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ねぎとろ丼

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私は狂気を操れない。〔前編〕-コミトレ版

※所々に微かなグロあり。一応注意。それとオリキャラも含まれてますんで重ねてご注意を。

   『私は狂気を操れない。もっと大きな狂気に操られているだけ。』

   プロローグ 『戦時』

 ここは地球から遠く離れた月。徒歩ではとても近づけない不可侵の領域。
 私レイセンを含む月の兎達が営んでいるところ。
 いつからだったか、地球に住む人間達が空飛ぶ船を作って月へ攻め入ってきた。
 つまりそれは侵略戦争ということ。相手の領土を奪うことを目的とした作戦であった。
 軍人である父から、地球の人間がどんな者であるかよく聞かされた。
 平和を壊した者達。下劣な地球の民。地を這うべき下等な生物。
 父がこの話をするときは決まって、酷く興奮していた。
 しきりに私を抱きしめてくれたりもした。私と母と、この月を守ってやると意気込んでいた。
 それから何ヶ月か後。私が中学校へ入った頃、父は戦線で亡くなってしまった。
 地球の軍隊の銃に撃たれたと、母が涙を流しながら言った。
 月の軍隊もとい自衛隊のお陰で、私達市民が住んでいるところへ地球の軍隊が現れることは少なかった。
 学校では生徒達が避難訓練を習いながらも、授業はいつも通り続いていた。
 ただ、兵器を製造する仕事や戦争に関係するものを生業にする者が急増した。
 それに伴い、本屋には戦争に関するものがたくさん並ぶようになった。
 母は病院勤めの医者だったのだが、前線の軍隊に属する病院へ飛ばされたらしく、家へ帰ってくることが殆ど無くなった。
 前線の病院に運び込まれる兵士が多いせいで人手不足になり、医者である母が引き抜かれたということらしい。
 この頃に私は学校を退学し、軍隊へ入ることを決意した。
 殺された父の仇を討つため。母が戦争で苦しんでいるのを、別の形で手伝えないかと思って。
 そして月を守るため。月の友達や自分の家を守るために。

   『研修』

 訓練が始まると、まず地球軍がどんな者であるかを上官から教えられた。
 劣悪な地球の人間。同志を痛めつける敵軍に仕返しを。残酷な奴らを追い出すんだと。
 これらは上官から教わった言葉。
 我ら月の軍は地球の兵器と比べて高性能。されど、人口の違いか向こうは大軍であった。
 戦況は向こう側が有利らしく、日に日に月の軍隊、同志達は倒れていく。
 しかし私達月の者こそが正義。彼らに鉄槌を下す者達であると。
 そしてこれは、上官の叱咤激励。
 上官の言葉は絶対。真実。真理。上官が黒と言えばそれが白でも黒である。
 新入りの私は同じく新入りの兎達と集団で寮に住み込み、過酷な訓練を受けるのだ。
 私を含む一師団の皆は上官の言葉を信じ、頭で反芻して地球軍に対する憎悪を燃やしていた。
 ゴムの様な感触がする肉と栄養剤を混ぜた食事で食欲を誤魔化し、時折支給される本当に苦いだけの発泡酒で食欲をごまかし続ける生活。訓練の厳しさと相まって今すぐにでも逃げたくなったが、こういう下積みがあって始めて戦場に出られるのだと上官はいつも言う。
 父も訓練が大変だと言っていた気がする。
 我慢するしかないのだ。こうして初めて強くなっていけるのだ。そう信じて、私は軍隊を続けた。

   ※ ※ ※

 同じ師団の中で、特に仲良くなった月の兎ができた。
 彼女の名前はカチカ。亜麻色のポニーテールが可愛らしげな少女。年は私と変わらないほど。
「あなた、レイセンって言うの? 中々可愛い名前じゃない」
「ありがとう。よろしくね、カチカ」
 なんでも彼女の父は金属を鋳造する会社で働いているらしく、毎日装甲車の材料を作ることに追われているらしい。
 彼女の母は前線の兵士だったそうだ。彼女の母は地球軍と戦い、そして戦死したそうな。
 私と境遇の似たカチカとは、すぐに意気投合した。

   ※ ※ ※

 毎日のニュースはとても物騒なものばかりであった。
 防衛軍が押されて地球軍が侵略し、街が爆撃された。
 こちらの撃墜王ばかりを集めた、自信のある航空部隊が半壊状態に。
 行方不明者の案内。
 反戦を掲げて、国家に反逆する運動の報道。それにより、何十人の市民が怪我をした。
 などなど、平和的なニュースは無いに等しかった。
 大衆向けの音楽番組では有名歌手が戦争反対の意を込めた歌を歌うほど。
 何から何まで、戦争一色だった。

   ※ ※ ※

 訓練が始まって二ヶ月。
 私とカチカを含む十数人が一個部隊として集められ、ある任務をするための特別な訓練を受けることになった。
 今までいた寮を離れ、新しい寮へと移ることに。
 この部隊に与えられた任務とは、街の警備的なものだった。
 戦線に立って、生きるか死ぬかの地獄を見るわけではない。
 非力な市民を隣り合わせの危険から守るという任務である。
 ある時は市民の盾となり、またある時は軍の剣となるのである。
 自ら死地に赴くのとは、また違う使命感があるともいえる。
 任務の内容だけを見れば軍隊というよりも、自衛隊的なものに思えた。

   ※ ※ ※

 カチカは射撃の能力が高かった。勿論、私も負けていなかったが。
 しかしカチカがよく上官に褒められているのに対して、私はあまり注目されなかった。
 そのうちカチカは部隊隊長に任命され、私は副隊長となった。
 彼女は大層喜び、より訓練に励むようになった。
 ただ、この頃からカチカは変なことを呟くようになった。
「地球の人間は本当に極悪非道なのか?」と。
 上官の言葉を思い出させてやる度に彼女はそれを撤回させていた。
 私は母に手紙を書いた。どんな仕事に着くのかを報告するために。

   ◆ ◆ ◆

   【カチカ】

 私の名前はカチカ。両親からそう名づけられた。
 父は鉄鋼業を営んでいる。毎日作業着で工場まで行って、汚れて帰ってくる。
 母は軍隊に所属していて、家に居ることは滅多に無かった。殆どを軍が用意した寮で過ごしているからだ。
 週末は帰ってきて私にお土産を買ってきてくれるのだが、次の日の朝には居ないことが殆ど。
 私は普段学校に通っている。機械関係を専門にしている学科の勉強が主な学校。
 父の影響なのか、私は物心ついたときから機械いじり、物作りが好きであった。だからそういう学校へ進んだ。
 将来は父の勤めている先の工場にでも、と考えていた。毎日が楽しかった。
 そんなときである。月の領土を奪おうと地球の者達が鉄の塊に乗ってやってきた。
 正確に言うと、そうらしいのだ。母からそう聞かされた。
 食卓ではよく母が何かと喋っていた。軍隊にいるせいか、よく愚痴を聞かされるのだ。
 理不尽な言いがかりをつけられて掃除を命じられたりすることもあるそうだ。
 でもそれは訓練の一環だと母は豪語する。地球の者達と戦うことになるかもしれないから、訓練が厳しくなってきてるらしい。
 「安心しなさいカチカ、お母さんはがんばって旦那とあなたを守るからね」と言って私の頭を撫でた母は、最初に地球軍と交戦したときを最後に帰ってこなくなった。
 父は酷く悲しんでいた。私はその当時、状況が飲み込めなくて呆然としていた気がする。
 母の死を理解してだろうか、軍隊に入ろうと考え始めたのはその頃からだった。
 母を殺した地球人が憎いと思い始めたのもそのときだ。
 父は猛反発した。当然、危険だから止めろという。
 そして父は「近々兵器開発の仕事を請け負うことになるから、そういう方向で仕返しをすれば良いじゃないか」と説得された。
 次の日、母の遺影に挨拶をして家を出て行った。少年兵としてこき使って欲しいと頼み、軍隊に入れてもらった。
 こういうとき普通は未成年の場合両親の許可がいるものだが、私は家出した者ということでそういう手続きはいらなかった。
 なにせ地球軍との戦争が勃発した直後だ、志願兵となると来る者拒まずというものだったのだろう。
 軍隊に入って数ヶ月。私がいる寮にまた何人かの志願兵がやってきた。そのうちの一人と仲良くなったのが、レイセンだ。
 彼女は父が戦死した兵士だと言っていた。彼女と家庭の状況が似ている私達は意気投合した。
 お互い親に反対されながらも、兵士になったという部分も重なった。
 ただ、似ているだけで、私とレイセンは違う。
 レイセンは上官の言うとおりのイメージでしか地球人を語らないが、私は少し違うイメージを持っていた。
 彼らは確かに犯罪者だ。力ずくで私達の月の領土を奪おうとしてくる。
 だが彼らをそう邪険にせずとも、手を取り合うという選択肢もあるのではないか? 訓練し始めてからそう思い始めた。
 なのでレイセンに相談をしてみたが、何を言っても無駄だった。彼女が軍の言うことを信じて疑っていないからだ。
 当然他の隊員にも話は通じなかった。上官になんてもっての外。
 何か別の方法はないものかと最近になって考えるようになった。
 母を殺した地球の者は憎い。だが戦争したところで街の爆撃が始まりだすと、私や父までが危険に晒される。
 まして父は兵器や軍隊用の乗り物を作る仕事をしている。
 私が地球軍であれば、兵器を作る工場を爆撃して兵器を作れなくするだろう。
 だから父も危険なのだ。かと言って止める方法はあまりない。
 私が戦闘機にでも乗って上を飛び回るわけにも行かない。
 ならばどうやって父を守れば良いか。
 簡単なことである、地球の軍隊と戦争をしなければ良いだけだ。

   ◆ ◆ ◆ 

   『内戦』

 ついに私達が戦地で動く日がやってきた。
 現地に着いて周りを見回すと、私達が担当する区画はあまり騒がしいものではなかった。
 敵の空襲を受けた様子もない。まだ地球軍の侵略を受けていないのだろう。
 ただ、通りを行き交う者達は皆ヘルメットをかぶっていた。
 街の者が挨拶をしてくると、笑顔になれた。カチカが冗談を言って、笑わされるときもある。
 戦場で笑うことなど私は想像していなかった。もっと殺伐としているものだと思っていたから。
 同じ部隊の皆に笑顔があると、その間自分達が地球軍と戦っていることを忘れさせた。
 ただ、上官は冷たかった。何かにつけて地球軍は殺せと、唾を飛ばして叫ぶものだから。

   ※ ※ ※
 
 地球軍と交戦することなく、任務に着いてから二週間が経ったときのこと。
 反戦を掲げる月の兎達が、デモを起こして大通りを行進していた。
 戦争をすると軍が言えば、反発する市民も出てくるものである。
 侵略されるのが嫌で地球軍を攻撃する者がいれば、話し合いで平和的に戦争を終わらせたいと望む者もいる。
 軍の上層部からすれば、こういう運動は邪魔なだけであると思う。
 私達の部隊を含む八十人程の軍隊兎が集められ、デモの進行を防ぐよう上官から命令された。
 盾で守りを固め、列を成して並ぶ。私もその一人。そして後ろには警棒を握った軍隊兎達。
 暴動を抑えるといっても自分と同じ兎の彼らに銃口は向けられないので、銃はいざというときの拳銃のみである。
 おまけに弾丸は、一発しかもらっていない。
「ただちに行進を止めたまえ!」
 後ろから拡声器による、低い男の声がした。上官の声だ。しかしデモをしている彼らは聞く耳を持たない。
「なら戦争を止めてよ!」
「今すぐに停戦を申し出るべきだ!」
「戦争で亡くした夫を返して!」
 彼らは非常に興奮していた。口々に声を荒げている。
 中には旗を握り締めている者もいた。足を止めることなく、私達に向かってくることも考えられる。
 反戦を主張しているのに、それが通らなければ武力行使をする。
 争いが嫌なのに、何故彼ら自身で起こすのか。こう考えると、彼らはどこか矛盾しているようにも思えた。
 彼らはすぐ近くにまで迫ってきている。
 老若男女様々な兎達が、興奮と緊張に肩をこわばらせていた。
 目の前には私と同い年ぐらいの女の子が目に涙をためて、棒きれを握っていた。
 できない。もし彼らが私達に迫ってきても、彼らを止めるためにこちらも暴力を振るうなんてできない。
 そう思ったとき、耳のアンテナに上官の声が届いた。なんとしてでも彼らを止めろと。
 停戦を主張する彼らは月の民にあらずと。彼らは反逆の暴徒であると。
 上官の言うことは絶対である。上官の言葉は真理である。上官に逆らうことなど不可能。
 戦友達の目を窺うと、殆どの者が頷いた。何としてでも彼らを止めると。
 しかし隊員の何人かは市民を実力行使で抑えることを拒否しているのか、首を振る者もいた。
 カチカもその一人だった。彼女は後ろで警棒を構えているが、腰を引かせていた。
 一番最初に手を出したのは、目の前の少女。私に向かって、棒を振りかぶった。
 彼女の行動を見た市民達が一斉に人の波となって、私達に迫りってきた。
 私は少女を地面に倒して殴りつけ、気絶させた。こうする他ないのだ。そう納得して、任務を続けた。
 争い始めて一時間程経過。運動を起こした者達が暴れることをやめ、降参しだした。
 警察の者達が集まり、運動を起こしたリーダーらと数人を連行していった。運動に参加した者達の殆どは逃げて行ったが。
 私は大した怪我を負うことなく、仕事をこなすことができた。カチカは何も言わずに、呆然としていた。

   ※ ※ ※

 寮に戻ると、上官からねぎらいの言葉をいただいた。
 ただ、カチカを含む数人の隊員は随分叱られていた。
 運動を起こした彼らから逃げたから。任務を放棄したから。
 上官はカチカ達の気持ちがわからないこともないと仰っているが、納得のいかない様子であった。
 カチカは隊長から降ろされ、一般兵になった。なので、私が隊長となった。
 上官が部屋から出て行った後、カチカは私に迫ってきた。
「レイセン、どうしてデモの兎達を殴ったの? 彼らは私達と同じ月の兎じゃない!」
「だからと言って、彼らを暴走させっぱなしになんてできない。それに、上官の命令は絶対よ」
「……そう。そうよね」
 納得したのか、反論することを諦めたのか。カチカはそれ以上喋らなくなった。
 その日一日彼女に話しかけても、無視されるような態度を取られた。
 私は正しいことしか言っていないのに。上官の正しさを主張しただけなのに。

   ※ ※ ※

 デモが起きてから数日が経った朝。母からの手紙が届いていた。
 病気で倒れ、入院してしまったということ。
 私は上官に許可を頂き、すぐに病院へ向かった。
 母は病室で点滴を打ってもらって、横になっていたところだった。
 看護婦さんがいて、今は目を覚ましているところだそうだ。
「来てくれたのね、レイセン」
「お母さん……」
 看護婦さんの話によると、母は胃腸を悪くしての入院だそうだ。
 大事に至るような重たいものではなく、三日ほど様子を見れば退院できるとのこと。
 仕事が一段落ついたのか、看護婦さんは出て行った。
 母のために買ってきた飴玉をベッドの横に置いて、母の隣に腰掛ける。
「レイセン、仕事の方はどうなの? 辛いでしょう?」
 母の笑顔は無理をしているようなものだった。
 よっぽど、仕事が辛いのだろう。
 近頃争いが激化しているせいで、前線に近い病院は毎日重傷者が耐えないに違いない。
「うん。でも私、がんばれてる。お父さんのようになってみせる。お母さんや、皆を守るから」
 母は黙って、私を抱きしめた。
「聞いてレイセン。あなたには幸せな生を送って欲しいの。辛くなったら、逃げてもいいから」
「でも上官の命令は絶対よ。逃げるなんてできない」
 私の言葉を聞いた母は奇妙なものをみる目つきになった。
「……レイセン、正直に言うわ。軍隊なんてやめなさい」
「そんな、できない」
「聞きなさい。そのうち洗脳されて人間と戦うことに抵抗がなくなり、あの人のように終わってしまう」
「……」
 母が変だ。あんなにも憎き地球軍から逃げろだなんて。
 いや、普通かもしれない。デモを起こした彼らと同じようなことだ。
 結局争いなんて誰も望んじゃいない。
「あなたが思っているより、月の偉い人は平和的な解決を望んでいる。
 ただ、地球側が話を合わそうとしないからこんなにも血が流れている」
「お母さん?」
 しかし今の私に逃げるなんて選択肢はない。上官に目をつけられているから。
 そして母は知らない。この前街にやってきた地球の兵士達を、私が何人殺したか。
 私がどれだけの勲章を持っているのか知らない。近くにいる戦友達が倒れていくのをどれだけ目にしたかも、知らない。
 もう私に以前のような、銃の扱い方を知らない頃に、戻る方法はないのだ。
「レイセン、私は今の仕事を辞めたわ。荒んでいく街を支えていくため、街の復興支援に参加することにしたの」
「そう。じゃあ仕事の最中、会えるかもしれないね」
「そうね……」
 母の表情は暗い。ただ飴玉を口に含むと、少しは柔らかいものになった。
「もし月が地球の人間に占領されてしまったら、この飴は二度と食べられないでしょうね……」
 母がもう一度、私を強く抱きしめた。私も、抱きしめ返した。
「レイセン、あなたはまだ若いの。あなたはもっと幸せになってもいいのよ。だから生きなさい。全てから逃げてでも、生き延びなさい」
 母の声が震えている。母の言葉はまるでもう会えないような言い方だった。
 母の気持ちはわかるが、不安にさせるような言い方はして欲しくないと思った。
 長居することはできない。もうそろそろ戻らなくては。
 帰ることを伝えて、病室を後にした。最後まで辛そうな笑顔でいる母に手振り、病室を出る。
 母は戦争を望んでいない。子の私が戦場に立つことも。
 でも、地球軍が攻めてくるなら誰かが止めなければならない。
 そうしなければ、母が殺されてしまうのだかから。
 耳のアンテナに上官の言葉が入る。至急帰るようにとまくし立てられた。
 私は急いで病院を後にした。

   ※ ※ ※

 寮に戻ると、皆慌しくしていた。
「レイセン、レイセンは居ないのか!」
 上官が私を呼ぶ。敬礼して、上官の前に立った。
「はっ、ただ今母のお見舞いから戻りました」
「そうか。単刀直入に言おう、私がこの寮を離れていた間にカチカが脱走した」
「え?」
「二度も言わせるな。私は今機嫌が悪いのだからな」
「……」
 上官の話はまさに寝耳に水だった。
 彼女が軍隊から逃げ出した? 地球の人間をやっつけててやると気負っていた彼女が?
「カチカが逃げるなんて何かの間違いです。彼女はそんなことをする兎じゃありません」
「いいや、彼女は脱走した。寮のどこかに抜け穴を作って逃げたわけじゃなく、正門から堂々とな。それも小銃と拳銃を、一丁ずつ持ち出した挙句機密文書まで持って行きやがった」
 カチカは門の番をしている兵士二人に「上官から使いを頼まれた」と嘘をついて出て行き、そのまま帰ってこなくなったそうな。
 彼女が出て行ったのは私が出た後。時間は朝。そして今は昼頃。
「レイセン、お前は彼女がどこへ逃げたかわかるか? 心当たりはあるか?」
「いえ、ありません」
 嘘は言っていない。そもそも私は、カチカが軍から逃げるなんて理解できなかった。
 いや、前兆はあったのかもしれない。
 訓練のときから上官の言葉に疑問を持ち続けていたこと。
 最近になってから地球軍に対する悪口をあまり口にしたがらないこと。
 そしてデモが起きたとき、民衆から逃げたこと。
「レイセン……疑いたくはないが、彼女の逃亡を手伝っているということはあるまいな? お前とカチカは仲が良さそうだったからな」
「ありません。そもそも、私はカチカが逃亡したことが信じられないのです」
「……引き続き隊長を務めてもらう。足りない人員は新米で補う。以上だ」
「了解っ」
 上官の言うとおり、無理にでも現実を受け入れるしかない。
 彼女はどうしてしまったのだろう。
 戦争が嫌で逃げたとすれば、どうして武器を持ち出したままなのか。
 彼女は単身敵地に突撃するつもりなのだろうか。
 そうだとしても、彼女は犬死だ。
 カチカは優秀な兵士である。が、ただ一人の兵士である。
 人間もとい兎一つにできることなど限定される。
 まして彼女は馬鹿ではない。そんな愚かなことするはずがなかった。
 彼女が心配であるが、彼女を追って自分も軍を抜けるなんて到底できないことである。
 そして軍隊の上層部は彼女を国家反逆罪とし、指名手配した。射殺した者には賞金を出すとまで言っている。
 何も殺すことははないではないか、と反論したかったが彼女を庇えば私まで殺されることになることぐらいわかっている。
 私はただ黙って、任務をこなすしかなかった。

   ◆ ◆ ◆

   【カチカ】

 もう軍隊なんて信用できない。いくら戦争反対のデモを止めさせるためとはいえ、暴力を振るなんて信じられない。
 母が誇りを持って所属していた組織はこんな低級なものだったのか。
 上官も上官だ。もっと平和的にデモを終わらせる方法があったはずだというのに。
 レイセンも酷い。上官の言うことをそのまま実行してデモの市民らを殴っていた。
 彼女なら私の気持ちをわかってくれると信じていたのに。失望した。
 だから私は軍隊を辞めてやった。とはいえ丸腰で出ていくわけには行かなかった。
 巫女が妖怪退治の道具を持つように、私にも銃が必要だった。
 私はその日上官が朝から他所の基地へ視察に行くことを知っていた。他の隊員も当然知っていたのだが。
 そして上官が居ない間、別の上官が私達に訓練を申し付けて居たのだが私は前日から使っていた仮病で訓練に出ていなかった。
 訓練自体は寮の外で行われていたわけだが、その間にベッドから抜け出して上官の部屋に侵入したというわけだ。
 普通重要な書類は鍵のついた引き出しに入れておくものだ。だから私はその鍵を壊して、機密文書を盗んで行った。
 作戦指令書の様であった。これを地球軍に渡せば何かしらの取引には使える。そう思った。
 幸いなことに建物の外で訓練をしているので、ほとんどの者は寮の中に居なかった。せいぜい入り口を見張っている隊員ぐらいだ。
 だから引き出しの鍵を壊した音も、気づかれていないはずだ。鍵を壊した引き出しに入っていると推理していた鍵の束を発見すると、私はそれを持って武器庫へ忍び入った。
 武器を盗むためである。そして私はそこで小銃と拳銃を一つずつ持ち出し、秘密文書を黒のトランクに入れて門へ向かった。
 「ご苦労様」と門番役の新入り隊員に挨拶をし、「上官に頼まれたお使いを済ませてくる」と嘘をついて軍隊を逃げ出した。
 せめてレイセンに挨拶ぐらいはして行きたかったが、彼女はこの日母のお見舞いに行っていたので仕方がない。
 また会えるかどうかという保証はないので残念だ。
 私は今自分の家に居る。
 軍に入ったとき「家出娘」と偽って入ったので、軍には住所を知られていないはず。暫くは大丈夫だろう。
 父は大層驚いた。帰ってきた私を叱りつつも、抱きしめてくれた。
 家出娘ということで休みをもらって家に帰ったり、手紙を出すこともしていなかっただけに久しい父と会えて嬉しかった。
 そして私は街の集会所を拠点にし、反戦を掲げる市民団体を作ることにした。
 元軍人という経歴を持っていながら反戦のデモに加わるということに効果があったのか、市民の共感が得られた。
 私は私以外の市民団体の幹部らと話し合いをし、他の反戦団体を吸収して行った。
 街のあちこちで私は反戦デモを計画し、実行して月の兎達がどれだけ戦争に反対しているかを訴えた。
 月側の軍上層部が私を指名手配したことは知っている。現にデモの運動中、何度も襲撃を受けて殺されそうになった。
 だが私はこんなところで死ぬわけにはいかない。まだまだ自分にはやるべきことがあるのだから。
 次に私は白旗を持って地球軍の基地月支部へ行き、月の軍隊寮から奪ってきた文書を盾に攻撃を止めるか緩めて欲しいとお願いした。
 そして私は反戦デモのリーダーをやっていると地球軍に言い、月の軍隊にも掛け合って戦争を止めるよう運動していると伝えた。
 地球軍の兵隊達は攻撃を止めることは出来ないが、一時的に緩めることはしようと約束してくれた。
 その間に月の軍隊のお偉いさんと話し合って戦争を辞めさせてやるつもり。
 これ以上街が破壊されるのだけは阻止せねばならない。
 人間達にこの月を支配されたとしても。
 
   ◆ ◆ ◆

   『崩壊』

 カチカが逃げ出して一ヶ月が過ぎた。
 戦況は膠着状態となり、兵士達の争いに平穏が訪れる。
 お偉いさん方の話し合いが本格的に始まったのだ。
 しかし私の仕事に休みはない。いつ人家や街を奇襲されるかわからないから。
 上官からカチカに関する情報を聞かされた。
 彼女は反戦デモを行う団体のリーダーとなったそうだ。
 上官の機嫌は大層悪そうであった。自分が育てた兵士に、裏切られたみたいであったから。
 私も知っている。実際に運動を行っているところを報道したニュースを見ていたから。
 テレビ局は彼女を悪魔の手先の様に扱っていた。
 仕方がないだろう、彼女はそれだけのことをやってしまったのだから。
 ただ、私は彼女が無事であることを確認して安心していた。
 だが次に彼女と会ったときは厄介かもしれない。
 戦争に加担することを続けている私に、敵対していることなのだから。
 この日は兵士三人を一班、計七班の小隊を組んでの警備だった。
 私の班には私と、新米が二人。
 都心部の南を担当しての警護だった。街を歩く人はもう殆どいない。
 皆、どこかに引き篭もっているのだ。
 軍から配給される物資で街の皆は日々を凌いでいる。
 そして私達は味のない蒟蒻のようなものや、フレーク状の挽肉で食欲を誤魔化し続けていた。
 廃れた商店街の一角で昼食を取っていると、遠くから見知った人物がやってきた。
 カチカだ。久しかった。ただ、彼女の険しい顔を見ると、とても再会を喜べる空気ではなかった。
 彼女の姿を見た一人の新米隊員が向かっていくと、カチカは彼の足元に拳銃を発砲した。
 その隊員に弾が当たったわけではないが、彼は小さな悲鳴を上げて腰を抜かし、地面に座り込んでしまった。
「そこまでよ。戦争なんてもうやめなさい」
 周りからは街の兎達が出てきた。私達に反戦を訴えるつもりなのだろうか。
 兎達の中に母の姿があった。軍人を続けている私に、非難を浴びせているかのような視線を飛ばす。
 カチカが私を見つめて、こっちへ近づいてきた。
「久しぶりね、レイセン」
「カチカ……。どうして軍から逃げたの?」
「もう察しがついてるんでしょう? 戦争なんてこりごりなのよ」
 彼女の表情は真剣であった。本気で戦争をしなくて済む方法を考えているに違いない。
「今軍は動いていない。そうでしょう、レイセン」
「ええ、そうよ……」
「あれは地球軍が我々の運動を見て、戦意がないことを理解したからだと思うの。月の軍の幹部達はきっと地球に領土を明け渡し、支配権を譲ると思うわ」
「……カチカは本気でそうなると思っているの?」
「そうさせてみせる。私が掴んだ軍の情報を地球軍に売って、街の皆には手を出さない約束を結ばせる。人間がここに住み着くようになるけど、賑やかになるだけだし、いいでしょう?」
「……」
 戦争が嫌な兎達は人間達に支配されてもいいから、戦争が終わって欲しいといっているのだろうか。
 しかし話し合いではなく一方的な攻撃をされた後に、仲良くしようなんて言われても頷けるわけがない。
 父を失ったのに。殺されたのに。奪われたのに。そんな者達が土足で上がりこんできたとしても、仲良なんてできない。
「あなたもそうなのね。洗脳されているのね。二言目には上官、上官って言うのね」
「……ええ」
「いい加減目を覚ましなさいよ。あんな奴らの駒みたいに動かされて満足なの? あなたはそんな器じゃないはずよ」
 洗脳とは上手くいったものだと関心した。だからといって、彼女の言うことは聞けないが。
 戦争が嫌な同志を集めて、皆で運動しましょうと声をかける。それも洗脳みたいだと思ったから。
「カチカの言うことは納得できない。私は反戦なんて飲み込めない。私は軍人であることを続ける」
「……そう。あなたとはわかりあえそうにないのね」
 近くにいる母の表情はとても暗く、冷たい。目を合わせようともしてくれない。
 確かに私も戦争は嫌だ。今すぐにでも終わって欲しい。
 だが大勢の狂った者達に攻め入られれば、こちらも狂ってしまうものだ。
 爆撃されれば、砲撃の押収を。要人が誘拐されれば、向こうの基地を襲撃する。
 兵器を量産している工場を破壊されたのなら、相手の補給物資を力ずくで奪う。
 一人怪我をさせたら、二人殺される。五人殺せば、敵はもっと多くの戦友達を殺そうとしてくる。
 最初は地味な戦場も、次第に鉛玉と火薬にまみれた弾幕の応酬になっていく。
 やられたらやり返す。繰り返すうちに、どちらが先に仕掛けたのかわからなくなる。
 戦争なんてそんなものだ。きっかけは些細なものなのだ。
 だが何かが引き金となってたくさんの命が失われてしまったら、どちらかが降伏するまで大軍の暴力で蹂躙しあう。
 それが大きな国同士の争いごと。個人個人の揉め事なんて、生易しいものではない。
 感情論だけで戦争は終わらせることが出来ない。トップの者ならともかく、私達下っ端共々の感情で戦争は終わらない。
 カチカはそこまで頭が回っていないんだ。
 でも彼女にそれを言ってもきっと受け入れないだろう。彼女にはきっと、周りが見えていないのだから。
 彼女もまた、戦争という狂気にまみれてしまった者だろうから。
 腰を抜かせていた隊員が、突然悲鳴を上げた。次にカチカが地面に崩れ、街の皆が叫び声を上げて逃げ出した。
 遠くに地球軍が見えた。奇襲である。民間人だろうと軍人だろうと関係なしに、地球軍が発砲してきたのだ。
 近くの障害物ですぐに身を隠したので私と新米は無事だが、もう一人の新米隊員とカチカは無事ではない。
 即死なのか、隊員は動こうとしない。カチカはまだ意識があるのか、腹を押さえて口をぱくぱくさせている。
「レイ、セン……」
 涙を流して助けを求めている。周りを見回すと、母までもが倒れていた。
 銃声の合間を縫って母に声をかけるが、何も返ってこない。
 新米兵が救援を呼んだが、すぐに来るのかどうかわからない。
 地球軍が近くにいるから、障害物から飛び出すなんてできない状態。
 血の海の真ん中にいる母に寄り添うなんて、とてもできない。
 守りたい母が近くにいるのに。助けたい友人が目の前にいるのに。
 それなのに今自分ができることは、威嚇射撃で敵を寄せ付けないようにすることだけだった。悔しい。
 あいつらは私の平和をぶち壊した。私のすぐ傍でどうどうと。
 悲しみよりも、憎しみが大きく膨れ上がる。
 上官の言葉が聞こえたような気がした。地球の兵士達へ発砲しろと。
 たとえ何があっても。傍で戦友が倒れていたとしても。
 新米に援護射撃を任せて障害物から飛び出し、私は地球軍へ向かった。
 そう。上官が私に命令する。彼らにやり返せと。
 上官が私の狂気を膨らませているのがわかる。憎悪が大きくなっていく。
 絶対に許せない。こいつらを生かして帰すなんてさせない。
 私を狙うならそうするがいい。だが狙うなら、一発で殺してみろ。
 もし外せば、渾身の銃弾を打ち込んでやる。二発目を撃たせる隙なんて与えない。
 私の中の狂気がどんどん増幅されていくような気がした。人間を殺害することに抵抗を感じない程に。
 銃弾の雨あられ、金属の弾幕を掻い潜って地球軍を次々に射殺していく。
 弾が切れたなら銃を捨てて平手を銃のような形にし、幻惑の銃弾で敵を倒していった。
 動く敵がいなくなった頃、晴らしきれない憎しみが悲しみに変わって、私の胸を押しつぶした。
 止め処なく流れ出る涙をぬぐいながら母を抱き起こしてみるが、反応はない。もう死んでしまった様だ。
 カチカの体を揺すってみるが、彼女も私の名前を呼んでくれることはなかった。
 泣いても、叫んでも、絶望しても、何にもならない。
 母もカチカも、ただの肉塊になってしまった。
 私が愛する者は、皆死んでしまったんだ。
 救援がきたときには何もかもが手遅れだった。

   ※ ※ ※

 助けが来たのはいつだろうか。衛生兵と共に、上官も一緒であった気がする。
 その場で何があったか詳しく覚えていない。ただ泣き叫んで、地面に座り込んでいただけだから。
 気がついたときは寮の一室だった。四角い天井に、暗い壁、冷たく硬いベッド。
 体の節々が痛い。地球の兵士と交戦して出来た傷が痛む。
「目が覚めたか、レイセン」
 上官の言葉が耳に突き刺さった。驚いて、わが身を抱きしめた。
「あの場で何があった。お前の口から報告しろ」
「……街の兎達に混じっていた母と、カチカが地球軍の襲撃を受けて銃撃されました。私と同じ班の隊員も撃たれました。撃たれて、殺されました」
「憎たらしかったか?」
 地球の兵士達を睨んでいた自分を思い出した。あのとき悔しい思いをしていたことが蘇る。
 思いつく限りの罵詈雑言を彼らに吐き散らして、突撃したことを。
 そのきっかけとなったのが、上官から電波を送られてきたと、勘違いしたということ。
 胃が締め付けられて、お腹のものを吐き戻しそうになる。
「……はい」
 声を絞り出しての返事。暗くて上官の表情は窺えないが、どこか笑っていそうな感じ。
「生き残った新米が言っていた。お前は一人で銃弾の嵐にもぐりこんで、地球軍兵士を十二名殺害したとな」
 十二人。私は今日一日でそんなに人間を殺したのか。
 皆それぞれ家庭を持ち、家で待っている者がいるだろうに。私は彼らの夢や未来を奪ったのだ。
 どうしてだろう。あんなにも彼らが憎かったのに、今頃謝罪したい気持ちが溢れてきた。
 敵討ちをしたというのに、取り返しのつかないことをしたと後悔している。
「良くやったぞ、レイセン。お前には勲章をやろう」
 やめて欲しい。こんなことで褒められても嬉しくない。
 勲章なんていらない。誰かを殺して評価されるなんて、勘弁だ。
 今すぐそれをゴミ箱に投げ込みたいぐらい。
「引き続きお前には隊長を務めてもらうぞ。これからも期待しているからな」
 上官は残酷な命令を残して立ち去った。
 もういやだ。自分には月の民を守る力なんて無かった。
 だから母を亡くし、カチカも見殺しにしてしまったんだ。
 お父さんごめんなさい。私には結局誰も守れませんでした。
 もう軍にいても、自分にできることなどきっとない。
 いざ他の月の兎が襲われたとき、きっと私は彼らを守りきれない。そうに違いない。
 母の言うとおり軍隊を抜けていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。
 悔やんでも、今となってはどうすることもできない。
 こんな世界こりごりだ。唯一の家族であった母もいない。友も失った。
 その夜、私は寮から逃げ出した。月から逃げ出した。
 母の言いつけどおり、幸せを求めて。

※ 〔後編〕へ続く。


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