引退2
10月1日の最終戦は、Xデーである。男の花道。清原和博、現役最後の試合。まさか、あの西武や巨人にいた清原が、オリックスで引退試合を迎えるとは。何より、よくぞ復活できた、と。清原の膝が如何ともしがたい状態になったのは、昨年のことだった。痛みがなかなか引かない。キャンプ中、何度も東京の病院に通ったが、診断の結果は、いつも「原因不明」……。原因がわからないのだから、治せない。実は、この年の夏を迎える頃には、引退を決意していたという。だが、そんな清原の野球生命を何とか繋ぎ止めようとした人物がいた。サーパスのコンディショニングコーチ、本屋敷俊介である。「お願いだから、もう1回だけチャンスを下さい」彼は神戸に名医がいると訴えた。しかし、清原はその申し出を一度は断った。東京でわからないものが、神戸でわかるはずがない。そんな思いがあったからだ。それでも、本屋敷コーチの熱心な説得に、最後には「1度だけなら」と折れた。実は、主治医となった人物は、柔道の野村忠宏などを患者に持つ“膝の権威”だった。神戸の医者だから、まさに“灯台もと暗し”。診察の結果、原因がわかった。完治は無理でも、痛みを和らげることは可能という。光明が見え始めた。思うに、こうした原因不明の怪我や病気に悩む人間にとって、医者との出会いは運命だ。我が家にも経験者がいるので、よくわかる。例えるなら、ラーメンマンとドクターボンベの関係。清原にとってのモンゴルマンマスクは、膝に軟骨を移植するという手術だった。新しい軟骨は、なんと金槌で打ちこまれたそうな。はたして、手術は成功した。しかし、問題があった。ここから復帰を果たした前例がなかったのだ。先の見えないリハビリの日々は、不安との戦いでもあった。それを支えたのも、実は本屋敷コーチ。毎日、清原より早く球場入りし、リハビリの準備。清原はそんな姿を見て、休もうと思う気持ちを押し殺し、辛いメニューをこなしたという。そして、今年8月3日。実に、695日ぶりに清原は一軍に帰ってきた。結果は空振り三振に終わったが、その表情には達成感が浮かんでいた。試合後、本屋敷コーチはロッカールームで清原に脱いだばかりのユニホームを手渡された。「1年間、ありがとう」その言葉に、本屋敷コーチは涙をこらえることはできなかったという。気遣いのできる男。今月22日、ボロ負けした日本ハム戦でのこと。次々と打たれ、うなだれてベンチに帰ってくる投手たちの肩を叩き、励ます姿が印象的だった。そんな清原に残された時間は少ない。そう思った途端、寂しくなった。因みに、引退試合の相手はソフトバンク。王監督も、今季限りの勇退を決めている。奇しくも、ドラフト会議での因縁がある2人。互いに悔いのない試合を期待したいものだ。Please crick here !!