カテゴリ:格闘
プロレス“冬の時代”に更なる逆風。
4月、ノアの放送が地上波から消える。 既に去年、関西では打ち切りになっていたが、 このほど日テレも撤退を発表したのだ。 三沢、小橋、田上、秋山、力皇、丸藤……。 今後はG+でしか見られなくなる。 哀しいなぁ~、俺はただ哀しい。 日テレのプロレス中継はかつて、 国民にとって最高のエンターテインメントだった。 半世紀以上も前、力道山の激戦を伝えた街頭テレビ。 時に、そこには2万人が集まり、 最後列の人々は双眼鏡を持って観戦したという。 プロレス史上最高視聴率も日テレである。 1963年5月24日のザ・デストロイヤーvs.力道山。 視聴率64.0%は、スポーツ中継全体でも歴代4位。 生中継だったこの試合は、映像が残っていない。 当時は、同時録画の習慣がなかったのだ。 まさに、幻の名勝負。 その主役の1人に、先日取材をかけた。 正式名、The Intelligent Sensational Destroyer。 本名、ディック・ベイヤー。 日本プロレス界初のマスクマンで、 税関でさえもマスクを脱がないこだわり派。 “白覆面の魔王”という異名とは裏腹に、 クリーンなファイトが信条。 そして、ガッチリとした見た目とは裏腹に、 足4の字固めを得意とする技巧派。 語ってもらったのは、試合のクライマックスだ。 開始20分過ぎ、4の字が遂に炸裂。 力道山がもがく。 体勢を反転させれば、攻守が逆転するからだ。 つまり、かけた方が痛くなる。 当時、何故か“死の技”と恐れられ、 かかった相手は1分も持たないと言われた技。 ところが、なんと8分が経過。 「これ以上は命に関わる!」 そう思ったレフリーは堪らず試合をストップし、 引き分けの裁定を下した。 両者の足はガッチリ固まり、 自力で外すことはできなかったという。 “死闘”だった。 しかし、デストロイヤーの証言は、 業界の常識を覆す、驚くべき内容だった。 「技をかけているのは私なのですから。 体勢がどうなろうと、痛いのは相手の方です」 なんと、体勢が反転しても攻守は逆転しない? うェェェエェェェエェェ、あの8分間の攻防は……? かつて、元レフリーのミスター高橋が、 著書の中で「プロレスの勝敗は予め決まっている」と カミングアウトして以来の衝撃ではないか。 だって、武藤やリック・フレアーの立場は……? デストロイヤーは、こんな逸話も教えてくれた。 「デパートのランジェリー売り場に行って、 女性のガードルを試着しました」 ……いきなり何なんだ、と思うなかれ。 実はあのマスク、ガードルを加工して作っていたのだ。 そもそも、彼は「見栄えが良すぎる」という理由で、 プロモーターからマスクマンへの転向を 勧められたのだが、最初に与えられたマスクは、 セーターのような生地で肌触りが悪かったのだそうだ。 しかし、ロッカールームにいた他のレスラーから ガードルが良いと教えてもらい、それを実行した、と。 サイズは“Sのトール”……、ってどうでもいいか。 プロレスとは、武勇伝の積み重ねである。 それを伝えるべきTV中継が消えていく。 哀しいなぁ~、俺はただ哀しい。 Please crick here !! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.03.02 13:21:32
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