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ねぎとろ丼

ねぎとろ丼

何度私を泣かせたら気が済むの

 私は幻想郷の中でも強大な力と妖力を備えた妖怪の一人、風見幽香。花が大好きで、人間も大好き。
 花に対する好きは恋に近いもの。でも人間は違う。人間は食料の一種として、好きなだけである。
 私はいつもたくさんの花を咲かせた畑で過ごす。その傍を時々人間が通りかかる。
 お腹が一杯なときは会釈して無視する。でも食事が見つからないときに通りかかれば、捕食する。
 そんな毎日。
 ある日、一人の青年が通りかかった。
 その青年は水を汲んで来ましたと言うなり、花に水をやらせてくださいと頼んできた。
 彼の左手にはバケツ。右手には赤いジョウロ。私に戦いを挑みにきた人間には見えなかった。
「させてもらえないですか? 僕も花が好きなんです」
「何言ってるの?」
「させては、もらえませんか?」
「……今すぐ消えなさい」
 睨みを効かせると、彼は残念そうに帰っていった。花と過ごす時間を邪魔されて、とても不快だった。

 その青年は次の日も来た。手には昨日と同じく、バケツと赤いジョウロ。
「こんにちは。今日も来ました」
「……そう」
「あの、させてはもらえないですか?」
「……私の邪魔をしない程度になら、いいわよ」
 彼は私の言葉を聞いて嬉しそうな顔をした。早速、彼は向日葵達に水をやり始めた。
「昨日は突然お邪魔して、すみませんでした。驚かせてしまいましたか?」
「そうね、驚いて捻り潰してしまうところだったわ」
 そう返事をすると彼は黙ってしまった。妖怪の私を怖がっているからなのだろうか。
 なのに花に水をやり始めると、また嬉しそうな顔に戻った。
 変わった人間だ。
「あの、水が無くなったので今日は帰ります」
「さっさと帰りなさい」
「あの、明日も来てもいいですか?」
「……」
「では、失礼します」
 私の無言を彼はどう受け取ったのだろうか。

 結局、彼は次の日も来た。
「……また来たの?」
「昨日訊いてみましたけど、何も仰らなかったので」
「来ていいとも言ってないけど?」
「えっと……」
 どうしようもなく、困ったという感じ。
 昨日の彼は隙あらば私を襲ったり、私の邪魔をするというようではなかった。
 なので別にいいだろうかと半ば諦めで、私は彼の願いを受け入れることにした。
「……別に、いいわよ。騒がなければね。花は喜んでいるみたいだし」
「そうですか」
 彼がにっこり笑う。私と一緒にいたいだなんて、この青年は気でも狂っているのだろうか。
 いつでも殺して、食べることだって可能なのに。私が妖怪であることなんて知っているはずなのに。
 どうして彼はここへ来るのだろうか。
「見てくださいよ、花の妖精も喜んでくれています」
「え、ええ。そうみたいね……」
 気のない返事に満足したのか、彼の表情は生き生きとしたものになった。
 今日も彼は赤いジョウロで花達に水をあげた。
 そして水が無くなると、申し訳なさそうに帰りを告げる。
「あの、明日も来てもいいですか?」
「……」
「それじゃあ、お暇します」
「待って」
「はい?」
「……来てもいいわよ」
「ほ、本当ですか」
「ハッキリしたほうがいいでしょう?」
「あ、あの……。じゃあ失礼します」
「ええ、またね」
 私は彼の問いに肯定的な回答をした。
 どうしたんだろう。私の貴重な一人の時間を、自分から他人と過ごそうとするだなんて。
 でも悪くは無いかもしれない。今日そう思ったから、明日も来ていいと答えたんだ。

 翌日、彼がまた来た。私を見るなり、赤いジョウロを振り回していた。
「あの、こんにちは」
「こんにちは」
「……あ」
「どうかしたの?」
「いえ、初めて会ったときから、やっと挨拶を交わしていただけたと思いまして」
「あら、そうだったかしら」
「ええ」
「ふうん」
 楽しそうに彼が笑う。釣られて、微笑んだ。
「あ。笑顔、初めて見せてくれましたね」
「そうかしら。私はいつも笑顔を絶やさないようにしてるわよ」
「いえ、その……いつもは怖い笑顔ですけど、さっきのは見てる人を楽しくさせるような笑顔というか」
「どうだっていいじゃないの、そんなこと」
「まあ、そうですね。ところで、何とお呼びすればいいんでしょう。風見さんでいいですか?」
「幽香でいいわ」
 今日も彼は向日葵や名前の知られていない小さな花に水をあげる。
 小さなことに驚いた彼は私に報告する。それは私にとってどうでもいいことか、すでに知っていることばかり。
 そのはずなのに、おどけてみたりしてしまう。目の前にいる人間なんて食料であるはずなのに。
 どうしたんだろう。今は彼と同じように笑ってみたいと思う自分がいる。
 彼の笑顔をもっと見たいと思っている。もっと彼の話を聞いてみたいと思っている。
 バケツの水が無くなったのか、彼は帰ると告げた。
「また来てもいいですか?」
「ええ、いいわよ」
「では、幽香さん」
「気をつけてお帰り」
 私は彼が見えなくなるまで、小さくなっていく後姿を眺めた。

 次の日。彼はバケツとジョウロだけでなく、小さい包みを持って来た。
「あら、こんにちは。それは?」
「お弁当です。もしよろしければ、どうぞ」
「あらそう、気が利くわね」
 私は遠慮なくそれを頂いた。彼も近くに座ってつつく。
 その弁当は美味しかった。普通といえば普通の美味しさだが、気に入った人間の弁当ということで少し特別に感じた。
「あの、お口に合いましたか?」
「そうね、また作ってくれるなら遠慮なく頂くわ」
「それは良かったです」
 優しそうに笑う。私も真似るように、頬を持ち上げた。
「では花に水をあげますね」
「まあ、ゆっくりしていきなさいよ」
 彼が水をやっている間、私は隣を歩いて彼からの話を聞いた。
 なんでも花屋の息子さんらしく、小さい頃から花に興味があったそうだ。
 家族は四人で、姉がいるとか。父がマジメだとか、母は逆にマジメではないとか。
 私は彼自身に興味が沸いたので、もっと話を聞かせて欲しいと頼んだ。
 談笑しつつ、ジョウロの水が無くなったのか。彼が帰宅を宣言する。
「それでは、また明日」
「そうね、また明日来て頂戴」
 気がつけば私は彼がここへ来ることに、一切抵抗を感じないようになっていた。
 
 太陽が昇る。花の妖精達が向日葵の向きを変えて遊ぶ時間の始まり。
 そして今日も彼が来る。ただ、その日は彼以外に来客がひとり増えていた。彼がその一人を連れて。
「こんにちは、幽香さん。紹介します、僕の姉です」
「始めまして、弟がお世話になっています」
「……いえ、そんな」
 予想外の来客だった。彼のお姉さんが来るなんて思ってもいなかったから。
 正直なところ歓迎するような気分ではなかった。人間が好きではないのだから。
 とはいえ気の許した彼が連れてきたので、邪険には扱えない。
 私はできるだけ早く帰って欲しいと思いながら、お弁当に呼ばれた。
 その間、彼は姉と仲良さそうに食べていた。私のことを彼女に話すことで忙しいみたいだった。
 その時間中、私はとても不快だった。
 彼が私以外の女性と楽しそうに喋っているのを見ていて、胸に虫酸が走る。
 なんなのだろう、この気持ち。今すぐに彼のお姉さんを絞め殺したい気持ち。
「ねえ、帰って」 
「え、どうしたんですか幽香さん」
「帰って。今すぐここから消えてなさい。さもなければその手腕、引きちぎるわよ」
 彼の姉は私が何者なのか理解しているからか、そういうと腰を抜かせて逃げていった。
 しかし彼は逃げなかった。事情を理解してないから。
「幽香さん、僕の姉が何をしたって言うんですか!」
「黙りなさい。あなたも、もう二度と来ないで。これは脅しじゃないわよ?」
 私は彼の左腕を、飛び道具で撃ち抜いた。
 衝撃で倒れ、悶絶しながら痛みに堪えている。
「あら、一撃で殺してあげなくてごめんなさいね。次はきちんと息の根を止めてあげるわ」
 彼が傷口を押さえながら去っていくのを確認して、私は攻撃するのをやめた。
 名残惜しそうに振り返った彼を睨んで、私は彼を追い出した。
 
 次の日。彼は来なかった。向日葵達に水をあげようとする人間はいない。
 花の妖精達は彼なんてどうでもいいのか、いつものように飛び回っているだけ。
 私は胸が痛んだ。どうして昨日あんなことをしたんだろう。
 泣きたくもなった。その日お腹が空いても、何も入らなかった。
 彼のお弁当が食べたい。彼とお話したい。一緒に笑いたい。昨日のことを精一杯謝りたい。
 そのことが一杯で、彼のこと以外何も考えられなかった。

 その次の日。彼が左腕に包帯を巻いて現れた。
「あの、幽香さん。この前は姉が何かしたみたいですみませんでした。もう連れてきませんから、どうか許してください」
 土下座しようとする彼の手を取って、私は止めた。
「ううん、いいの。それより、謝らなければいけないのはこっち。貴方を怪我させてしまった」
「大丈夫です。血は止まっていますし、もう痛みも殆どありません」
「本当に? ああ、来てくれてありがとう。もう来てくれないと思っていたの……」
「そんな……。幽香さんがいいなら、僕は毎日来ますよ」
「ねえ、今日もお弁当持って来てくれた?」
「ああ、はい。勿論ですよ」
「そう、良かったわ。昨日からお腹ぺこぺこなのよ」
「え?」
「折角貴方が作ってきてくれるんだから、それでお腹一杯食べたいじゃない」
「幽香さん……」 
 彼はそれ以上言及しなかった。もしも迫られたら、私が彼に惚れていることを完全に認めてしまうことになりそうだから。
 僕のことをどう思っていますかなんて聞かれたら、黙って頷くしかできなくなりそうだから。
「さあどうぞ。見ての通り今日は張り切りすぎてお弁当を作りすぎたんです。でも、全部召し上がって頂けますね?」
「残さず全部頂戴するわ」
 食後。私は横になってしまい、うとうとしてしまった。
 気がついたときにはぐっすり眠っていた。枕として、彼の腕に頭を乗っかっていた状態で。
 今、彼が物凄く近くにいる。そして私は彼に迷惑をかけているかもしれない。
 そう思うと恥ずかしくなって、顔を上げた。
「あ、そのままでいてください。もう少し、幽香さんの寝顔を見せてください」
「……馬鹿」
 さっきまで彼が私の顔を覗き込んでいたと思うと、胸の動悸が激しくなってきた。
 私は寝た振りをして、今感じている幸せを噛みしめていた。
 日が沈んでいき、夕日へと。彼も家に帰る時間。
「腕枕をしてみたのはいいんですが、腕が痺れました」
「言ってくれればいいのに」
「でも、寝ている幽香さんはとても素敵でした」
「な、何言ってるのよ……」
「いえ、その、深い意味はありませんよ?」
「……」
「……正直なところ、可愛かったです」
「馬鹿……」
「そろそろ、帰ります」
「もう帰るの?」
「また明日来ますよ、幽香さん」
「ねえ、そのさん付けるのなしで、呼び捨てにしてよ」
「ゆ、幽香……」
「うん、それで構わない」
「なんだか、恥ずかしいです……。やっぱりさん付けにします」
 照れ隠しした彼の顔も素敵だった。

 次の日、彼は紙に包まれた一つの植木鉢を持ってきた。お弁当と水をやる赤いジョウロ以外にもう一つ、大きな荷物。
 その植木鉢からは普段嗅ぎなれている、甘い匂いがした。
「こんにちは、幽香さん」
「あ、呼び捨てでって言ったのに」
「ご、ごめんなさい……」
「謝るほどじゃないわ。慣れないなら、別にそのままでいいの」
「うん、やっぱり幽香さんで。あの、えとですね、今日は幽香さんにこれを持ってきました」
 彼は得意げな顔で植木鉢を掲げた。
「そんな風に包んでも、匂いで何かすぐにわかった」
「あ、やっぱりわかります?」
 はったりを使ってでも、少し引っ張ってみてくれた方が楽しいのに。もう少し彼には空気を読んで欲しいものだ。
 彼が包みを破る。それは一輪の花。
「この畑が少しでも賑やかにと思いまして、こっそり店から持ってきました」
 包まれているその花は、この畑に咲き乱れているもの。向日葵だった。
「またありふれたものを持って来てくれたのね」
「その、すみません……」
「謝るものじゃないわ。この畑にぴったりじゃない。本当、嬉しいわ」
「良かった、幽香さんに気に入っていただけて」
「あ、貴方のプレゼントだったら、何でも嬉しいわ……」
「え?」
「二度も言えないわよ、馬鹿……」
 肝心なところで鈍いなんて。ここまで来るとわざとしているようにしか、思えなかった。
 でも私は向日葵のプレゼントが心底嬉しかった。思わず、目をかいてしまうほどに。
 その後、向日葵を眺めながら彼の作ったお弁当を食べた。
 私は彼に自分の話をした。今までどんな人間に出会ったのか、どんな妖怪と付き合ったのか。
 そして、異性の好きな人はどんな人が好きかについて。
 私は彼に接吻を迫った。彼はそれに応じてくれた。
「ねぇ、これからもずっとここに来て。ううん、いっそ傍に居て欲しい」
「僕なんかで、良ければ……」
 私は彼を求めて、もう一度キスを交わした。
 もっと私を名前で呼んで欲しい。もっと優しくして欲しい。もっと近くに居て欲しい。
 彼が人間としての生を果たすまで、私は彼に添い遂げたい。
 彼を家に招待し、夜を共に過ごした。彼が求めるがまま、私は自分を差し出した。
 事が終えた後の彼は私への愛を囁いたりして、いつも以上に優しくて安心した。
 明日はどんなお弁当を作ってくるんだろう。彼の腕の中で、夜明けを望んだ。
 
 それから幾度となく、めぐり合う季節を彼と過ごした。
 博麗の巫女が様子を見に来たとき。霊夢は私ではなく、彼に用があると言ってきた。
 霊夢が彼と二つ三つ言葉を交わすと、霊夢は帰って行った。
 彼が言うには、妖怪と本当に一緒にいたいのかと訊かれたらしい。
 彼は迷いなく霊夢に肯定的な答えをしたと。嬉しくなって私はその晩、彼に思いっきり甘えた。
 白黒の魔法使いが通りかかったとき、私が彼と一緒にいるところを見て笑っていった。
 無性に腹が立ったが、彼がなだめるので何も言わず魔理沙の目の前で彼と口付けをしてやった。
 魔理沙はそれ以来、からかわなくなった。
 暫くして、私は博麗神社で正式に彼と夫婦になる儀式を行った。
 彼は私が望むならと、儀式を受け入れてくれた。
 霊夢は何も言わず、式を執り行うと約束したのだ。
 彼の家族が文句を言ってきたが、彼が縁を切ると言い出した。以来、彼の家族は何も言わなくなった。
 鴉の新聞で私と彼の結婚式は報道された。妖怪と人間の結婚だということで。
 馬鹿にする妖怪がいたりしたが、そんな者達には術の一つでも見せて黙らせた。
 今日も彼は赤いジョウロで花達に水をやり、私に微笑んでくれる。優しく守ってくれる。
 そんな幸せで一杯な日々も、いつかは終わりが来る。
 そう、私は妖怪で彼は人間だから。
 妖怪の寿命が長いのに対して、人間の寿命はよく生きて百年。決別が来ることは必然である。

 彼が七十歳の誕生日を迎えてから、数ヶ月が経ったときのこと。寒い冬の日のこと。
 彼は血を吐いて倒れてしまったのだ。それ以来、彼の寝たきり生活が続いた。
 私は彼につきっきりで看病した。彼は若いころと比べて皺だらけで、弱々しく、頼りなかった。
 でも彼が笑顔を見せてくれるたび、私も少しばかり元気が出た。

「幽香さん……」
「何、どうしたの? さすって欲しいところでもあるの?」
「いつ見ても綺麗ですね、愛してますよ」
「……ありがとう」

 彼に元気が戻ってくる様子は無かった。医療知識のない私が素人目で見てもわかるぐらい、日に日に彼の体力は落ちて行く。
 冬を越えて春がやってきたときのこと。ついに彼は息を引き取ってしまった。
 彼の最期は、お花畑でお昼寝をしているときであった。
 もう彼が私のことを呼んでくれることはない。彼が私に微笑んでくれることはない。赤いジョウロを握る彼の姿を見ることはできない。
 私は彼が最後に言った、手紙を見つけて読むことにした。
 それは使われなくなった弁当箱の中にあった。

 『最愛の人、幽香さんへ。
  この手紙はあなたと結婚式を挙げてからすぐに書いたものです。
  できるだけ落ち着いて、読んでください。

  ご存知の通り、僕は人間です。あなたは妖怪です。
  いつかは寿命が来て、僕が先にあの世へ行ってしまうことでしょう。
  でもどうか悲しまないでください。僕はあなたの泣き顔よりも、笑顔が好きですから。
  僕の亡骸は僕があなたにあげたひまわりの下へ埋めるか、好きにしてください。
  もしも幻想郷の人間へ生まれ変わることが出来たら、またお会いしましょう。
  僕はあなたと出会えて、幸せでした。こんな僕に甘えてくれたり、頼りにしてくれるあなたが本当に好きです。
  幽香さんを置いて死んでいく僕はあなたに謝りたい気持ちで一杯です。
  愛しています、幽香さん。どうかこれからも笑って、生きていてください。』

 この手紙を読んだ私は泣かずにいられなかった。
 私は手紙の通り、仏となった彼を彼のひまわりの下へ埋めた。
 手紙は燃やすことにした。ずっと持っていると、何度も読み返して悲しみに縛られるから。
 彼の赤いジョウロだけは持っていることにし、花に水をやる道具として使い続けた。
 私は妖怪。彼は人間。そしてその彼はもういない。
 今日も生きていくために人を襲い、お花畑で佇む。
 時間が過ぎて行き、白黒の魔法使いはいなくなる。博麗の巫女も代が変わったのか、今は違う名前。
 でも私は変わらない。人を攫って食う妖怪として生き続ける以外に出来ることなんて無い。
 いや、彼と過ごしてきた時間は違っていた。
 彼が言うには、良き妻として、良き愛人としてくれていたと。
 彼と一緒にいたときは妖怪であるにも関わらず、人間らしく生きていたのだ。
 でも今はもうそんなこと過去の話。
 私は花の妖怪、風見幽香。幻想郷強豪の妖怪として、生き続けるしかない。
 前までそうであったから。彼が居なくなったのだから。

 博麗の巫女がもう一代変わった程年月が経ったある日。
 一人の青年がこの畑を訪れた。
 その人間はバケツと柄杓を持っており、なんでも花に水をやらせて欲しいようであった。
 私は彼のことを思い出し、涙が出てきた。なんとか涙を堪えて、その青年を追い返した。
 その青年は次の日もやってきて。やはり水をやらせてくれと頼んできて。
 仕方なく了承して数日すると、お弁当を持ってくるようになって。
 私をさん付けで呼ぶようになって。私は彼の生まれ変わりであると確信して。
 私はその青年に「おかえりなさい」と歓迎して、青年に抱きついた。
「おかえりなさいって言われても、どうしていいかわからないんですが」
 青年はやはり彼のように、私が妖怪だと知っていても逃げたりしない。
 でもこの青年が彼と似ていることなんてこの青年は知らない。
 私は抱きついたことを謝罪し、これからも毎日ここに通ってとお願いした。
 青年は喜んで頷いた。
 その屈託のない笑顔は彼のものにそっくりで。
 私はこの青年を求めるようになって。
 青年も私を愛してくれるようになって。
 私達は恋に落ちて。
 私達は結婚して。
 一緒に住むようになって。

 そして新しい彼はいつか私を置いて彼岸へと旅立ってしまう。
 彼の魂は十王裁判を受け、転生するまでを冥界で過ごすのだろう。
 次に彼の魂が幻想郷の顕界に帰ってくるのは、いつになるだろうのだろう。
 私が生きている間に、もう一度彼の生まれ変わりと会うことはできるのだろうか。
 いくら私が妖怪といえども、いずれは寿命が来て死んでしまう。
 二人目の彼の亡骸を、初めの彼と同じところに埋めた。
 二人目の彼も初めの彼と同様に、手紙を残していた。
 読んでしまったらまた悲しむんだろうと思いながらも、読んで、泣いて、燃やしてまた一人になる。
 私がどうなろうと幻想郷は変わらない。
 里の人々は変わらぬ営みを続け、妖怪は陽気に暮らし、巫女は空を飛ぶ。
 今日もどこかで人が襲われ、妖怪は退治され、妖精は気ままに過ごしている。
 私が妖怪としての生を果たし、魂だけに成り果てるまで私はここで彼の魂を待ち続けたい。
 顔つきや性別、体格、声が全く違う人が水をやらせてくださいと、頼んできても私は喜んで歓迎したい。
 そんな者達はやはり初めに会えた彼だから。彼自身であるから。
 彼のように私の名前を呼んで欲しいから。抱きしめて欲しいから。甘えたいから。添い遂げたいから。
 だから私は、お花畑で今日も一人佇んでいる。

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