2018/06/20(水)20:51
鹿児島中央駅の若き薩摩の群像
鹿児島中央駅の若き薩摩の群像慶応元1865年、日本は鎖国中でした。甑島(こしきじま)出張と偽り、イギリス商人グラバーの手引きで羽島(鹿児島県串木野市)を出帆してから20日目シンガポール。66日かけて彼らはやっとロンドンに着きました。 ー藩命で海外渡航の禁を犯した19名ーが、薩摩藩の第一次英国留学生という事に後になった。。海外は驚きの連続だったそう。オランダ人夫婦のキッス・・アイスクリーム、高層建築、汽車・・・・・・。34歳の新納久修を団長に、引率者として町田久成、松木弘安、五代友厚、学生では後に初代東京開成学校(現東京大学)学長となった畠山義成、初代文相・森有礼。最年少で当時13歳だった磯永彦助(長沢鼎)はアメリカに定住し、ぶどう王といわれました。留学生を引率した新納や五代の現地での活躍も目覚しく、パリ万国博への薩摩藩の参加を決め、当初の目的であった紡績機械の買い付けにも成功しました。また松木(寺島宗則)は、イギリスとの外交折衝で、討幕運動の助力を得たのです。明治維新という大きな時代変化の中で帰国した留学生たちは、それぞれに大きな役割を担いました。ブーゲンビリアがとても綺麗に咲いていました。