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くりごと

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2007年09月06日
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カテゴリ:散策・紀行など


先週の土曜日9月1日の朝、未知の土地への遠出にわくわくしながら
ちょっとだけ不安な気持ちも残っていたけれど、もうここまで来たらジタバタするな、と元気に家を後にした。

最寄の東十条駅より京浜東北線に乗り東京駅へ。
そこから新幹線に乗り岡山まで、そこから土讃線の特急に乗り換えて高知県須崎へ、出発から到着まで約8時間に及ぶ長旅である。

雲しか見えないような飛行機と違って、電車の旅は景色を楽しめる。
高知に行くと決めた時からずっと電車での南下行を計画し心待ちにしていた。

前ブログに書いたけれど期待していた最新型新幹線車両のN700系にこそ乗る事が出来なかったけど、新幹線自体もう興奮モノである私には残念がる程の事もなく、ホームでお弁当を買い込みウキウキと席に着いたのだった。
もちろん私が窓側である、体は完璧に窓を向いて座っていた。
夫はあまり景色を見ない方なので文庫本を持って来ていた。

午前10時13分発博多行きのぞみ19号は定刻通り静かに車体を滑り出し、
都心の景色がゆっくりと後方へと引き潮の如く動き去って行った。

新幹線には数えるくらいしか乗った事が無いが、東海道の景色には少しは見覚えがある。
それでも毎回違う季節、違う天気、違う気分によって見える景色に微妙な違いを覚えるから何時でも新鮮で面白い。
進行方向左側に座っていたので富士山が見えたのかどうかは解らなかったけれど東京、神奈川の連立した都市部を抜けると急に景色は広がりを見せ始め、家々の境は少しずつ広く取られ、高いビルが減り起伏が多く緑の塊が点在する風景と変化して行く。

その緑の塊が蜜柑だったりお茶だったりと更に変化してくるとトンネルが多くなり、その一帯を過ぎれば視野は急激に開けて平坦な開け放たれたような空間にいる事に気がつく。

遠くに薄く山並みの影を置いた広い平地は反対側には、見えていなくても少し先に海が広がっているのが確信出来る光の発散が感じられる。

飛び去る家々の一つ一つにそれぞれの家庭があり人々の暮らしがあり
毎日の営みの中で笑ったり泣いたり怒ったり。
こんなに広い所でも自分の範囲を大切にしてその中で安心をして、なんて日本人の健気な事よ。



早過ぎて通過する駅の名前が読み取れず、現在位置の確認をしたいと思い看板や道路案内など読めるものから判断しようと努力するのだったが
そんな時に限って土地名に関係のない看板ばかりが立つ地域だったりして焦るのも面白い。

大きな目安になるのが川の名前だ。
殆どの、ある程度の大きさがある河川の土手には、必ず「天竜川」みたいな大きな看板が立っていて、それを見つけては頭の中の地図を訂正して行く。

こんなのなら東海道新幹線の線路の走行位置をもっと詳しく確認しておけば良かった、と思っても遅かったのが悔しい。

特に関が原の辺りの小山が田の中にポコポコと転がっているような風景、もっと詳しく知りたい細かい事が多かったのに・・・、降りてからではそれが何だったのかすら思い出せない自分が悔しい。

琵琶湖を従えた広大な平地には稲の出穂が見事で、中にはたわわに実り頭を下げている田がいくつもあった。
今季の実りが豊かである証の景色は、まるで稚拙な絵のようにごく素直に当たり前のように「青い空、ぽっかり浮かぶ白い雲、遠くの山々の緑、黄金色に変化しつつある稲田」そのものの美であった。



本を読んでいる夫に窓の外を指差してはあーだこーだと景色について説明したり急いで見てみろと教えたり、私の旅は常にとても賑やかでうるさいらしい。
そりゃぁ見る物総てに興奮してテンション上がりまくり状態なのだから止めようがないのである。
本が全くはかどらないと文句を言われても、やっぱり珍しいものや驚いたものは見せて一緒に興奮してよ、と思う私なのであった。
大体私みたいな旅行の仕方をしてこそ元が取れるというものである。
人の倍以上興奮して楽しんで感心して喜ぶのだからちょき



トンネルを出た途端に家々の間隔が狭まって寄り添うような感じになり周りを山を柵にして囲んでしまったような、それでいて広がり過ぎていない「狭さ故の安心感」が漂うような街になったと思ったら京都に着いていた。
エアコンの効いた車内から見ていても、京都の街は残暑に倦んだように見え、暑さが景色の一部になっていた。

五重塔が見えたり寺院の屋根があちこちに見えたりするのだが京都タワーの醜悪さだけは受け付け難いものがある。
東京タワーみたいな鉄骨のデザインの方がこの街には「まだまし」だったのではないかと思える。

屋根の形が奥行きのある細長い町家の形、しかも入り口側に屋根の勾配が下がった形という関東には在り得ない様子なのも見ていて面白い。


京都郊外の川には川鵜が沢山見られた。
新幹線は走る線路が高架になっている為とても景色が良い。
高い所から見下ろすのだから遠くまで見えるし全体像に近いものが一瞬ずつ目に入って来る。
しかし高さ故その土地の実際の生活感に触れたような感覚に浸るには無理があるのが残念だ。
もっともこのスピードで地面を突っ走ったなら近過ぎて早過ぎてきちんとは何も見えないかもしれないが・・・。



大阪の街は(新幹線から見える部分だけの事だけど)それまでの景色と違ってくすんだような古さと汚れた感じをまず受けた。
どの都市にも古く汚い部分があるのだが大阪はそれが新幹線の車窓にまじまじと映ってしまう場所に連なってしまっている悲劇がある。
それは家や店の外壁に波板トタンを多く使用している事も関係あるだろうし(すぐ劣化して汚れ易い)、モルタル壁の汚れがそのまま残されてリフォームが行き届いていない家屋が「新幹線から沢山見えた」からだろう。



大阪を出るとトンネル続きで、車内の景色がぼんやりと映っただけの詰まらない車窓になる。
ふっと外が見えたと思ってもほんの数秒で次のトンネルに入ってしまう。
それがいつくか続き、長いトンネルを出た所がもう新神戸駅だ。

その後は座りっぱなしだった為、姫路城が新幹線から見えるのか今だに解らず終い、そのままずっと左側の景色に見入っていた。



トンネル続きが終わって開けた土地では家々の屋根が関東とはひどく違っているのに気がついた。
瓦屋根の率はかなり関東よりも高いと思う。
しかも黒っぽい瓦が多いのでどっしりと重厚で立派に見える。
関東では関東大震災を言われて長い為か瓦もスレートのような軽量瓦が中心になっている地区も多いから余計そう見えたのだと思う。



左側車窓風景の向こうの方には瀬戸内海が光って見えるようになってきた。
大きな半島のように見えるのが淡路島なのだと気がついたのは明石海峡大橋が見えていたからだ。
あのつり橋の優雅な姿は瀬戸内海の景観を損ねていないだろうと思えるほどたおやかである。

この明石海峡大橋、瀬戸大橋、しまなみ街道と瀬戸内の海を渡る手段がどんどん新しく出来て人々の生活に変化をもたらせた事だろう。
全部渡ってみたい!!!



のぞみ19号は岡山の駅に定刻通り13時37分に到着した。
これから約15分の待ち合わせ時間内で駅構内下層にある土讃線ホームまで急ぎ、高知県宿毛行きの南風13号に乗らなければならない。

新幹線のように次から次へと列車があるなら良いけれど南風号でしかも目的地である須崎まで一気に行かれる列車は本数が少ない。
指定席券を購入してある事もあり焦る焦る!!

焦ったのは私ばかりで(乗り物の時間にはかなり神経質な私、人に笑われながらでも飛行機なんて搭乗ゲート前に2時間前には着いていないと落ち着かない)のんびりした夫をせかして一人で慌ててホームへ降りたら・・・・・、
可愛らしい3両編成の「特急」南風号が停車していた。
特急という言葉からはデーンとした何やらスゴイというイメージがあるのだがなんだか短くて愛らしいのに驚いた。

しかしこの南風号は驚くべきタフさでディーゼルエンジンの臭いを撒き散らしながら四国の山の中や渓谷の断崖を猛スピードで走り抜けるのであった。

今回の旅のポイントは南風号に乗ったという事が非常に大きい意味を持つ事となった。



jr5






-続く-







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最終更新日  2007年09月07日 00時16分57秒
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