カテゴリ:教育、子育て、自転車旅行
『続き』・13~心を育てる
心が育たないのは押しつけられた、刷り込まれたスタンダードがあるからなんだ。 そして、押しつけられた、刷り込まれたスタンダードに達している者やスタンダードを越えた者が、スタンダードに達していない者をバカにする。いじめる。そんな構図が出来上がってしまっているんだ。集団性を育むという、僅かに残った学校の存在意義さえも、空気を読んで迎合する、にすり替わってしまっているので、スタンダードに達していない者はスクールカーストに押し潰される。 そして、そのスタンダードには、根本に大きな間違いがある。 そのスタンダードには、速い遅い、大きい小さい、強い弱い、広い狭い、そんなものしか並べられていない。そして、速いものが遅いものをバカにする、いじめる。強いものが弱いものをバカにする、いじめる… それが当たり前になってしまっている。それらは、“効率、利便、スピード”ばかりが美徳とされてきた高度経済成長期に刷り込まれてしまったもので、実は誤ったスタンダード設定なんだと思う。 「はやくしなさい」 「おせえよ」 でもね、速いも大きいも強いも広いも、全部、比較論的なものだ。スポーツの出来る子供がスポーツの苦手な子供をいじめる。よくある構図だ。自分の指導者の前でだけ礼儀正しくして、陰でおとなしい子供をストレスの捌け口にしていじめる。そんなスポーツに価値があるか? そして、押し付けられたスタンダードには、本当に大切な、優しさとか思いやりとか守るとか譲るとか、そういったものが入っていないんだ。 だから、心が育たないんだ。 だから、心が育たないんだ。 だから、心が育たないんだ。 遅い子供がいつ速くなったっていいじゃないか。弱い子供がいつ強くなったっていいじゃないか。 もっと言えば、遅い子供が、弱い子供が、小さい子供が… そのままで肯定されるべきなんだ。勝手に押し付けられたスタンダードなんかに振り回されることなんかなく。 遅い子供が速くなるかもしれない。弱い子供が強くなるかもしれない。それは成長なのだろうか? それだけなら、ただの変化じゃないのか? だって、強くなったからって暴力をふるうようになったら、それは退化だろう? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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