回顧2
岡田監督の『オリの中の虎』を読んだ。▼一種、捕手的とも思えるマイナス思考。▼相手ベンチをよく見ている。▼二軍時代の経験が若手の育て方に生きている。▼スタイル無形。与えられた戦力によって戦法を変える。▼根っこの部分には、やはり阪神タイガース。と、感想はこんなところか。「大石(ザク)とは違うのだよ、大石(ザク)とは!」と感じられるエピソードも書いてあったなァ。……性能がグフほども違うかどうかはわからないが。そんな岡田監督が率いる新生オリックス。何やら凄いことに気が付いてしまった。それは……。『2009年オフのオリックス≒2003年オフの中日』早速、検証していこう。■内野手出身の新監督誕生。オリックスはもちろん、岡田彰布監督。中日は落合博満監督のことである。■補強は最低限で済ませ、現存戦力の底上げを図る。今オフ、オリックスの主だった補強は、アーロム・バルディリスと交渉次第では田口壮。対する中日はというと、川相昌弘とドミンゴ・グスマン。あとは「今いる選手があと10%伸びればいい」と、落合新監督は言い放ったのだ。ベテランと外国人の補強……、似ている。なお、木佐貫洋は高木康成とのトレードだし、新人も未知数なので、まだ頭数として数えていない。■背番号の大量変更。今オフ、オリックスは6人の背番号が変更された。坂口智隆が52から9、山崎浩司が00から2、一輝が54から3、岸田護が14から18、大久保勝信が35から11、菊地原毅は43から46。……オマケとして、登録名の変更。T-岡田(*^_^*)対する中日はというと、なんと16人もの変更があった。数に開きはあるが、何となく似ている。■ユニホームのモデルチェンジ。今オフ、オリックスはビジターユニの変更を発表。中日も、長年親しんだドジャースモデルからCDマークへと回帰し、星野カラーの一掃を図った。んんん、似ている。はたして翌2004年、落合ドラゴンズは優勝!川崎憲次郎を開幕投手に抜擢したり、じゃんけんで先発を勝ち取った山井大介が完封したり、“オレ流采配”に世間は驚かされた。さァ、岡田バファローズはどうなる?……ってか、丑年が終わったんだから、バファローズって愛称も変えてくれないかなァ。そもそも、由来は千葉茂の愛称だよ?☆☆☆さて、今年も残り3日か。長かったなァ。自分が書いた日記を読み返してみたけど、少ない更新ながら様々なことが思い出される。1月、ボウリングで自己ベスト220。2月、両国で大相撲を観戦し、大石バファローズの充実っぷりに浮かれまくり。まァ、この先の不幸を知る由もなかった頃である。『ジョジョ』の第6部を読んでいたらしい。3月、桜耶が初節句で初散髪。富士~箱根の家族旅行。WBCでは、キヨさんの死球解説に聞き入った。4月、フィギュアスケートの国別対抗戦で米国チームのエンターテイナーぶりに脱帽したが、WBC優勝ネタを書く暇がなかったせいで、割愛。壮一朗は、幼稚園に通い始めた。5月、悩める月間。苦難に喘ぐ投手たちと、オリックスの故障者ラッシュ。桜耶の誕生日、光原が久しぶりの勝利を挙げるも、南砂町に出かけていて見逃した。雨の神宮では家族揃ってTV中継で抜かれた。6月、横浜にしか勝てないオリックス。「あきらめたら、そこで試合終了ですよ」と鼓舞したり、「田口の呪いを解け!」と促したりしていた。壮一朗の誕生日、ケーキにカブレラの似顔絵。7月、ロッテにしか勝てないオリックス。青森山田高校を訪れた際に、三内丸山遺跡へ。しかし、何より印象的だったのは世界水泳だった。スカイラブ・ハリケーンとファンタスティックゥゥゥゥゥ!8月、ソフトバンクにも勝てるようになったオリックス。妻の入院&復帰。子供たち、本拠地デビュー。しかし、岡田貴弘の開眼をリアルタイムで目撃できず。おそらく、この頃から風呂での読書を始めた。9月、幕張で西岡剛vs.MVPに巻き込まれる。地元で母を連れて、公園とか足湯とかを小旅行。10月、丑年なのに最下位確定⇒岡田政権誕生。ダーツにハマって更新数激減。11月、相変わらずダーツ通い。12月、カウントアップを765まで伸ばした。ダーツ、仕事、忘年会、レイトショーで『ワンピース』……。その間、子供たちは新型インフルに。あと、グランプリファイナルでは、鈴木明子の眼力と安藤美姫のクレオパトラ七変化に(゜o゜)んんん、いろいろあったもんだ。Please crick here !!