|
カテゴリ:『藤子・F・不二雄 先生』の話
9月23日の
秋分の日は (今年の秋分の日は22日ですが) 藤子・F・不二雄(本名・藤本 弘)先生の命日です。 一九九六年の九月二十三日でした。 朝、藤本氏の奥さんから電話があって 「藤本が亡くなりました」と! 僕は「エーッ!」と一瞬、頭がマッシロになりました。 自宅の二階の仕事場で机に向かい、 鉛筆を持ったまま 逝ったそうです。 「ドラえもん」の"のび太のねじ巻き都市"の原稿を描きながら…。 30年以上「藤子不二雄」で コンビを組んできた、藤子不二雄A先生は 著書『78歳いまだまんが道を…』で このように書かれました。 ■ 発売されたばかりのA先生の著書 こちら『78歳いまだまんが道を…』には F先生についてのエピソードも載ってますので いくつか紹介したいと思います。 一緒にいる時は考えなかったけど、 別々になってから藤本氏のすごさが次第にわかってきました。 それまでパートナーだった藤本氏が、藤子・F・不二雄という 別の漫画家になったわけで、あらためて彼を見られる ようになったからです。 (中略) 藤本氏は静かに、深くFワールドを進化させていたのです。 「Fワールド」、いい響きですね~ 私も、これからブログで使いたいと思います。 今から思うと、藤本氏はまったく揺るぎのない人でした。 劇画が出てきた時、あの手塚先生でさえ 「自分の漫画が少し古いんじゃないか」と悩まれて 劇画タッチをとりいれて描かれたことがありますが、 藤本氏はそういうことがまったくなく、自分の王道を まっすぐ進みました。たいしたものだと思います。 漫画の神様の手塚先生でさえも 今までにない劇画の登場&人気に悩まれましたが F先生は、デビューから一度も 作風を変えることがありませんでした。 これは、本当にスゴイことです。 ですが、F先生も一度だけ劇画を描かれています。 知る人ぞ知る、あの『劇画オバQ』です。 『劇画オバQ』については2009年11/11の日記をご覧下さい。 ■ まだまだこれからというのに さぞ残念だったでしょう 藤本氏は、この世に"ドラえもん"を残して "どこでもドア"から、あこがれていた異次元の世界へ 飛びだしていったのだと思います。 ■ NHKの番組「あの人に会いたい」 (クリックで動画が見れます) 「ドラえもんが願いをかなえてくれたら?」と 子供から質問を受けるF先生。 子供の頃の写真や 「空想にふけるのが好き」という ご自身のエピソードまで。 手塚治虫先生とのご対面から トキワ荘の映像まで なかなか知られることのなかった 貴重映像が満載です。 後半(7:00頃)、大勢の子供たちの前で語る F先生のトークは、胸に響きます。 何でもいいから、好きなこと、打ち込めることを みつけてコツコツやっているうちに きっと誰か認めてくれる人が出てくると思います。 絶対に何もいい所がないという子はいない。 のび太くんでも、とっても立派なところがある。 全国の子供たちに、小さな子供たちを持つ親御さんたちに このF先生の言葉を贈りたいと思います お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[『藤子・F・不二雄 先生』の話] カテゴリの最新記事
|