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カテゴリ:書評
最近心にずんっと来る本を2冊ほど読み終えた。
1冊目は私のページでリンクさせていただいている ちゃとさんオススメの“行かずに死ねるか” 。 なんとこの著者の石田ゆうすけさんはちゃとさんのページの BBSに何度か書き込みに訪れていた。 その時はへぇ~・・・なんて思っていたが この本を読み終えてみて改めてそのことを思うと うらやまし~~~!!! この石田さん本当に素敵な方なんだろうなぁ。 本を読んでいて彼の人柄がビシバシと伝わってきた。 さて、肝心の本の内容は簡単に言うと 世界一周、その距離9万5000kmを自転車で 7年半かけて旅した人の旅行記である。 旅行記に目がない私は早速購入して読んでみた。 読み始めてすぐ私のお気に入りの地、 ナバホ族の居留区、モニュメントバレーの記述が出てきて この本を一気に好きになった。 このページの表紙に載せるほど モニュメントバレー好きな私。 彼の出発しようと思いテントから出るも あの真っ赤な巨大なビュートに圧倒され 4日も金縛りにあった様に 動けずにただ岩を見ていた との記述に そう!そう!そう!!!!!石田さん分かってる~!! と声を張り上げたくなった。 彼も本に書いていたが同じく私もまた 前世はナバホ族だったことがあるんじゃないか??? と思うほどその地は私にとってガツンと入り込んできた。 その他、中米、南米、アフリカ、ユーラシアのジャーナルが おもしろおかしく、時にはちょっとセンチメンタルに 表現されており一気にのめりこんで読破した。 私の周りには実は自転車旅行した人たちが何人かいて (うちの旦那もチャリでスペインを縦断したらしい) 私もいつかやってみたいなぁなんて思っていたのだが 彼の本を読んで本気でチャリ旅行がしたくなってしまった。 苦しいプロセスを体験してのみ味わえる高揚感 と言うものを私も味わってみたくなってしまったのだ。 彼は、ギニアで限界を感じた後青い森を見たらしい。 苦しい体験のあとの高揚感と言えば2冊目の本、 “食う寝る坐る 永平寺修行記”だ。 この本はある男性の一年間にも及ぶ 永平寺での修行の様子が描かれている。 私はそれまで寺に入ったお坊さんという人たちは それはそれは静かな暮らしを送っているのだと思っていた。 誰とも口を利かず、ただ坐りお祈りをし、質素なものを食べ 暮らしているのだと思っていた。 だからはじめにこの著者、 その他その年に入山を認められた雲水さんたちが 古参雲水達に怒鳴られ殴られけり倒され・・・・ という記述を見たときになんて時代錯誤な、と思った。 しかし、著者は修行を重ねていくにつれ 心の中が落ち着き、 怒鳴ってくれる方々に感謝の気持ちを持ち、 自然界に存在する生命体の一つとして 本来のあり方を見出す。 自然は気づくものには雄弁だが 気付かないものには姿さえ見せない。 この一文を読んだ時に私も 永平寺に行ってみたくなってしまった。 外側ではなく、自分の内側にすべての意識を向けたとき 私は一体何を感じ、なにを見るのだろう?? 10日間の瞑想コースをインドで受けたうちの旦那は 「口では説明できないから自分で体験してみろ」 と言った。 足の痺れを完璧に意識しなくなった4日目辺りから いろいろな物事が見えてきたらしい。 永平寺の修行を終えた後社会復帰をした著者は最後に 体にまとった蚊を叩き殺す前に一瞬躊躇するようになった。 必要以上に食べることをしなくなった。 必要以上に考える事もしなくなった。 そして泣ける男になった。 変わったのはこの程度のことなのかもしれない。 しかし、こんなことも単なる気のせいなのかもしれない。 と語っている。 私はこの4つの変化をうらやましいなと思った。 特に3番目と4番目の深く考えない、泣ける人になる というところは私がもっとも足りないところで さらに簡単そうに見えてそこを直す難しさを 嫌というほど知っているからである。 苦しさの後に勝ち取る何か。 本当の喜びはそこにあると信じている私。 さて、私はこの先何をしようかなぁ・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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