2010/04/22(木)06:01
人間をやめて吸血鬼になろう SF短編「流血鬼」
NHK教育の「こだわり人物伝」で
藤子・F・不二雄先生の特集の
第4回(最終回)が放送されました。
今晩(21日)の第4回は
書きたいことがいっぱいあるので
ゲストの岡田 斗司夫さんのお話は
次回、書く予定です。
■ ゲストは岡田 斗司夫さん
「新世紀エヴァンゲリオン」などで知られる
アニメ会社ガイナックスの、元社長の岡田さんです。
今回の特集は「S 少し F 不思議」 SF短編です。
■ SF短編 「流血鬼」
今日の日記は、私が
若き日に、苦しむほどの混乱を引き起こした
「流血鬼」を紹介したいと思います。
中学生の時に初めて読んだ時
最後のページで、あまりのショックを受けてしまったため
身震いして、鳥肌がゾッと立ってしまいました…
「怖い」とか「恐ろしい」というレベルを超えていて
宗教や哲学を大きく超えた本作は
あまりに精神的ショックが大きすぎました。
< ストーリー >
日本、そして世界中に
ウイルスが広まっていた。
地球上の人間は、ほとんど吸血鬼になっていた。
■ 「ハアハア」と息を切らしながら走る少年
■ 少年は自分を守るために、吸血鬼を刺す…
■ 家に戻ってくると、両親は倒れていた…
吸血鬼にかまれると、意識を失い
しばらくして、目を覚ますと吸血鬼になるのだった。
両親は、吸血鬼にかまれていた。
■ 悲しむ暇もなく、吸血鬼が少年を襲ってくる!!
■ 家を飛び出しても、町には吸血鬼だらけだった
■ 吸血鬼を殺す人間は、流血鬼ではないのか…
少年に、ヒモで縛られた女の子は
幼なじみの女の子であった。
少年は、心を鬼にして、彼女を縛り上げる。
彼女は、幼なじみとはいえ、吸血鬼になってしまったからだった…
ここからが本作のテーマです。
このような世界にいたら、私たちもきっと
吸血鬼の息の根を止めていることでしょう。
必至になって、我が身を守ることでしょう。
人の生き血を吸う吸血鬼は、文字通り「鬼」ですが
吸血鬼を殺す人間も、血を流す「流血鬼」ではないのか…
それが、本作の重く苦しいテーマです。
「吸血鬼は悪魔だから殺してもいい」
私たち人間は、このように考えるかもしれません。
さて、人間も吸血鬼も、共に(医学的には)人類であり
お互い、生きたいと思っています。
吸血鬼は生きる権利はなく、殺されて当然なのでしょうか。
ウイルス感染や、かまれることによって、生まれ変わってしまう
吸血鬼は、まぎれもなく「元は人間」なのです。
吸血鬼を殺して、血を流す流血鬼(人間)であるよりかは
人を殺したりはせず、「血を吸うだけ」の吸血鬼の方が
良い生き方であり、良き存在ではないですか?
人間はやめましょう! 吸血鬼になろう!!
そんな結末で終わるのです。
大人になれば、同意はできなくとも、解釈は可能です。
ですが、ランドセルをおろしたばかりの少年(私)には
受け止められるはずもなく、大いなる混乱に陥ってしまったのでした。
当時の私は、ノイローゼの一歩手前でした。
精神的病をしばらく背負いました。
■ まさに価値観の変換です
「流血鬼」や、他の短編にも共通しますが
F先生が投げ掛けた「価値観を問う」作品なのです。
子供の頃には「精神的な混乱」だったものが
大人になってみると「感動を超える深み」に感じ取れる
スコシフシギなSF短編は、読むたびに考えが変わる
そして、多角的に読める、偉大なる傑作なのです。
■ ミノタウロスの皿
価値観の逆転といえば…
人間の立場が全く反対になってしまう
「ミノタウロスの皿」も、恐るべき、思考の変換でもあります。
牛の姿をした者が、人間を食べるという星が舞台です。
地球では、人間が牛を食べるのが普通のように
「ミノタウロスの皿」では、人間が食用として
食べられるのが普通であり、しきたりである星だった!!
だから、少女も、食べられることを誇りにしていた…
これは、12/23の日記で紹介しました。
■ オマケ SF短編3作
番組で、マンガの見開きが、ぱらっと出されました。
右奥は「光陰」、左奥は「大予言」、手前は「幸運児」です。
所要時間、約2秒。早押しクイズに出れますかね?(笑)
因みに、「大予言」は2/4の日記に
「幸運児」は2/8の日記で紹介しました。
「光陰」は、まだ書いていません。
■ 箱舟はいっぱい (1974年)
こちらは、1/16の日記で紹介しました。
ゲストの岡田さんの語りは、素晴らしかったです。
後日、遅れて紹介します。スミマセン、岡田さん。
■ 「流血鬼」は、小学館のSF短編集2巻に収録されています
藤子・F・不二雄少年SF短編集 2巻