452578 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

エレファントピア

エレファントピア

ミャンマーと戦争と

ミャンマーと戦争と


四年程前、私はミャンマー(ビルマ)に援助活動を行う日本のNGOに所属し、一年半に渡り同国に在住していた。

活動地であったラカイン州と中央部乾燥地域では、地元の人々から先の戦争にまつわる多くの話を聞く機会に恵まれた。日本ではほとんど無縁に過ごして来た「戦争」というできごとを、時が止まったようなこの土地で、より現実味を持って感じたのは不思議だった。


首都ヤンゴン(ラングーン)から飛行機、船、車を乗り継いで二日の道程を要するラカイン州北西部は、バングラデシュとの国境近く、ベンガル湾とアラカン山脈に挟まれて位置する。

当時インパール作戦の陽動作戦の地だったという同地では、二十年前にムスリム(イスラム教徒)系住民のバングラデシュへの難民流出が起こり、国連と各国の援助団体が帰還難民のための再定住促進活動に当たっていた。

初めて戦闘の話を聞いたのは、インディン村というムスリムの集落だった。


「あの山で日本軍と英国軍が戦ったんだ。夜には、山のあちこちでパッパッと光がはぜるのが見えたよ。」村を案内してくれた老人は、戦闘の様子をこんな風に語った。その戦闘では日本軍が敗走を喫したという。
残念だったねえ。と、彼は付け加えた。私はなんと答えていいものか口篭もり、こんもりと木の茂るなだらかな山々を見上げた。

怖い思いはしなかったのですか?と尋ねると、老人は悪戯っぽく笑って、「いいや。次の日の朝に、皆で山へ行ったら日本軍と英国軍の食糧がどっさり残ってたんだ。」それでその年、村人は飢えずに雨季を越せたのだという。
因みに缶詰の中身と味は英国軍の方が勝っていたとか。「日本軍は粗末な食事でよく戦ったよ。」と、誉められてしまった。


同じくラカイン州の州都シットウェ(アキャブ)で孤児院を営む僧院を訪ねた時のこと。僧院は当時日本兵の兵舎として利用されており、兵隊達が使っていたお椀が大切に保管されていた。色の黄ばんだ金製のお椀の裏には、爪か釘で記したのだろう、苗字と班名が読んで取れた。

ここの長老の母は、日本軍で賄いをしていたという。兵隊は彼女を「びるま」と呼んだが、その発音がラカイン語では大変な尊敬の意味だったらしく、彼女は気を良くして一生懸命働いたのだそうだ。後でそれが単なる国名だったと知ったときはびっくりした。と、まだ健在の老母は大笑いした。



数多の仏塔群と雄大なイワラジ河を臨む古都バガン(パガン)は観光地として有名だが、同地域は年間降水量が500mm以下という半乾燥地帯であり、村人は水不足による生活難に苦しんでいる。私は水供給のための援助活動に携わっていた。

ある村で水確保状況を調査していた時。村人は雨季に貯めた雨水を貯水池から得るのだが、牛車で運ぶ水樽の上に何やら見慣れないものを発見した。
上戸として利用されていたのは、なんと旧日本兵のヘルメット。こんなものを再利用するとは…。驚く私に村人はすまなさそうに笑いながら、「便利なもので」と弁解した。


また、テマという村では、立派な小学校に案内された。村人が逃走中の軍医を助けたのが縁で、無事帰国した軍医から戦後援助を受けたという。学校には多くの寄贈品に加え、真新しい日本とミャンマーの国旗が飾ってあった。


仕事の後は、観光客に混じってバガンに夕日を見に行くことがあった。パゴダに登って日の入りを待つ。夕暮れの中、赤茶けた大地にポツポツと低木が茂り、ヤギの群れが行く。乾季には本当に緑の少ない土地なのだ。

「昔は逃走中の日本兵が隠れることができるくらい、森があったんだ。」と同僚であるミャンマー人の友人が言った。「森があったから、日本兵は助かったんだよ。」

彼を始め、バガンの人たちはなぜか戦時中の美談が好きである。始めは戦争の話をされても、なんと答えて良いか分からなかったし、むしろ罪悪感のようなものに襲われ、しどろもどろで話を逸らせた。
いつの頃からか、彼らは戦争の話をするとき、全く屈託がないことに気が付いた。美談だけではない、いろいろなことがあったろう。お互いに辛く、苦しい時だったのだろう。でも村の老人たちは私が日本人だと分かると、嬉しそうに当時を語ってくれる。だから私も心から「ありがとう」と言いたい。

そう友人に漏らすと、彼は笑って「とんでもない」という。「昔、日本兵を助けたから、今日本人が来て助けてくれる。村の人たちは皆そう言ってるよ。」
これには、びっくりしてしまった。彼らにとっては当時の日本兵も、現代のNGOも同じ日本人に変わりはないのだ。

パゴダから悠然とした大地を眺めていると、そんなふうに思うのも、不思議はないように思えてくる。

日本人とミャンマー人と、そして英国や他国の観光客と一緒に夕日を眺めながら、50年前にこの地を過ぎ去っていった人々のことを思った。


© Rakuten Group, Inc.