2008/06/13(金)12:55
吟、猫という生き物
吟と暮らすようになってから多くの事に気付かされてるのに驚く。
猫という動物の愛らしさ素晴らしさはもちろんだけど、この完成された美しい身体には奇跡を見るような気がしている。
猫に限らず生物は進化して今に至っていて、それぞれが独自の美しい生命を謳歌している。
たまたま吟が家族になって間近にその生態を見るようになって初めて「猫」の素晴らしさに畏敬の念を抱くようにすらなって来た。
猫のしなやかな動きと野生をいまだに忘れていないその性質。
人との融和を認めながら己の本能を曲げていない自覚のようなものすら感じる。
今何かアタシの事噂してるでしょ
その完璧に交みえない性格が時には気高く見えたり、わがままに見えたり・・・こちらのその時の心境を鏡のように映し出しているのが面白い。
ペットを飼う、飼い主になる、そういった気持ちが全くなくなっているのが今の私達に関係だと思う。
吟はペットになるのだろうが、心情的には全く家族の一員である。
餌を与え水を換え寝床を整えてあげるけど、飼い主として上から見下ろすような関係ではないのだと考えている。
こちら側からの生活に必要な糧を与える事に対して、吟はこちらの心に必要な栄養を与えてくれていると思う。
その柔らかな毛を撫ぜたり暖かい身体を抱きしめたりする度、例えようもない程の優しいさと愛おしさが溢れて来て、ささくれ立っていた気持ちも荒れていた気分も滑らかに穏やかにされてしまうのにどれ程助けられている事だろうか。
目に見える食べ物と、目に見えない優しさとを私達は対等に与え合って生きているように思う。
ここにペットと飼い主とか言った上下関係は成り立っていない。
そんな事知らん、ごたごた理屈こねないでょ
猫や犬など動物と共に生活していない人達から見たらただの猫キチとかに思えるだろう。
でも吟と生活するようになってから、前にも増してつくづく思うようになったのは行きとし生けるもの全ての大切さである。
動物は生きているから美しく、剥製にして飾る人々の傲慢さは耐え難い。
命が美しく尊いのであって個々の大きな違いを見ていてはいけないのだと思う。
人が支配し破壊し続けるこの地球には植物も含め数え切れない程沢山の種類の命が集っている。
私達もその一員であり吟もまたその仲間である。
吟を可愛いと思うとどこの猫も野良猫も全ての猫が気になるようになったし、猫すべてが可愛いと感じるようになった。
後から生まれても私達より早いサイクルで生涯を駆けて行く彼らは、やがて年齢を追い越し先に逝ってしまう運命にある。
それでもそれぞれの生涯を安心して全うさせてあげたいと願う。
猫は猫として美しい。
人は人としての分をわきまえてこそ美しく生きられる。
犬の素直さは人が犬を人格化して楽しむ事を許してしまった事からの不幸を呼んだと思う。
服を着せられ姿を加工され、本能に従って生きていた頃の美しさを無くしてしまった可哀想な姿をよく見るようになった。
猫は最終的な部分で己を主張するから、犬ほどは人間の玩具にされずに済んだのだと思う。
ごちゃごちゃ面倒くさい事を書いてしまったけど、要するに猫が可愛くてしょうがないという話だ
よく猫の肉球が好きだという人が多いけど、私は猫の足を上から見た方が可愛くて好きだ
Pawと言うのだが、日本語では何と呼ぶのだろう
丸くて柔らかくて小さくて・・・堪らなくて何時も寝ている吟の手を持って遊び起こしてしまう
このお手々の事ですか
そうそう、この可愛いお手々の事ですよ
こんなにくるんと丸まったり・・・
こんな形に折ってみたり・・・
後ろのあんよだってこんなに可愛い格好してるし
ほれほれ、可愛い形でしょっ
ほれほれ、ほれほれっ
だからお手入れはかかさないのよね
(毛づくろいしたり水を飲んだりする時に見える吟の舌がまた、丸くってピンク色で可愛い事この上ない)
猫は媚を売らないというのは本当らしい。
吟は自分の都合でしか抱かさりたくない子である。
自分が抱っこされたい時だけ当たり前の顔をして乗って来る・・・これがまた嬉しくてしょうがない事なのだが
私は吟の都合に合わせないで、やはり自分が抱きたい時に無理やりでも抱っこしてやる
従って手のあちこちに引っ掻き傷が耐えない事になるのだが・・・
吟の存在そのものが可愛くて可愛くてどうしょうもなく、思わずぎゅーっと抱きしめたまま振り回してしまう。
その結果最近の吟は私をプロレス遊びの相手だと考えているようだ