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カテゴリ:現代詩
併合前
ここは ひとつの 独立国だった 知知夫国 人口 約六万人 の国 父は この国で生まれ この国で育った 父は 系譜を辿り 系図をつくった 江戸時代まで辿り 自分の祖先をつきとめた オノという武士だった 侍だった 父は ほっとしているが ぼくには どうでもいいことだ ミトコンドリア・イヴ説によれば DNAは 母から 受け継がれてゆくという 悲しいかな 父の 祖先は 生物学的に ほとんど 意味をなさず 自分が 男となって 生まれ出てから 父のDNAに 跡継ぎはいない ミトコンドリア・イヴ 人類は 二十万年前の アフリカの ある ひとりの女性から すべて発生したという説 受精卵の ミトコンドリアという細胞によって DNAが伝えられ 男性の ミトコンドリアは 受精と同時に 捨てられる この説は 現在 ほぼ正しいとされている 男は 父は 捨てられる 少なくとも DNAとしては 捨てられる 突撃する ことが 父の 宿命だった いまも その通り 生きている 知知夫国は 武蔵国に併合し 武蔵国は 大日本帝国になって 父は 大日本帝国の 陸軍のひとりとして 突撃 した やさしさも いたわりも あった けれど 残虐な こともした 父は そのことになると 無口になった けれど ぼくは知っている 真夜中に 敵兵に 襲われている 父を ぼくは知っている あれから数十年が経ち 大日本帝国は ニホンになった そうして 生き残った 数少ない証言者の 父は 芝居じみた おどけた口調で 伝えてくれた ほんものの 捕虜で 試すんだ 銃剣構えて 試すんだ うしろ手に 縛られた捕虜 ほんものの にんげんで 試すんだ 新兵の 父は 度胸なく はずしてしまい それでも ぶっすり ぶっすりと 肉には 銃剣突き刺さり ほんものだから うめき 叫び 目もあけて 見開き 父に 訴える そんなとき 将校がそばにいて その捕虜 バッサリ 軍刀振り下ろす 芝居じみた おどけた口調で 伝えてくれた 父は それから すべてを決めて 生きてきた 結婚して 数十年 父は 母の疑問に答えずに 今日の 今日まで 信じてる 父の筋肉 いまだ硬く そうして 筋張って 頑丈な肩だ あんまり頑丈で 足が弱って それでも 頑として 弱い自分の足腰を 恥じている 父 父は一切 杖持たず 歩けぬことを 恐れてか 父は 命ずる 自分に対して 命令する 動くな! そこから 一歩も 動くな! 絶対に 動くな! と命令するんだ 父は 自分に そうして 父は 母や ぼくに 一切 すべてを 断絶するんだ 一切 すべてを 父の手紙に 父の文章に 父そのものは 一切 ない 父は 生涯 自らを 隠す つもりだ ぼくは知っている 父の涙 ぼくは見たんだ! 父の涙を 知知夫国 併合前は ここは ひとつの独立国だった 父は ここで生まれ ここで育った 父は 逃げなかった いまも 父は ここに いるんだ 父は ここに 捨て去られるまで ここに お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005/01/05 10:35:31 PM
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