早起きして観ました。
「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」
実は、昨夜、観ていたのですが、
なんか理解しにくくて、
今朝、もう一回見直しました。
引退後のサッチャーと
現役のサッチャーの姿が
頻繁に入れ替わるのでわかりにくかったのかな。
サッチャーが首相に就任したのは、
私が小学生の頃だったかな。
政治には興味も関心もなく、
友達との外遊び、フェルト人形作りに没頭していた頃。
それでも、サッチャーの顔は知っていたし、
「鉄の女」と呼ばれていたことは知っていた。
ただ、「女が首相になる」ということが、
特別なことだとは思っていなかったので、
サッチャーが「女であること」が
取り上げられる意味がよくわからなかった。
小学校では、
男子より女子の方が仕切ってたし、
子供の世界を取り仕切る大人は、
女性(母親たちや女の先生)がほとんどだったから。
映画を観て、
すごい人だなあと思いました。
なかなか家庭を切り捨てて仕事に没頭できないし。
気持ちの中では、常に子供を愛していても
行動が伴わなければ、
それは「愛してる」とは言えないんじゃないかと思う。
追ってくる子供を振り切って、
仕事に向かう姿は、
やはり「鉄の女」だなあ。
国を率いる達成感、
満足感、誇りというのはあるだろうけど、
それによって切り捨てた幸せもあるだろうし、
自分だったら、「国のための幸福」より
「自分のための幸福」を選ぶだろうな。
自分にはできないことを成し遂げた人としては、
すごい人だと思うけど、
果たして幸せだったのかという
疑問が残る映画でした。