最下位3
……おとなしい。前回の日記を自ら読み返して、感じたことである。はたして、現状と展望だけを書き記すことが、“ねっぴぃ的”といえるのか。“自分らしさ”とは――?そんなことを考えていたら、もう1度だけ合併問題について語りたくなった。今日は、とことん好き勝手なことを書いてみよう。「今夜は投げっ放しジャーマン」オシ、本日のスローガンはこれで。既成概念をぶっ壊してやる。まあ、所詮は「天邪鬼の戯言」だけど。まず、これだけはハッキリ宣言しておきたい。ズバリ、今回の合併は『是』だった、と。オリックスの惨状を考えれば、その理由もわかるというものだ。とにかく、人材がいない。投手はストライクを投げられず、追い込んでからも平気で痛打を食らう。守備もお粗末。送球すらままならず、狭殺プレーでアウトが取れない。打つ方でも、走者を進塁させられず、残塁の山を築く……。サーパスはもっと酷い。人材どころか、人数そのものが足りない。選手を育成するどころか、試合を成立させるだけで精一杯なのだ。投手は、先発も中継ぎも関係なし。野手も、草野球よろしく守備位置が不確定。過去には、投手であるウイリーが、正一塁手になってしまった時期もあった。もちろん、プレーの質は劣悪そのもの。『聖闘士星矢』の登場人物に喩えるなら、その不甲斐なさは「雑兵」級に値する。今年はちょっとだけマシになったが、彼奴ら、本当にプロなんか?ファンは球団に愛着があるから、金を払って球場へと足を運ぶ。ところが、そこに見所はない。ああいうのを「無駄遣い」というのだ。なら、合併するのもアリなのでは……?今回の合併を批判する人々は、球団数が減ることを“球界の危機”と嘆く。選手の受け皿が小さくなることで、プロを目指そうとする人間がいなくなると心配しているのだ。しかし、本当にそうだろうか。プロらしいプレーを見せられない球団が存在することこそ“危機”ではないのか?ぶっちゃけ、日本球界なんて既に終わっていたのだ。だから“危機”と表現すること自体が誤っている。プロ野球はここ10年間、ずっと死病を患っていた。その大きな端緒がドラフト改悪であり、未成熟なFA制度導入であった……、と思うのだ。そもそも、ドラフト制度とは各球団の戦力均衡化を図るためにNFLが考案したものだ。平たく言うと、成績の悪かった球団には、有望な新人を獲得するための権利が与えられるということ。拮抗した勝負が増えれば、リーグのレベルも上がるし、ファン層も拡大する。だが、1994年(逆指名制度導入)以降の日本ではどうか。全く逆ではないか。戦力は一極集中する一方で、下位球団は浮上のキッカケすら掴めない。実際、オリックスが自由獲得枠で補充している戦力は、他球団の3巡目、4巡目くらいの実力に見える。それでも、彼らは1億円もの大金を手にしている。……理不尽。理不尽。理不尽。こんなことを10年も続けていれば、自然と選手層にも差が生じてくる。上位球団では、試合に出るべき選手が飼い殺され、下位球団では、アマレベルの選手が醜態を晒す。FAにしても、同じである。採用するならば、他の部分でバランスを取るべきだった。せめてドラフトを完全ウェーバーにするとか、飼い殺し防止のためにルール5ドラフトを導入するとか。サラリーキャップやラグジュアリータックスだって、もっと協議が必要だったのではないか?ファンの願いは、いい試合を見ること。チームが、健康的に勝ってくれることだ。しかし、不健康な制度がそれを不可能にしている。そういう意味で、今回の合併話は好機なのだと思う。悪い顔したオーナー共、権利の主張ばかりする選手たち、そして、無知で危機感のない我々ファンも、病んだ球界について考えるべきなのだ。願わくば、この騒動が球界をより良き道へと導かんことを。