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カテゴリ:こころ・身体
薄暗くした部屋のゆったりとしたリクライニングソファーに横になり催眠療法は静かに始まった。
therapist chaskaさんの声が静かに私を意識の内部へ内部へと導いてくれていった。 催眠術というのは全然意識がなくなるようなものかと思っていたので驚いたのだが 意識はしっかりとあるものである。 外を通る車の音などもちゃんと聞こえているのだ。 だけど体はソファーに埋もれるように同化してしまったみたく感じる、 いや体があるような感覚は薄れていたような気がする。 導入から色々な道を辿って行き最後に前世の扉を開けるのだが 私は一度目はどうもうまくそこに入れなかったというか入っても集中が出来なかったようで 遠慮なくtherapist chaskaさんにお願いしてもう一度最後の部分の導入だけを繰り返してもらった。 彼女の静かな声が「どんな所に立っていますか?」と聞こえた途端 自分の足をみている別の自分がいるイメージになった。 それは想像していたのとはまったく違い、これっぽっちも思いもしなかったような心象だった。 素足でサンダルを履いた自分の足が硬い平らな岩の上に立ってた。 断崖絶壁ではるか下の方に川が流れているのが見える。 そして向かい側にはおなじような岩の絶壁があり それははるか彼方まで地平線のようにつながっていた。 まったく緑などない不毛の地のような荒地。 確かに岩石砂漠だという認識が自分にあるのが不思議だ。 ずっとその心象を見ているというよりも 最初に頭に浮かんだ瞬時の景色を「自分」がどのように認知しているかという世界だった。 そこにいる「私」は自分が見えないし、外側から他の目でその「自分」を見ていたのでも無い。 だが確かにその「自分」は足首まである長い衣装をつけてサンダルを素足に履いて 頭には何やら布で出来たものをかぶりその布は肩まで覆っていると解るのだ。 首筋に外気があたっている感触がないから、そして自分の事だから解るという感じだ。 「私」は髭を生やしている40代と思われる男性だった。 それは様々な文明の起こる以前の時間のようであった。 一番似ていると言えるのは、2000年くらい前のヨルダンやイスラエルの荒涼とした岩石砂漠の 崖の上に立っている民族衣装を着た40代の男、というものだ。 まるでオサマヴィンラディンみたいな(笑) 心の中には家族とか生活とかについては何もなく 目前に広がる広大な夕暮れの空:一番上は濃い群青色でだんだんと明るい青に変わりそこから 今度は鮮やかなオレンジ色にそまってやがて暮れて行く空、と悠久の大地に向かい 母なる大地と大いなる自然そして流れる時間に対する深い畏敬の念と感動と感謝、 人間の生活がいかに短く小さい事だろうという覚悟、 人生の中の悩みなんて何て小さい事なのだろうという達観のような感覚を その時の「自分」が感じているのが解った。 まるで取り越し苦労ばかりして色々悩む自分に対する教えを授けられたような感覚だった。 足元を見た瞬間からそれだけのイメージが総て説明できるくらい理解出来る自分が不思議だった。 そしてそのイメージの中の「自分」は確かに私だったと思う。 私は前世の一人がそのヨルダンの男だったと信じる。 あの時見た荘厳なまでの空の色は今でもはっきりと自分の感覚の中で確かめられる。 何時でもあの風景の中の「自分」に自分を重ねて思い浮かべられる。 -続く- お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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