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2012/05/26(土)23:03

松江城 【島根】

鳥取砂丘/倉吉/三朝/境港/・島根/出雲/松江(7)

松江城(1611年築城)は千鳥城ともいい、全国に現存する12天守の一つです。日本三大湖城の一つに数えられています。松江城は、天守の平面面積では2番目に広く、3番目に高く、4番目に古い城です。城跡は国の史跡に指定されています。松江城は、昭和10年には国宝に指定されていたが、文化財保護法制定により重要文化財となりました。「松江城を国宝指定に」したいところですね。松江開府の祖・堀尾吉晴、関ヶ原の戦功として出雲を賜った、尾張国(愛知県大口町)生まれの堀尾吉晴が、遠江浜松城(12万石)より、松江城初代城主(24万石)となりました。松江では今も尚、松江開府の祖・堀尾吉晴として尊ばれているそうです。堀尾氏は世継ぎなく3代目で絶えました。京極忠高が、若狭小浜城より(26万4千石)入城(26万4千石)したが世継ぎなく1代で絶えました。松平直政(徳川家康の二男、越前福井藩主結城秀康の三男)が、信州松本城よりが入城(18万6千石)し、以来、松平氏が続きました。松江城初代城主・堀尾吉晴には数々の武勇伝があります。吉晴は仮名を「茂助」といい、温和な性格と容貌から「仏の茂助」と呼ばれ、越前一揆軍の戦いでは殿を務め一揆勢を討ちとり、秀吉からは「鬼の茂助」と称賛されたそうです。織田信長が稲葉山城に進攻するときは道案内役を務めた。豊臣政権では三中老の一人となる。関ヶ原の戦い前、三河刈谷城主・水野忠重(徳川家康の叔父)が催した、三河国池鯉鮒(愛知県知立市)の宴会中、美濃国加賀野井城主・加賀井重望が水野忠重を殺害、吉晴も槍傷を負ったが重望を討った。松江城は、宍道湖北側湖畔の亀田山に築かれ、日本三大湖城の一つです。堀は宍道湖と繋がっています。松江城所在地:島根県松江市殿町1番地城下町であり、水の都として知られる宍道湖(しんじこ)は、全国一のシジミの産地として有名です。

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