるのは海だ。
 そして、先ほどエメット=ニルディーナの反応があった。
 だが、それから随分と時間が過ぎ去ってしまった。
「主よ、こいつらの発生源が特定できたぞ」
「どれだ!?」
「見えないだろうが、向こうの方50mほどにペンダントが落ちている。それだ」
 さすがにそれは見えない。
 が、確認できるまでに接近して壊すしかないだろう。
「行くぞ、ジルっ!!」
 悲壮な声。
 徳教の乱れた心をジルは理解する。
 憂えげにまなざしを伏せた。
「了解」










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