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八の字の巣穴

八の字の巣穴

第百七話「彼方よりの手紙」

 それはまだ、二十一時頃のこと。
 かちゃりとドアが開く。
 会議室の中で待たされていた宗一郎には、誰が入ってくるのかが分かっていた。
 少し前から<凌駕の剣>ゼルディアス=ザンティオンであろう存在が近付いてくることには気付いていた。
 ならばともにいる人間はまず間違いなく。
「よう、久しぶり!」
 予想通り、竜座北斗がにぱっと笑っていた。
 宗一郎も軽く手を上げて返す。
「久しぶり」
 見たところ、北斗に変わりはないようだ。
 相変わらず、これでもかというほど快活そうな雰囲気。
 北斗はちょうど向かいの席に座り、その傍らにはゼルディアス=ザンティオンが薄い笑みを緋雪に向けて立つ。
 そして、最後に入ってきたのは身長2mを越える巨漢だった。
 二十代半ばから後半ほどの、白色人種の男。
 つんつん立った短い金髪が特徴的だ。
「いよっ、しばらく見ねえ間に美人になったなあ、朱鷺子嬢ちゃん」
 男は流暢な日本語で人懐こい笑みを浮かべた。
 朱鷺子も小さく笑って一礼する。
「お久しぶりです、ナルハ殿」
 ナルハ・ノイエブルク。
 第二階位<覇王の剣>ヴァン=クレージュの遣い手にして、<フレイ>の二つ名とともに世界最強の一角として名を馳せる男だ。
「次の休みの日、暇か? 是非是非一緒に遊びに行こうぜ?」
 女好きとしても有名だが。
「なぁに、<楽園>なんざ今日明日に降って来るもんじゃねえ。こういうときこそふてぶてしく構えてられるくらいじゃなきゃな」
「お~い、俺の目の前で娘を口説かんでくれよ」
 ホワイトボードの前の席から、のほほんと口を挟む鬼十郎。
 その斜め後ろには理美が控えている。
 ナルハは肩をすくめて北斗の隣の席に腰掛けた。
「お目付け役なんざめんどくさいと思ってたが……なかなか役得だったな、こんな美人に囲まれることができるとは」
 ナルハ・ノイエブルクという男は<カルテル>の遣い手ではなく、世界中を自由に旅している男だ。
 そんな人間が<カルテル>所属の北斗のお目付け役というのは本来ならば実におかしな話ではあるのだが、それだけその力と人柄に信を置かれているということである。
 ナルハは友を裏切らない、女であれば敵であっても裏切らない。弟子である北斗を裏切ることも、当然ありえない。そしてそれを利用しようとする者には容赦をしない。
「で、そこの男がアウリュエルスト=サイファーの遣い手……宗一郎だったか?」
「ええ」
 宗一郎は短く頷く。
 するとナルハは大きく身を乗り出して、囁いて来た。
「どうだ? 明日あたり北斗と三人でナンパいかねえ?」
 さすがは北斗の師匠だと、宗一郎は感心せざるを得なかった。
 この恐ろしいまでの身も蓋もなさには、北斗もまだまだ及ばない。
 と、宗一郎が反応する前に緋雪が名を呼んだ。
「宗一郎」
 いつもの無表情にも見える澄まし顔で、ただそれだけ。
 しかし秘められた意味は宗一郎には分かりすぎるほどに分かる。
 そして、ナルハにも理解できたようだった。
「ううむ……残念だがそりゃ仕方ねえな」
「いや、元から断る気でしたが」
「あ~……いい加減話を始めていいかね?」
 相変わらずののほほんとした調子で鬼十郎の声が割って入る。
 ナルハはまたも肩をすくめて椅子の腰を落ち着けた。
「はいよ」
「それでは説明します」
 理美が言うとともに、それぞれの手元に一枚の紙が配られた。
 最初に眉を顰めたのは北斗だった。
「……何だ、こりゃ……」
 紙に書かれていたのは、文字らしきものの羅列だったのだ。
 とりあえず、よく知った文字ではないということだけは判るが、何と書いてあるのかは理解できない。
 一度そう思ってから、宗一郎は再び見返してみる。
 文字は第二素の影響を受けるものだ。第二素そのものを扱えれば意味を直接理解できたのかもしれないが、それは宗一郎にはできない芸当である。
 が、そこからせめて音としてだけでも浮かび上がらせ、そして苦笑した。
 見たことならば、あるではないか。すっかり忘れていた。
「……しぃりす えぅた れえ めくあ おぅらきあ……」
 そこにいるうちで、緋雪とゼルディアス=ザンティオン以外の全員が目を丸くした。
 二枚目の紙を配ろうとしていた理美が、思わずといった風に言う。
「……読めるの?」
「……『想いは夢の庭の道を開く』」
 そう呟いてから、宗一郎は緋雪を振り返る。
 果たして緋雪は頷いた。
「それで概ね正しいですね」
「……ええ、そのようね」
 理美は一度止めていた手をまた動かして二枚目の紙を配った。
 今度は日本語だ。
「原文は一週間ほど前に<ブーツ>の<十戒>の生き残りがオランダで見つけたものだそうです。それを<滅神の剣>ナラネル=エルイトアードが訳したものがこれなのですが……」
 <滅神の剣>ナラネル=エルイトアードは第一階位のひとつ。
 理美の告げた名に、それなら読めるだろうと宗一郎は納得する。
 それから訳と原文を見比べつつ読み進めてゆく。



『想いは<夢の庭>の道を拓く』
『私が以前そちらへと行く原因となったカウアディスの秘宝の解析が進みつつある』
『まともに起動させた場合の制御法の確立には程遠いが、いくつもの世界の様子を短い映像として見ることが出来るようにはなった』
『おそらくはお前の世界であろうものもそこには含まれている』
『その解析の過程において、魔導工学博士カウアディスの記した資料がひとつ、つい先日発見された』
『異界よりの来訪者とカウアディスとの戦いを記したものだ』
『来訪者は<夢の庭>なる夢幻の力によってこの世界を侵蝕していったという』
『現在お前の世界が置かれている状況はそれに酷似しているように思われる』
『世界移動のこの秘宝も、元々は<夢の庭>に魔導術では対抗できなかったがために、異界より対抗できる戦力を手に入れるために開発されたらしい』
『具体的にどのような戦力を手に入れたのかは分からないが、その後もカウアディスが生きていたことや<夢の庭>が他の記録に残っていないことからすると手に入れることはできたのだろう』
『冒頭の一文は手に入れた力を表すのであろうものだ』
『私にはこのくらいのことしかできない』
『そもそもこの紙一枚にしても、送る理論が仮説の段階だ』
『送る試行も初めてで、届くのかどうかも判らない』
『届いても、人が何十億もいるのではお前の元まで辿り着く保証はまったくない』
『だが、無駄と諦め何もしないよりは良いと思う』
『ささやかながらもこれがお前の力となることができることを切に願う』
『夕暮れに我が決意を知り、宵闇に別れた我が友、ソウイチロウへ』
『リストリア=テラ=ドゥーム』



 そうだ、こんな雰囲気だったと思い出す。
 これは紛うことなくリストリアが自分に宛てた手紙なのだと、宗一郎には判った。
 そして、自分が呼ばれた理由も。
「ってなわけなんだが……心当たりあるかい、宗一郎君?」
「ええ」
 鬼十郎の問いに頷く。
 そして朱鷺子もわずかにまなざしを細めた。
「聞き覚えがあるな。あのときの少女か」
 さしもの理美がため息をついた。
「それは、異世界からの来訪者と接触したのを隠していたということ?」
「ええ、リストリアにとっては百害あって一利くらいしかありませんから」
 本来ならば大きく糾弾されてしかるべきことであるにも係わらず、宗一郎はいけしゃあしゃあと言ってのける。
 引き合わせればリストリアにとって知識を大きく広げる機会にはなったろうが、逆に多くの者がリストリアを欲しがることになっただろう。統合本部からも毎日のように催促が来ることになっていたに違いない。
 この世界の者がリストリアの世界についての知識を得る機会を失わせたことにも違いないのだが。
「この手紙からするに、どうやら世界移動の装置か何かの解析進めよるみたいですから、そのうちまた誰か来るでしょう」
「まあ、いいさ。おかげでこうやってはるばる異世界からアドバイスが来たわけだ」
 鬼十郎はさして気にする様子も見せなかった。
 正面の北斗とナルハはいい笑顔で親指を立てている。よく女の子を守った、ということだろう。
 ともあれ、これで北斗がここに呼ばれた理由が宗一郎には分かった。
「北斗が<楽園>……<夢の庭>までの道を拓いて、私が今度こそ葬り去るっちゅうことで?」
 鬼十郎に視線を向けて言う。
 尋ねるというよりは確認だ。
 <凌駕の剣>ゼルディアス=ザンティオンは遣い手の想いを力に変える。その力とこの手紙の内容を照らし合わせれば、ゼルディアス=ザンティオンをもって道を拓こうと考え付くのは当然のことだ。
「できるかね?」
 鬼十郎は北斗とゼルディアス=ザンティオンに、これも質問の形式を取った確認の口調を向けた。
 ゼルディアス=ザンティオンがうっすらとした笑みを浮かべ、頷く。
「そうだね、可能だよ。でもまだ早いね。北斗にはもうちょっと修行を積んでもらわないと」
 その言葉の意味を正確に察したのは緋雪だけだった。
 ゼルディアス=ザンティオンの力を発揮させるのには想いさえあればいい。思い込みではない真の想いさえあれば、この程度のことは容易い。
 北斗の想いは現時点でも<夢の庭>への道を切り拓いてみせるだろう。
 しかし、その想いに呼応したゼルディアス=ザンティオンのもたらす力に、まだ北斗の魂が耐えられないのだ。
「ふむ、いつ頃なら可能になるんだ?」
 鬼十郎は、今度こそ尋ねる。
 この場を知っているのは、日本支部と<カルテル>、そして<ブーツ>だけだ。
 <楽園>についてはまだ信じていない支部が多く、何より統合本部に本腰を入れる気配がない。それらの下らぬ見栄や利害が絡まぬうちに、純然たる駆逐の爪牙をもって未曾有の危機を撃退するべく設けられた。
 日本支部と<カルテル>の一致した意見であり、戦力低下著しいために国を離れるわけにはいかずこの場に姿こそ見せていないが<ブーツ>も肯っている。
「そうだね……早くても一ヶ月くらいじゃないかな、北斗でも」
「一月……他の支部や統合本部に隠蔽しきれる限界もそれくらいかと」
 ゼルディアス=ザンティオンの示した期間に理美が見解を示す。
「ふむ……まあ、君と俺とが頑張れば保つか」
 鬼十郎は顎に手を当てて思案した後、北斗に視線をやった。
「では、一ヶ月でいけるかね、北斗君?」
 口調こそのほほんとしたものだが、とてつもなく重い言葉だ。
 その一月という期間には全人類の命運が委ねられている、ひいては北斗一人に乗せるわけでこそないものの双肩にかかっていることには違いない。
「おっし! んじゃ、早速特訓といきますか、師匠!」
 当の北斗は、重大な役目を背負わされたことなどどこ吹く風といった様子で、むしろ嬉しそうに立ち上がってナルハの肩を揺すっている。
 使命の重さを理解していないのではなく、理解した上で背負うことを当然としているのだ。
 とてつもない力を持ちながらもそれに溺れず、己の成すべきことを見つけては惑わず、能く人を思いながら闘い続けることを当然とする。
 人類の守護神。
 人より出でて人を超える力を持ちながら人の心で人を守る存在。
 人を守り、敵を打ち滅ぼし、弱きものをも敬い、強きものをも慈しむもの。
 <闘神>と呼ばれるもの。
 その道を確実に北斗は歩んでいる。
 成るだろうと鬼十郎は思った。
 偽りの<闘神>候補、真の<闘神>候補、何人も見てきた中でただ一人、成るだろうと思えた。
 未だ完成せざるとも、あと十年も要るまい。
「宗一郎君の方は大丈夫か?」
 今度は宗一郎を見る。
 はたらく場所は違えども、担う重さは同じだ。
 宗一郎はいつもの茫洋とした表情ではなく、ふてぶてしいとも見える薄い笑みを見せた。
「無論です」
 そこに凄みはまったくない。
 こちらも当然のことを当然と言っている、そんな印象。
 紙に書かれた原文に視線を一度落としてからこちらも立ち上がる。
「北斗」
「おう」
 呼ばれた北斗はにぱっと笑う。
 それ以上は特に言葉を交わすでもなく、視線が一呼吸の間交錯していただけ。
 それで充分だった。
 この男はやってくれるだろうと、思えた。
 そして、次は横。
「朱鷺子」
「何だ?」
「<楽園>への道を無理に拓いたら、多分漏れてきた力で怪異やら何やらが大量に現れる」
 それは本来、朱鷺子だけに言うべき言葉ではない。
 が、不自然には思わなかった。
 朱鷺子も、ただ頷いた。
「ああ、任せておけ」
 不思議と言えば不思議な光景。
 世界の命運を秘密裡に語る場で、その先端にいるのは十代の人間。
 だが、と鬼十郎は思う。
 強き在り様、意思、厳然たる力、そのようなものを前にして、ただ重ねられた年月など何の役に立つだろう。
 経た年月はただの過去、今持てるものは何であるかだけだ。
 誰よりも波乱に富んだ生を送ってきた鬼十郎だからこそ、そう思う。
「ま、なんだ……気合入れすぎてこけないように」
 しかし、あくまでも飄々として、閉めた。










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