見ることを超える
チョコレート色のグラミーを飼おうと思い、いそいそと持ち帰り、水槽に入れた。いつものように適当に、だが、通常の手順をふんで水合わせをし、ゆっくりとチョコグラを水に放った。チョコグラはちょっとたれ目でおちょぼ口。ひれをヨチヨチと動かし、なんともキュート。元気に泳いでるわ、と安心して眠った。よく朝、水槽を見ると、水草の間でじっとしていた。電気をつけ、つついてみる。ヨチヨチと動き出したのだが、ひれは広がらず不安定。そのうち、気の荒いグッピーにつつかれる始末。あわてて、別の水槽に移し、様子を見る。具合の悪い魚は、薬浴や塩を入れろと言われるが、そういわれてやったところで結局は、見ているしかない。ネコのように、体を抱くことも、さすることもできない。たとえそれが、何の助けにはならなくても、さするという行為で自分の体温を相手に移せば、人は何かしたような満足を得られる。水槽に手を入れて、魚をさするわけにいかない。傾き、弱っていく姿を、ただ見ている。ときどき、思い直したようにまっすぐ泳げば、お、持ち直したか、などと思ったりするが、しばらくすると、元に戻る。出かけなければならなかったが、なかなか立ち上がれず、ただじっと見ていた。時間切れで部屋を出た。外出先でネットで検索をする。グラミーのなかでもチョコグラはとりわけ飼育が難しく、水あわせ、食餌、縄張りや序列にまでかなり神経質な魚だった。飼うなら、調べとけよ、と頭の中で自分に言っただが、時すでに遅かろう。帰宅するとチョコグラは葉っぱのように浮かんでいた。相変わらずくりっとしたたれ目で、おちょぼ口だった。仕方ないので蓮鉢に埋めた。たかだか500円程度の魚だったが、もう500円出して次のチョコグラを買う気にはなれず、そこから2週間、チョコグラを移したもうひとつの水槽は、魚不在のまま、まわっていた。先日、不在の水槽を掃除し、水を整えて、コリドラスを2匹入れた。2匹のうちの1匹は、水あわせが終わると、じっと動かず、背びれが広がらなかった。また、ただ、じっと見ていた。そのうち物陰に隠れてしまったので、こちらも眠った。朝、電気をつけると、弱っていた1匹は、元気な魚と同じように砂を口に含んでプップッと吐き出していた。餌を入れると、よく食べた。相手の生に対して、本来無力だということを、魚は勘違いの余地なくわからせる。そこいくと、人は不思議な生き物だなと思う。見ることを超えようとする。そうすることが、良いことだとも、悪いことだとも、確信は持てないんだけども。