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蒼と紅 - 後編(+エピローグ)

   『決着』


 慧音は悪くない。私のやろうとしていることの邪魔をしているわけじゃない。
 慧音はとても賢い。あいつを殺せばどれだけ大変なことが起こるのかを、理解している。
 あいつが死ねば咲夜はきっと悲しむ。パチュリーも、美鈴も。館の皆が私を睨みつけて攻め立てるに違いない。
 本当に姉を殺せば、きっと慧音は私を軽蔑する。そのうち説教を始めるかもしれない。
 仕方がなかったと言えば家庭の事情として納得してもらえるだろうか。納得する風を装うに違いない。
 でも内心ではなんて悪い子だ、大変なことになった等、色々考え始めると思う。
 あいつの部屋を訪れよう。直接話をしよう。言いたいことを言って、あいつが私のことをどう思っているのか訊くのだ。
 今晩だ。陽が沈み、咲夜が寝付いてあいつが一人になっているときを狙おう。
 最近外に出してもらえるようになったのは何故なのか。あいつにとって、私は何なのか。私は、お姉様に愛されているのかどうか。

   ※ ※ ※

 目が覚める。部屋を飛び出して館内をうろついている妖精メイドに時間を尋ねると、今は昼時だと言う。
 どうしよう。夜まで時間はある。考え事を抱えているというのも案外疲れるし、誰かとお話したい気分。
 パチュリーとお茶を一緒する素振りで、相談するというのはどうだろう。本を読むことに急がしそうであるなら、無理を言ってでも相談に乗ってもらおう。
 パチュリーはあいつと仲が良いから、私のことで何か聞いているかもしれない。
 あいつを殺そうと企んでいることが気付かれることなど、ないだろうし。もし感づかれたのなら、死なない程度で静かになってもらえばいい。
 私は図書館を目指した。

   ※ ※ ※

 図書館ではパチュリー専属の使い魔や妖精メイド達が本の整理をしていた。
 少しかび臭い。あまり長くは居たくないといつも感じる。パチュリー自身は自分に振りかけている香水で気付かないのだろう。もしくは、慣れているのか。
 見上げても見回しても本だらけ。どれがおもしろくて、つまらない本なのかわからない。読み比べるだけで、何百年と暇が潰れるだろう。
 妖精メイドに案内させてパチュリーの元へ。思った通り本を読んで勉強中。ロッキングチェアーに揺られて、うとうとと眠たそうにしていた。
「ねえパチュリー、何の本読んでるの?」
「あら、妹様。珍しいわね」
 私に気付いて本を閉じた。悪い気がするが、話がしたいから仕方がない。
 パチュリーに勧められてロッキングチェアーへ。揺れる感覚が気持ちよくて、つい遊んでしまう。 
「楽しい?」
「うん、最高。私にも欲しいぐらい」
「さすがに差し上げることはできないけど」
 パチュリーに誘われて二人だけのお茶会へ。使い魔の小悪魔が紅茶を用意してくれた。砂糖は忘れない。
 冷ましながら、一口味わう。さっぱりとしていて美味しかった。パチュリーもこちらを見て、にこにこ笑っている。
「ねえ、パチュリー。いきなり訊くけど、最近私が外に出ていることはもう知ってる?」
「ええ、勿論。レミィから聞いてるわ」 
 そう言って、彼女も一口お茶を含んだ。私にクッキーを出してきたので美味しく頂く。アーモンドのいい匂いがするクッキーを。
「どう思う? 今までずっと閉じ込めてきたのに、今になって出してくれるなんて」
「妹様は、レミィが何かの遊びでもしていると思って?」
「うん。そうに違いない。パチュリーはどう解釈する?」
「別に。妹様をお外へ出してあげているとしか思わないけど……」
「ふーん」
「レミィが何か企んでいるって言ったほうが、おもしろかった?」
「ううん、そんなことない。そうだったとしても、どうせ何も出来ないんだから」
 全てはあいつの手中。釈迦の掌。あいつの企みを潰すにはあいつ自身を叩かなくてはいけない。
 いつも楽しんでいるのはあいつ一人。私が楽しいことなんて、一つもない。
「ねえ、パチュリー。私って、あいつにどう思われてると思う?」
「え? どうと言われても、レミィはあなたのことを愛しているはずよ?」
 嘘だ。本当にそうなら、もっと私と一緒にいてくれるはずなのだから。
 やっぱりパチュリーなんか当てにならない。あいつに直で話を聞かないと。
「そう、わかった。じゃあね」
 これ以上パチュリーと話しても無駄だ。部屋に引き篭もろう。夜まで時間を潰そう。
「待って、妹様」
「何?」
「レミィ自身があなたのことを想っていることは確かよ。誰よりも、ね」
「……」
 どんな意味があって、力強くそう言ったのだろう。私が何をしようとしているのか、わかっているのだろうか。 
 でも本気で私を止めようとしているわけではないから思い違いだろう。パチュリーには何も気付かれていない。
 美鈴や咲夜にも。ただ、あいつだけは察知しているのかもしれない。私の企てを。
 今夜、あいつの運命を終わらせてやる。

   ※ ※ ※

 夜。廊下の窓からはほんの少し欠けた月が見えた。まだそこらを妖精メイド達が漂っている。皆パジャマ姿。欠伸をする者もいた。
 あいつがいる、最上階で最奥の部屋を目指して階段を上る。部屋の扉をノックした。あいつの呼ぶ声が聞こえたので開け放つ。
「ようこそフラン。あなたの方から訪れるなんて、珍しいのね」
 あいつは自分の背丈よりもずっと大きな椅子でくつろいでいた。
 玉座に腰掛ける、一国の女王の様に。冒険者を待ち受ける、魔王の様に。因縁の敵を待ち受けるかのように。
 あいつは一人読書にふけって私を待っていた。
 私がどんな想いでここに来ているのか知らず、それを見下すようにだらしなく本を読んでいる。
 いや、私が何をするつもりで来たのか感づいているからこそ余裕のある態度を見せているのかもしれない。
「まあ座りなさいよ。さっき咲夜にお茶を持ってこさせたばかりだから、一緒にどう?」
「……」
「何怖い顔してるのよ。遠慮しなくていいじゃない」
 私の返答を待たず、ぴかぴかのカップへ湯気の立つ紅い紅茶が注がれた。テーブルに並べられるが飲みたくない。誘いには応じない。
「どうぞ、フラン。毒なんて入ってないわよ。まあ、毒なんてものが効くとも思えないけど」
 あいつの言葉に反応しかけたが、思いとどまる。私の言動があいつに支配されている気がしたから。気に入らない。つまらない。あい 
 一人楽しんで、私はいつもおもしろくない。今こうしている間も。
 砂糖たっぷりの紅茶よりも甘く、ケーキよりも美味しい真っ赤な液体。その真っ赤な液体が飲みたくて犬歯がうずうずするけれど、我慢した。
「ねえ、お姉様。話があるんだけど」
「言って御覧なさい」
「……言わなくても、知ってるくせに!」
 もうあいつの前で言葉を我慢することにも限界だった。今まで散々呟きで堪えてきたことを、わざとらしく声を大きくして話した。
「ええ、そうね。予想ぐらいついているわ」
私の返事まで読んでいたのか、笑顔で相槌を返される。
あいつの言葉を聞いて奥歯をかみ締めた。放置されているカップを、あいつに向かって投げつける。振り払われてカップが壁に当たり、砕けた。
中身が飛び散り、部屋に独特の匂いが立ち込める。それは鉄の匂い。美味しそうな匂い。
「もう、フランったら急に暴れだしてどうしたのよ。そんなのじゃあ、この先お外に出してあげれるなんて出来ないわね」
「そのことを訊きたかったの! 何よ、いちいち勿体ぶって……癪に障るのよ!」
 テーブルに拳を叩きつけた。大きな音を立てて、テーブルが粉々になり、破片が飛散する。けれどあいつは無反応だった。
 その上に置かれていたポットが割れたのか、中の血がそこら中に広がった。
 握りこぶしが痛い。が、そのうち収まるだろうからどうでもいいことだと割り切る。
「フラン、こんな遅い時間に大きな音立てちゃあ駄目でしょう? 謝りなさい」
「……答えて。どうして私を外に出してくれるようになったの」
 あいつはすぐに答えようとしなかった。私をじっと睨んで動かない。
「フラン、もう一度言うわ。謝罪しなさい。ごめんなさいお姉様って。今すぐに」
 再三にわたって私の神経を逆撫でする。私は殺気を抑えきれなくなり、利き手に力を込めた。
 赤い炎を纏っているかのような魔剣が伸びていく。それを見せ付けるように、切っ先をあいつの喉へ突きつけた。
「どうぞ好きなようにおやり。今すぐ串刺しにすればいい。でもそれで満足したら、土下座しなさい」
「……え」
 ここまでしたのにあいつは動じない。むしろ驚かされたのは私。あいつ、いやお姉様の威光に怯んで、魔剣を引いてしまった。
「あら、優しいのねフランは。それとも、ここまでやっておきながら怖気付いた?」
「……」
 とうとうお姉様の毅然とした態度に私の心が折れる。気がついたときにはお姉様の前で跪いていた。
 ごめんなさい、申し訳ありませんでした、私が悪かったですと呟く。
 恥ずかしかった。お姉様が体を張って私と話してくれているのに、私はなんて臆病なのだろうと。
 私は全てを投げ打ったつもりでここまで来たというのに、いざ向こうが胸を張ったときに自分が何もできないなんて。
「フラン、顔をお上げ。もういいから」
 見上げるとお姉様は笑っていた。不気味なものじゃない。とても優しそうなお姉様としての、笑顔だった。
「お姉様……」
 そしてお姉様は、私を強く抱きしめた。考えても居なかったお姉様の行動に、開いた口が塞がらない。 
「フラン、私はあなたを今まで館内に閉じ込めていたわ。あなたが興味本位で人里を襲うなんてことをすれば、幻想郷全体に影響が及ぶから。だけど巫女や人間の魔法使いがあなたの所へお邪魔し、あなたは咲夜以外の人間を知った。そしてここ数日、私の言いつけを守り、人間を襲いもしなかった。数日間様子を見ただけじゃあ何とも言えないかもしれないけれど、あなたはもう子供じゃないわ。もう閉じ込めるのも可哀想だから、いつでも外へ遊びに言っても構わない。二つだけの条件を守れるなら」
「……なあに、お姉様」
「何度も言ってることだけど、人間を襲わないこと。もう一つは遊びにでかけても、必ず帰って来ること。そうして、私に元気な姿を見せなさい」
「お……お姉様!」
 私も強く抱きしめ返した。
 考えた事がなかった。私の行動一つで、幻想郷に危機をもたらす恐れがあるということを。
 そしてお姉様が大変なことにならないように見守っていたことを。いや、想像したことはあった。
 でも本当にそうしていたとは信じられなかった。私はお姉様に嫌われていると思っていたから。のけ者扱いされていると思っていたから。
「フラン。私はあなたをずっと邪険に扱ってきた。けれども、あなたを愛する気持ちは不変だった。これからもね」
 お姉様は私のことを心から想ってくれていたのだ。その気持ちに気付かなかった私は、いままで踏みにじっていたのだ。
 お姉様の優しさに気付かず、私は長い間一人であいつ、あいつと呟いていたのだ。
「その……お姉様は、私のこと好き?」
「ええ。誰よりも。愛すべき私の妹として。父と母以上に、私はあなたを愛している」 
「お姉様、私は今まで……お姉様がそんな風に考えていたなんて知らなかった。だから私はずっと憎んでいた。敬わなかった。でも今は違う。心の奥底から、私はお姉様を慕いたいと思っている」
「ありがとう、フラン。こんなにも姉想いの妹を持って、幸せよ」
 私は何も知らなかったのだ。自分は子供じゃないと威張って、能力を振り回し、遊びまわって自由気ままに暮らしていただけだった。
 吸血鬼として生まれた意味なんて考えたことが無かった。常識や理性について考察したことなんて、殆ど無かった。
 私が悪さをしてお姉様に叱られることは多々あった。だからお姉様以外に怖いものなんて殆ど無かった。
 日光や流水、木の杭なんかは当然怖いが、恐れる程の者は皆無だった。妖精メイドに注意されようが能力で潰してしまえば何も言わなくなるのだから。
 私は自由だと思っていた。何をしても許されると思っていた。それは間違いだった。
 してはいけないことがわかっていないために、お姉様は私を閉じ込めていたのだ。
 ここ数日間。私は慧音と出会い、人間について少しだけ学んだ。人間はとても弱く、力も無い。その分私が遊び呆けている間必死に働いているということを。
 慧音がどうして体を張れるのかはまだ良くわからないが、慧音と出会ったことでほんの少し大人に近づいた気がする。
 何より、外へ出たときの楽しみが出来たのだから。慧音とお喋りするという、楽しみが。
「お姉様」
「なあに、フラン」
「今日は……今晩は傍に居て」
「いいわよ。何でもお話、聞かせてあげる」


   『感得』


 そのまま二人で夜を語り明かした。朝が来たから、お姉様のベッドで一緒にお休み。
 懐かしく感じる夢を見た。パパとママ、それにお姉様と私の四人が同じ食卓に着いている夢。
 皆笑顔で何かの肉をつまみ、血の様に真っ赤なワインを飲みまわしている夢。
 ママが私の羽は綺麗だと褒めてくれた。パパが私はとてもいい子だと頭を撫でてくれた。お姉様は私のことを愛しているって抱きしめてくれた。そんな夢。
 目が覚めたときにその光景を思い浮かべると感動して、涙が出てきた。隣を見ると咲夜におめかしを手伝わせているお姉様がいた。
「おはよう、フラン。悲しい夢でも見たの? それともそれは嬉し泣きから?」
「おはよう、お姉様。後者の方よ」
「そう。それは良かったわね」
 両目を瞑って笑顔を見せるお姉様。今まで見たことの無いような、眩しいもの。思わず、はにかんだ。
「おはようございます、フランドール様」
「うん、咲夜もおはよう。今何時?」
「夕方の、五時を過ぎた頃で御座います」
「そう、ありがとう」
 着替えを終えたお姉様に勧められて咲夜に飲み物を頼んだ。真っ赤な紅茶を。咲夜は頭を下げ、部屋を出て行った。
 限りなく薄い赤色のドレスで自身を整えたお姉様。好意を持って見ると、とても綺麗で格好良いことに気付く。リストバンドがとっても可愛い。
「折角だからフランもここで着替えていきなさい。私の服で良ければ、好きなのを差し上げるわ」
「お洋服もらえるの? お姉様が着ていたものを? 嬉しい!」
「ええ。あなたになら、どんな色がいいかしらね」
 お姉様が服を見立ててくれることになった。部屋のクローゼットを見ると、白や黒を基調とした洋服ばかり。
 お姉様とお揃いが良いと思って白いワンピースを取ろうとしたとき、お姉様が黒のゴシックドレスを選んだ。
「あなたと私が同じ色も良いけど、それではなんだかバランスが悪いわ。だからあなたには黒が似合うと思ったのだけれども……。どうしてもって言うなら、その白い方をあげるわよ」
「……ううん。お姉様が選んでくれた方にする」
「そう。じゃあ、じっとしてなさい。私が着せてあげるから」
 ボタンを外してもらい、普段着を脱がせてもらった。お姉様に手伝ってもらって、お下がりの洋服で飾ってもらう。
 ポットとカップを持った咲夜が入ってくると、慌てた様子でトレーをテーブルに置いた。
「お、お嬢様、そういうことは私に頼んでくだされば……」
「私がしてあげたいことなの。控えてなさい」
「……失礼しました」
 咲夜はお茶の用意をし始める。その間に、ドレスのリボンをお嬢様にきちんと整えてもらう。いつも首に巻いている黄色いリボンも忘れずに。
「はい、出来たわよ」
 咲夜がすかさず、私の背丈を越える大きな鏡を用意してくれる。口がにやけてしまう程に自分でも似合っていると思った。
「素敵じゃない、フラン。さすがは私の妹ね、何を着てもバッチリだわ」
「フランドール様、とってもお似合いですよ」
「えへへ……」
 鏡の前でくるりと回ってみせる。お洒落をお姉様に褒めてもらうことが、こんなにも嬉しいことだったなんて。
 折角だから今晩はこの格好で慧音の所へ遊びに行こう。
「お姉様、今晩は開いてる?」
「ううん、神社のところへ行かないといけないの。どうして?」
「あ、用事があるのならいいの。また今度でいいの」
「……わかってる。明日なら一日中、遊んであげられるから」
「わかった。お姉様に紹介したい人がいるの」
「あら、そうなの。それは楽しみね」
 少し残念。そう、少しだけ。焦らなくてもいい。お姉様と仲良くできる時間は、この先にまだまだ一杯あるのだから。
 夕食を皆と一緒に囲んで食べた。私がお姉様と笑い合っている様を見た美鈴も笑っていた。
 パチュリーも満足そうな顔だった。とても久しい晩餐会。お姉様に対してのわだかまりが取れただけで、こんなにも楽しくなれると思っていなかった。

   ※ ※ ※

 深夜、一人で人里へ向かう。
 デザートの血液ゼリーが美味しかったことを思い出しながら、新しい服の裾の匂いを嗅ぐ。ほんのり血なまぐさい匂い。
 慧音はこの格好を見て褒めてくれるのだろうか。お姉様にうんと褒めてもらったから満足と言えば満足しているが、やっぱり慧音にも見てもらいたい。
 いつも慧音が出てくる辺りまで飛んで行った。いつもならすぐに出てくるが、中々出てこない。仕方なく私は待つことにした。
 空を見上げれば今夜は満月。下を見れば夜の森。鳥が鳴いている。
 昨日と違って、まん丸のお月様。体中に力がみなぎってくる。
 いつもより速く飛ぶことができる。いつもより暴れたら楽しそう。そんなことを考えながら、慧音を待った。
 暫くして、遠くの木々からこっちへ向かって何かが飛んできた。咄嗟にそれを掴んでみると、木の矢。危うく目に刺さるところだった。
「……くそ!」
かすかに、人の声がした。低い男の声。数日前に現れた、私を狙っていたあの人間なのだろうか。
「黙って当たっていればいいのだ。この、化け物め」
 次々と矢が放たれる。避けることは難しくないが、とても鬱陶しい。私が慧音と出会うことはそんなにいけないことなのだろうか。
 何もしていないのに。それなのに人間は私を見ただけでのけ者扱いする。
 邪魔だ。面倒くさい。潰してしまえばいい。手を開いて人間を見つめ、利き手に力を込めて握れば遠くにいる男の人を消し去ることができる。
 だがそうしたらどうなる? 誰かが悲しむのではないだろうか? 私が誰かに叱られるのではないだろうか?
 慧音が見ればきっと私を殴りつける。お前は妖怪だから仕方ないかもしれない。
 だが殺すことは無かっただろうと、慧音が怒鳴るに違いない。 
 お姉様が見ればきっと私を軽蔑する。
 あなたは人間の敵、吸血鬼よ。だけど吸血鬼は安易に人間を襲ってはいけないの、などと言って説教をし始めると思う。
 吸血鬼の私が起こした問題は、同じ吸血鬼であるお姉様にも影響してくる。
 たとえ目障りだと思って一方的に襲われても、何もできないままだなんて。
 でも今我慢すれば良いということである。帰って人間に襲われたけど我慢したとお姉様に報告すれば、褒めてくれるかもしれない。
 だから私は飛んでくる矢を避け続けることにした。そのうち諦めて男が帰ってくれるかもしれない。
「やめてよ! 私何もしてないのよ? ここに来ただけなのよ!」
 そう思って口で言うことにした。私に殺意がないことをわかってもらえれば人間は帰ってくれるに違いない。
「うるさい! 悪魔の言うことなど、信用できるか!」
 肯定的な返事を期待したのに返答は矢による射撃。人間は聞く耳を持ってくれなかった。
 頼んでいるのに、構ってくれない。やり方がまずいのだろうか。もう手は無かった。
 いや、こういうのはどうだろう。ここで私がわざとやられて人間を満足させるというもの。
 例えば矢の攻撃を全て甘んじて受け、痛いと叫べば納得してどこかへ行ってくれるのではないだろうか。
 お姉様の、吸血鬼としてのプライドや名誉を守るために。今ここで自分の体を犠牲にすれば人間を誤魔化せるのではないか。
 これが自己犠牲というものなのだろうか。よくわからない。わからないけど、今そうすれば吸血鬼としての誇りを守ることができると思う。
 そう答えを出した私は避けることをやめた。幸い、今夜は満月。矢ぐらい刺さってもすぐに傷が治ると思う。
 矢はまず右足に突き刺さった。次に左肩。そして首の根元。血が吹き出た。お洋服は血みどろ。
 痛みに目を瞑り、歯を食いしばった。でも人間が喜んでいるみたいだ。そう、このままやられていればいいのだ。
 そのうち帰ってくれる。そう信じて。
「やめろ!」 
 女性の声がした。とても勇ましい声。目を開けると人間へ立ち向かうように慧音が居た。私を庇ったせいか、一本の矢が慧音の腹を貫いていた。
「け、慧音!」
「上白沢さん!」
 慧音の頭に目をやると見慣れないものがあることに気付く。白く、尖った角。
 人間には本来生えていないもの。動物によく見られる鋭い二本の角。
「フラン、見せてみろ。ああ、血が出てるじゃないか」
 慧音に矢を抜いてもらう。傷口には手拭を当ててもらった。
 お返しに慧音を痛めつけた矢を引き抜いてあげた。歯軋りをして、傷の痛みに堪える慧音。
 慧音の髪の色が少し違うことに気付く。翡翠の色が強い、碧色に染まっていた。人間は慧音の登場に驚いて、言葉を無くしていた。
「慧音、どうしたのその格好? 慧音こそ大丈夫?」
「ああ、お前には話してなかったな。私は満月の夜にだけ、こうして獣が混じるんだ」
「へえー。なんだか慧音、格好いいね」
「怪我の方も心配いらん。こんな体だから、そのうちすぐ治る。ありがとうな、フラン」
「……うん」
 私の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。帽子がずれる程の力強い愛撫に、思わず顔が熱くなった。
 慧音が人間の方を向く。怯えたような、弱弱しい悲鳴を上げる人間。
「お前は……フランはお前に何かしたのか? 前の様に、一方的に襲ったんじゃないだろうな?」
「そ、そいつが悪いんだ! そこの悪魔が……!」
「悪魔じゃない! フランだ! 彼女はフランドールだ!」
「ひ、ひいっ」
 私を指差し、声を荒げた人間を慧音が一喝。その怒号に驚いて、人間が尻餅をついた。笑顔になった慧音が私の頭へ手を置く。
「フラン、お前にも訊こう。お前は何も悪さをしていないよな?」
「してないよ。私は慧音の言いつけを守って、人間を襲わなかったんだもん」
 再び人間の方へ向きなおす慧音。人間は酷く怯え、蛇に睨まれた蛙の様であった。
「お前の証言が正しいのか? フランの言葉が正しいのか? どっちなんだ。今一度訊こう」
「も、もしかしたら……何もされてないかも……」
 慧音が咄嗟に人間へ掴みかかり、殴り飛ばした。
「妖怪だからとはいえ……人として、許されないことがあるだろうが! 今すぐフランに謝れ!」
「ひ、ひいっ! ごご、ご免よお!」
 そう言い残し、人間は脱兎の勢いでこの場を急いで去って行った。武器も忘れてひたすら暗闇へ。
「フラン、大丈夫か? ここが痛むんだろう?」
 手拭の上から傷口をさすってくれる慧音。少し気持ちが楽になった様な気がする。
「慧音、あのね、私言うとおりにしたよ。人間に手を出さなかったんだよ」
「ああ、お前の目を見ればすぐにわかったさ。フランは私の言いつけを守り、よく耐えたよ。いい子だ」
 慧音は私を抱き寄せ、力を込めた。私はその力強さに安心して、溜息が漏れた。
「ねえ慧音。ぼろぼろになっちゃったけど、見て。この新しい服、お姉様にもらったのよ!」 
 慧音から一歩離れ、くるりと回転してみせた。慧音は様々な角度から眺めながら呟く。
「ほお、可愛いものじゃないか。あの吸血鬼と二人並べば、いい絵になるかもな」
「それって、どういう意味……?」
「あれだ、明るい色と暗い色が並べば丁度いいじゃないか。陰陽玉みたいで」
「……うん。良いかもしれない」
 良かった、慧音にも受けて。ましてお姉様に見立ててもらったもの。慧音が喜ばなかったらお姉様にも喜んでもらえない。
「ねえ慧音。私、自己犠牲がどういうことなのか、少しわかった気がするの」
「ほう、自分で考えて答えをみつけたのか。偉いじゃないか」
「ふふーん」
 頭に受ける、嬉しい刺激。抑え切れない気分の高まりをどうにかしようと思い、慧音の頬へ口付けしてしまった。
 爽やかな表情で返事をもらう。自然と頬が持ち上がった。
「もうすぐ一番鶏が鳴く頃か……」
つまりそろそろ夜明けが来るということ。家へ戻るべき時間だということ。
 名残惜しそうに思って慧音を見つめる。すると慧音がやれやれといった仕草をし、私の頭に手を置いた。
「また今度、私から館の方へ出向いてやろう」
「本当に? 慧音が遊びに来てくれるの?」
「ああ」
「じゃあ、いい子で待ってる!」
 両手を精一杯振りまわして、お別れの挨拶。酷く痛んだお姉様の服を見て、叱られるだろうなと覚悟しながら紅魔館へ。
 真っ直ぐお姉様のところへ行くことにした。お姉様がお出かけ中であれば服のことは明日また話せばいいだろう。
 一番高く、最も奥に位置にする部屋の扉へただいまと声をかけて叩いた。
 暫くするとお姉様の声がしたので入っていく。良かった、いるみたいだ。
 私を見たお姉様は目を見開いてベッドから飛び上がった。
「フ、フラン! 一体どうしたのよ! 誰かに襲われたのね!」
 私の体のあちこちを触り、怪我の様子を見ているお姉様。吸血鬼が最も元気な夜のせいか、もう傷は塞がっていた。傷跡も殆どない。
「ええと、外をふらついていたら私を狙った人間がいたの。その人間は弓矢を持っていたんだけど、何本か当たってしまって……」
「あら、可哀想に。でももう血は止まっているのね。唾でもつけておきましょうか?」
 そういいながら、お姉様が私の額にキスをした。その行為に嬉しく思って、頭を掻いた。
「聞いてお姉様。私、人間に襲われたけど何もしなかったよ。我慢して、手を出さなかったんだよ!」
「まあ落ち着いて。来なさいフラン。眠たくなるまで私に何があったか聞かせなさい。いい子にしていた話なら、たくさん褒めてあげるから」
「うん!」
 太陽が昇ってしまっても、いや昇った太陽が沈む時間になってもお姉様と一つのベッドの上でお喋りをして過ごす。
 今夜何があったかを余すことなく報告して、頭を撫でてもらった。
「ところでね、お姉様。お姉様に知って欲しい人がいるんだけど──」
 慧音のこともたくさん話す。まだ会ってそんなに日は経っていないが、とても良い人で綺麗な人だとお姉様に説明した。
 お姉様は興味を持ってくれたようで、卑屈な笑顔を見せた。悪魔らしい表情。誇り高き吸血鬼としての顔を。

   ※ ※ ※

 お姉様と話しをしている最中に思ったことがある。
 よく考えることだが、私が人里を襲って人間を大量虐殺したらどうなるかというもの。
 例えばの話だが、手始めに美鈴とパチュリー、咲夜、小悪魔共々を粉々にしてみたらどうなるだろう。
 紅魔館の門はより生々しい赤に染まり、館内の綺麗なカーペットは血を吸ったせいで歩けばびちゃびちゃと音を立てるようになる。
 彼女達の腸で「ようこそ」という看板を作って紅魔館を飾ってみたい。
 
 巫女の首を跳ね飛ばし、魔理沙の四肢を引きちぎったらどうなるだろう。
 人も人でない者も集まるというあの神社の鳥居の下に、霊夢の乾いて骨と皮だけになった首を置いてやるのだ。
 誰も近寄らなくなるだろう。寂しそうに感じたのなら、魔理沙の心臓を横に置いてあげよう。ただし魔理沙の首は私のコレクション。

 妖怪の山というところで闊歩していると聞く妖怪共を皆殺しにしたら? 山に居る神々もついでに。
 人間を襲う妖怪と人間を守る神が居なくなれば人間達は不安の余り気を狂わせるだろう。

 魔法の森に住むという人形の魔法使いを殺して森を焼き払ってみたい。
 パチュリーから話に聞いたことのある魔法使いだ、少しは私を楽しませてくれるかもしれない。
 その魔法使い自身が人形の様な美しさを持つと聞くから殺さずに薬品着けで永久保存し、彼女の美貌を一人占めして鑑賞するのもいい。

 竹林に住むという月の住民とスペルカードバトルをしてみたい。
 その最中にルールを無視して月の人間達を蹂躙し、兎共を皆食べてやる。
 目で他人を狂わせることの出来る月の兎がいると聞いたことがあるから、その兎とどっちがどれだけ狂っているのか根競べをやってみたいところ。
 兎の目を見て尚狂えるというのならば、より狂ってみたいから。

 庭が綺麗だという冥界の庭園を無茶苦茶にしてみたい。
 亡霊や庭師がいると聞いたことがあるが、私の邪魔をするなら捻り潰す。
 亡霊は死んでも動けるのだから、その状態で痛め続ければどうなるのか実験するのだ。きっと学問の進歩に貢献できる。
 半人半霊という少女にも興味がある。人間の方が重症を負った場合に死んでいる方にどの様な影響が出るのか試して遊ぶのだ。
 悲鳴を上げさせたときに半霊が震えたりするとおもしろそうだ。

 死後の世界に無断で侵入して目に映るもの全て壊してみたい。
 閻魔様が出てくるのなら二度と口が聞けない程に体を抉ってやる。
 霊を管理していると言われている死神がいるとパチュリーから聞いた。彼らを全員言いなりにし、霊をあちこちに運ばせて冥界を滅茶苦茶にしたい。

 この館のすぐ傍にある湖も忘れずない。ありったけの熱量で湖を枯らしてみるのも楽しそうだ。
 頭が悪くて最強を自称するという噂の氷の妖精が現れようなら、徹底的に陵辱して実力差をわからせてやるのだ。
 羽を引き千切り、動けなくなる程攻撃した後に指の爪を一枚ずつ剥がして痛めつければ自分の愚かさを理解するはずである。

 マヨヒガという、隠れ里のような所も襲撃しよう。
 式神という者達を徹底的になぶり、境界を操るという妖怪は私の魔剣で貫いてやる。
 幻想郷でかなりの力を持っていると聞く妖怪の泣き言が聞けるのだ。さぞかし醜い喘ぎ声を響かせるのだろう。

 幻想郷に存在する野を焼き焦がし、地を割り、山を砕いて破壊の限りを尽くしてみたい。
 慧音がいる人間の里も忘れない。
 「いい子だったお前がどうして……」と嘆く慧音の首根っこを掴んで引き抜き、首から滴り落ちる血液を舌で受け止めて飲んでみたい。
 へそから腸を引きずりだし、それで縄跳び遊びでもしてみたい。
 慧音の目玉は甘くてとろける三時のおやつ。乳房の肉は焼いて齧り付く。きっと豚のばら肉に近い味わいと食感を楽しめるだろう。
 そして残ったお姉様と戯れる。一番の楽しみは後回し。好きなおかずは取って置く。
 一番愛している者は最後。お姉様に勝つことができたとしたら私の目玉を片方抜き取り、お姉様の目玉を無理やり嵌め込んでお洒落したい。
 お姉様を生きている内に拘束し、高温で煮えた銀を一滴ずつ頭の横へ落としてみるという拷問遊びも楽しそうだ。
 稀にだけ顔へ落としていつ当たるかわからない恐怖を味あわせてやるのだ。
 見たことのない泣き叫ぶお姉様が見られるのだ、きっと凄く良い声で鳴くに違いない。
 想像するだけでも涎を飲み込むことさえ忘れて妄想に耽ってしまいそうだ。
 
 巫女が死んで三人の魔法使いが息絶え、神々はいなくなって吸血鬼は私一人。
 幽霊は消え、幻想郷を統べる者達は死滅。最後に残るのは私だけ。
 その私も食べるものがなくなり、太陽の下をさ迷っていずれは灰になる。つまり誰も居なくなる。
 やりたい放題暴れまわって満足したら飽きてしまう。だから私もいなくなればいい。そして誰も居なくなる。
 そんなことをしてみたい。狂人呼ばわりする者共を消し去るのだ。

 ここまで考え、幻視だけに留めておく。私はまだ外の世界を少ししか知らない。
 だから物を壊す以外の楽しみを殆ど知らない。これから私は変わっていくのだろう。
 お姉様に手を引かれ、慧音について行って皆と一緒に幸せを求めるのだろう。
 自己犠牲という、人間らしい考え方と行動を理解した私だから出来ると思う。幻想郷を崩壊させることなく楽しく生きていく方法を。
 私の能力の使い道を考える必要のないような、平和な毎日を。
 明日はどんなことをして遊ぼうか。お姉様と一緒に本でも読んでみたい。


   -エピローグ- 『妹君』


 よく晴れた日。しかし寒い季節なだけに朝から畑仕事に精を出す人は少ない。
 これから本格的な冬がやってくるのだから、当然か。
 人里で寺子屋を経営している私上白沢慧音は、ある用事のために人里を離れて紅魔館を目指している。
 今日は私の方からフランのところへ遊びに行くと決めた日だ。フランの姉と話をする用事が主ではあるが、あの子と遊びたいのが本音。
 さすがに真っ昼間から顔を見せる妖怪は少なく、野原を行くのは野生の動物達であった。
 目的地に着くと民族風な衣装で身を包んだ妖怪の門番が話しかけてきた。
「こんにちは。何か用ですか?」
 一見すると気さくな人間にも見える門番。その笑顔も可愛らしげに感じる。人間を油断させるために覚えた接し方なのだろうか。
「ああ、私は呼ばれて来た者なんだが」
「ええと、角の生えた人間だと聞いていますが?」
「満月の夜だけの話だな、それは」
「そうなの? じゃあ、あなたはお呼ばれされた者じゃないのね。通せないわ」
 門番の表情が変わり、鋭い眼光を放つ。門番としての責務を果たそうと妖怪の顔を覚醒させたのだ。
 しかし私は許可を得てここまで来ているのだ。入れない道理など無い。
「お前では話にならん。吸血鬼を呼べ」
「な! お嬢様を呼べだなんて、失礼な人間ね! そんな奴、意地でも通さないわよ!」
「待て、私は招待客だぞ。なぜ通してはくれんのだ」
 何も聞いていなさそうな門番と口喧嘩をしている最中、吸血鬼の従者である人間のメイドが館から出てきた。
「美鈴、待ちなさい。そのハクタクはお嬢様のお客よ」
「へ? じゃあ本当にお嬢様の?」
「そうだと言ってるだろう。とっとと通せ」
 口を開けて呆然としている門番を尻目に、館の中へ。メイドに誘われるまま、最上階を目指した。
「これだから妖怪なんぞ信用できんのだ」
「門番なら私の方から仕置きしておきますから。どうか、落ち着いて下さい」
 メイドが一番奥の扉をノックして返答を待つ。吸血鬼の声がして中へ。吸血鬼の透き通った様な高い声に惹き付けられるものを感じた。
「よく来てくれたわね。うちの門番の失礼を許してはもらえないかしら? 妖怪ということで」
 一人大きな玉座に居座っていた。紅魔館の主らしく偉そうに。
「そうだな。じゃあ妖怪だから、退治しても許されるんだろう?」
「ふふ、まあ好きにして頂戴。すぐにお茶を淹れさせるわ」
「いいや、結構。西洋の茶はあまり好きじゃないからいらん」
 吸血鬼がメイドに目配せをして下がらせた。部屋には私と吸血鬼の二人だけ。
「さて、フランの話だけれども……。フランに気付かれなかった? 私とあなたがくっついていたこと」
「さあな。感づかれていたとしたら、フランは黙っていないと思うが」
「それもそうね」
 一月前の話だ。吸血鬼一人で直々に私の方へ相談したいことがあると言って会いにきたことがあった。
 吸血鬼の話は自身の妹のことであった。閉じ込め続けることを辞めにして、フランを外へ出してやりたいと話し始めたのだ。
 フランは気が触れており、彼女自身が持つ能力をコントロールしきれずに振り回したりすると幻想郷が崩壊する恐れもあると言ってきた。
 彼女の能力はありとあらゆるものを破壊する程度の能力であると。対象となるものの材質は関係なく、結界の類まで壊すことが可能だと言う。
 つまり博麗大結界を壊して外の世界へ逃げ出す可能性もあると、ほのめかしたのだ。吸血鬼の話は信じられないわけでなかった。
 悪魔の妹がいるという話は耳にしていたから。その能力の事も。
 そして吸血鬼が私に頼んだことは二つ。
 フランが外に出たとき、人間に興味を持って玩具にしないよう見張って欲しいということ。
 そしてもう一つはフランの友達になってくれということ。
 幻想郷のこれからを考えると断る理由はなかった。だから私は引き受けた。
 吸血鬼がフランに夜遊びを許して様子を見る。私は人里には入れないよう、見張ることにする。
 それで何度か私が会ってみて勝手に暴れたりしないだろうと判断したら、人間を前にしてどうなるかを試す。
 この前は偶然にも妖怪退治を企てていた人間がフランの前に現れたが。
 本来は博麗の巫女を前にして攻撃したりせず、いい子にできるかを試すつもりであった。
 だからあの時里の男が出てきたのは、予想外の出来事であった。もしフランが我慢できずに能力を使っていたら男は死んでいた。
 結果としてフランは身を差し出し、能力を使わなかった。そこで巫女には帰ってもらい、事後の処理を全て私が片付けたのだ。
 フランが外に出られるようになったのは勝手に暴れないよう私が見守り、吸血鬼がフランを教育したからということ。
 フランと初めて会ったときに怒鳴ったりしたのは演技だった。顔を殴ったことについては悪いことをしたと思っている。
 そもそもあのとき、下手をすれば私がフランに殺されていたかもしれなかった。正直殺されると覚悟もした。
 だけど私はフランに教えてやりたかった。フラン自身が知らない、外の人間達がどんな想いで幻想郷に暮らしているか。
 結局のところ興味を持ってくれたフランは名乗り、私に暴力を振らずにそのまま帰っていった。
 フランは常識の基準がおかしいと吸血鬼から聞いていた私は、フランにも教育をしっかりしてやりさえすればとてもいい子になるとそのとき確信した。
 フランはよくできた子である。姉の吸血鬼ともよりを戻したのか、最近フランから姉の愚痴を全く聞かない。いいことだ。
 それに彼女は私が言うまでもなく、私の愛する者を守るという気持ちを理解したのだ。
 そんなフランが過ちを犯すなんて考えられない。彼女も妖怪ではあるが、彼女だけは特別であると思いたい。
 あれからフランが原因で大きな騒動が起きるようなことも無く、以前の幻想郷とあまり変わらない。
 フランもやれば出来る子なのだ。むしろ、狂っているのかどうかわからないほどである。下手な人間よりよっぽど人間に近い。
「ありがとうね、ハクタク」
「うん?」
 偉そうにしている吸血鬼から素直な感謝の言葉が聞こえて、驚いた。
「こんなこと、本当は保護者的立場にいる私が全てするべきなんでしょう。だけどあの子は色々と厄介だから、一人で面倒見切れる自信が無かったの。まして私が四六時中見ているなんて、ね。以前のように嫌われた状態でフランに見張っていることを知られれば、機嫌を損ねるのは目に見えてわかることでしょう?」
「フランと面識のない、全くの他人に任せたかった。そういうことなんだろう?」
「ええ。里のことを熟知していて、かつ幻想郷の治安に関わるあなたが、フランの監視役として最適だったの」
「フランはお前が思っているより、ずっと出来ている。お前はフランのことを危険視しすぎだ」
「あなたは何もわかってないからそんなことが言えるのよ。あの子は口で言ってることと全然違う、もっとグロテスクなことを平気で考える。そんな子なのよ」
「ふん。お前がもっと早くからしっかりフランを見ていれば、こうならなかったんじゃないか?」
「……」
 俯き、返す言葉を無くした吸血鬼。少しは、後悔しているのだろうか。今までフランの面倒を、きちんとしていなかったことで。
「ハクタク。いいえ、慧音。フランはあなたのことを、もう一人の姉のように慕っているわ」
「……ああ。フランからそう言われたな」
「あなたに少し妬いちゃうわ。羨ましい」
「お前は私と違って、いつでも傍に居られるじゃないか。そうだろう、レミリア・スカーレット。フランの実の姉として生まれたお前の方が、よっぽど羨ましい」
「……そうね、くだらないことを言って悪かったわ」
「別に、気にしていないさ」
 私の目を見つめる吸血鬼。その視線は偉そうに威張る吸血鬼のようなものではなく、一人の純粋な少女のように素直なもの。
「今回の件は貸しにして頂戴。妖怪絡みで困ったことが起きたなら、いつでも協力するわ」
「お前ら妖怪共の力は極力借りたくないが……覚えていたら、頼りにさせてもらうぞ」
 吸血鬼なりの愛嬌か、両目を瞑った笑顔を見せた。
 相手が醜悪な悪魔であり、悪辣な妖怪だとわかっていても悪い気分ではなかった。
「下でフランが暇を持て余していると思うわ。一緒に来る?」
「ああ、勿論だ」
 吸血鬼に案内されるがまま、地下階へ。部屋の外で待機していたメイドも付いてくる。
 今日はフランにあやとりを教えてやろうと思い、毛糸を持って来た。
 里の女の子なら、皆やっていることだ。彼女にも、きっと気に入ってもらえる。
 彼女はこれから少しずつ外の世界を知るようになるだろう。
 里の中。山の中。向日葵と鈴蘭の畑。
 冥界、地獄、彼岸、竹林、魔法使いが住まう森、湖、式とスキマ妖怪が居るマヨヒガ、騒霊が住まう洋館。
 そして神社。
 いずれこれらの地を知り、日常から知識と教養を吸収して様々なことを勉強していくだろう。
 色々な事象を理解した上で、彼女が自分の能力をどう使うのか。それは彼女次第。
 私や吸血鬼等周りの者達が彼女の手を引いて、良い方向へ導いてやらねばならない。
 吸血鬼の言った通り彼女は災厄級の異変を引き起こすことが出来る。無闇に能力を使ってしまえばレミリアよりも危険だ。
 だが彼女も一人の少女に過ぎない。幼くて可愛いい私の教え子のようなものだ。堅苦しいことは考えずにこれから精一杯遊んでやるとしよう。
 吸血鬼に導かれて重たい扉をくぐると、彼女の小さい笑顔が見えた。 


『紅と蒼』   終

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