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2008.10.23
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カテゴリ:野球
今季、両リーグの主要タイトルを見渡して、
気付いたことがある。

      <セ>   <パ>
首位打者  内川聖一  リック
本塁打王  村田修一  中村剛也
打点王   ラミレス  ローズ
盗塁王   福地寿樹  片岡易之

防御率   石川雅規  岩隈久志
最多勝   グライシンガー  岩隈久志
奪三振王  ルイス   杉内俊哉
セーブ王  クルーン  加藤大輔

レギュラー定着がキャリア初なのに、
いきなりタイトルを獲得した選手が2人。

アゴと肥満児……、もとい。

セ・リーグ首位打者の内川聖一、
パ・リーグ本塁打王の中村剛也。

彼らは何をキッカケに開花したのか?
そこには、実に面白い事実があった。

内川は2000年のドラフト1位で横浜に入団した。

当時から、綺麗なスイングには定評があり、
誰もがその才能に惚れ込んだ。

森監督は高卒1年目から一軍に抜擢、
後任の山下監督は内川に遊撃を守らせるため、
名手の石井琢朗を二塁にコンバートさせかけた。

しかし、なかなか芽が出ない。

最大の原因は、送球難。
守備への不安が、打撃にも影響していたのだ。

その長すぎるアゴが神経を圧迫し、
右目の視力と右手の握力が低下してしまった、
なんて前代未聞のアクシデントもあったっけ。

気が付けば、レギュラーに定着することなく、
7年が過ぎていた。

そんな内川が覚醒した理由は2つ。

1つ目は、大矢監督が一塁手に固定し、
辛抱強く使い続けてくれたこと。
守備の不安がなくなり、負の連鎖が切れた。

そして2つ目は、杉村育成総合コーチによる打撃改造。
ヤクルト時代、青木を首位打者に育て上げた名伯楽は、
内川にこんなアドバイスを送ったという。

「もっとボールを引きつけてみろ」

その才能ゆえに、ずっと放任で育てられてきた
内川にとって、その一言は衝撃だった。

「プロ入りして初めてマイナス面を指摘されたんです」

それまで、早めの体重移動でボールをとらえていたのを、
軸足に体重を残すように変えた。
つまり、ミートポイントを後ろにしたのだ。

すると、どうだ。打席からの景色が変わった。
際どいボールを見極められるようになり、
変化球への対応力も上がった。

結果、打率は急上昇。

こうして“アゴジラ”と呼ばれる男は、
右打者として史上最高打率.378をマークする
安打製造機として開花したのだった。

一方、中村は2001年のドラフト2巡目で西武に入団。

大阪桐蔭高校の恩師・西谷浩一監督は、
当時の彼をこう語る。

「学校から約5キロの坂道を走らせれば、
 3ヵ月で10キロ以上減らす自信があったが、
 1キロも減らすことはできなかった」

筋金入りの固太り。

高校通算83本塁打(歴代3位)とパワーは見かけ通り、
しかし、盗塁数は西岡剛よりも多かった。

それでも、プロの壁は厚かった。
時折、持ち前の爆発力を発揮することはあったが、
調子が長続きしない。

2005年に22本塁打を記録して以降は、
成績を下げる一方……。

転機を迎えたのは、そんな時だった。

中村もまた、内川と同じく指導者との
出会いが人生を変えた。

リーグ最多失策(22)、リーグ最多三振(162)と
どんなに粗さが目立っても使い続けた渡辺監督。

そして、大久保打撃コーチによる打撃改造。

「最初の印象が犬っぽかったので“ワン!”と
 声をかけたら“ワンワン!”って返してきてね。
 ホームランを打ってベンチに帰ってきた時も
 必ず“ワンワン!”と言い合っていますよ」(大久保)

面白いのは、杉村コーチが内川に送った
アドバイスとは対照的な内容だということ。

「ポイントをもっと前にしろ」

それまで、ボールを引きつけていたのを
ボールを前でとらえるように変えた。

すると、どうだ。今まで差し込まれていたボールが、
簡単にフェンスを越えるようになった。

結果、本塁打数は急上昇。

こうして“おかわり”と呼ばれる男は、
開幕前に大久保コーチが予言した通り、
40本塁打をクリアしたのだった。

前か、後ろか。正反対のアドバイス。

1つ思い出したのは、ヤクルトで数々の名助っ人を
獲得した中島国章氏(現・巨人)の話だ。

かつて中島氏がインディアンスのキャンプを
訪れた時のこと。2人の外国人が同じケージで
フリー打撃を行っていた。

1人は、バリバリの主力として活躍していた
マニー・ラミレス(現・ドジャース)。

そしてもう1人は、外野の4~5番手だった
アレックス・ラミレス(現・巨人)。

三塁側から見ていると、
2人のラミレスは実に対照的な打撃だった。

ボールをとらえるポイントが、
マニーは前、アレックスは後ろだったのだ。

その差はなんと20センチ。

これを見て、中島氏はアレックスが変化球の多い
日本の野球にも対応できると確信したという。

実に面白いエピソードである。

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Last updated  2008.10.31 22:00:54
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クロスリートまこ雄@ オリックスについて オリックスの長年の停滞原因は、投手陣の…
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