・6章風が、強い日だった。雲は流れ、月が冷たく光る。 月の周囲には、星は見えない。満月だからだろう。 月の光があっても、やはり草原は漆黒の闇。 それは、まるで彼女の目のようだった。 黒い服を身に纏った少女は、少し笑ったような口調で話し始めた。 「こんばんは、レジのお兄さん?時間通りなのね。」 その可憐な声音とは真逆の、強気な感じ。 「あぁ、こんばんは。女性を待たせるわけにはいかないからな。」 腰の双剣が、カチャリと鳴る。 「まぁ、物騒な事。・・・事情を説明する手間は省けたようね・・・イフリート。」 彼女の手が赤く光る。 暗がりから、一人の、優しげな、赤い服を着た老人が現れた。 「ほぅ、これはこれは。久しぶりですな、白い貴公子殿。」 「いや、こちらこそ。10年程ぶりになりましょうか・・・、紅蓮の爺様。」 ・・・貴公子?こいつが?とツッコミを入れたくなったが、個人的な感情諸々を抜きにして見てみれば、確かに貴公子に見えない事も無かった。 「さぁて・・・再会を懐かしむ暇も無く――」 老人が、残念そうに言った。まるで宣戦布告の様に。 「うむ、我々は闘う運命にありますからな。仕方が無いことでしょう。」 マスクウェルが、言葉を引き継ぐ。 ・・・こやつ、キャラが違うな・・・。 「いつもそうじゃ。・・・まぁ、こうしていても始まらんな。」 「ですな・・・アル。準備は。」 場の空気が凍る。 俺はその寒さとは違う意味で、震えた。 これが武者震いってやつか。 だが―― 「・・・さて。言い残すことは無い?」 可憐な声が俺に問う。 ・・・ダメだ。こりゃあ、闘えそうに無い。 野郎ならまだ相手に出来るが、女の子・・・しかも、まぁ、一応見惚れてしまった事もある人を、俺は斬る事も出来ない。 そんな俺の複雑な心境も知らず、沈黙をどうとったのか彼女は、 「ふふん、潔いのね。じゃあ・・・始めましょ。」 と、勝手に戦闘を始めてしまった。 冷たい視線と、困惑した視線がぶつかり・・・ 彼女の体が、沈んだ。 刹那、一陣の風が俺の元に舞い込む。 「なっ―!」 両サイド下から迫る銀の光をバックステップで避け、短剣を引き抜く。 と。彼女は目の前から一瞬で消え―― 「後ろだっ!」 後方からの水平斬り。 「くっ・・・!」 マスクウェルの声で、それを左の剣で弾き、上段に迫る光を右の剣で弾く。 瞬間、彼女は間合いを詰めて、 「遅い―、撃!」 短剣を逆手に持った拳での打撃。 「二点撃っ!」 さらに二発。 「四点撃!」 崩れたところを背後から四発。 「八点撃!」 八発―、体勢を直す暇もなく、もの凄い速度の打撃で俺は吹っ飛ばされた。 ――・・・あー、こりゃ、斬れる斬れないの問題以前だな・・・ なんてぼんやり考えた瞬間。 「はっ―!」 前方からの回し蹴り。 反撃する暇も、回避する暇も、防ぐ暇すらなく、俺は地に伏した。 ・・・エリアル(※空中コンボ技、回避不可能)を決められた格ゲーキャラの気持ちがよく分かった・・・ 幸い、女の子だからか力はそこまで無いようだ。 「よっと」 すぐに立ち上がり、体勢を整える――・・・までは待ってくれなかったようだ。 一撃。迫る拳を上腕で止め、 二撃。下からの袈裟斬りを弾き、腕を抑える。 三撃。膝蹴りのポーズを取った足を払い、入れる。 完全に膠着状態になったところで、彼女が口を開いた。 「へぇ・・・少しはやるじゃない。」 「・・・女の子が、こんな、乱暴、しちゃ、はぁ、いかんぜ・・・」 情けないことに、俺はもう息が切れている。 女の子なのに力が無いというのは事実だが、力を込めるポイントというのがあるようだ。 俺は完全に押し負けていた。 「ふぅん・・・だから戦闘に消極的、と?」 「げ。バレてたのか・・・」 ・・・少し息が落ち着いてきたようだ。 だが、月下で見る彼女はとても可愛くて、とてもじゃないが斬れない。 それどころか、距離が近いせいか、妙に意識してしまう。 ・・・ますます、戦闘意欲が無くなった。 それを俺の表情からそれを悟ったのだろう、彼女は怒気を含んだ声で、 「・・・なめられたものね。」 と言って、軽やかな跳躍で距離を置いた。要するにこれも本気ではないということだ。 とてもじゃないが、太刀打ちすることが出来ない。レベルの差、というやつだ。 ――彼女は、強い。 その、マスクウェルの言葉の理解とともに、自分の未熟さを呪った。 「・・・いいわ。それならば、貴方を本気にさせてあげましょうか。」 「は?いや、十分本気―」 「問答無用。というより、そんな嘘は聞きたくないわ。」 何を、言っているのだろう。 何故、彼女はあんなにも怒っているのだろう。 レベルが違う。圧倒的に彼女の方が上だ。 それなのに、彼女は、俺の方が上だと見ている。 (どういう、事だ・・・?) 思案にくれる俺をよそに、彼女は禍々しい殺気を放ち始めた。 思わず、足が後退する。 それだけの、冷たさだった。 やがて、彼女は、体勢を低く前かがみにして、両腕を大きく振りかぶった。 「いかん、あれは・・・っ!」 マスクウェルの緊迫した声。それを掻き消すように、もしくは押しつぶすように、彼女の声が響いた。 「―殺法、第一・・・欠月!」 ――時が、止まった。 いや、時の流れが遅くなったように感じる。 彼女が、まるでスローモーションの様に、1コマ1コマ近づいてくる。 それを見て分かった。 俺は、 ここで、 死ぬんだな・・・と。 心が、空になる。 脳が、視覚と聴覚しか機能しなくなる。 体が崩れ、膝が地についた。 ・・・そこで、“俺”、は、意識、が、無く、なった―― 私が一閃、彼の胸があったところを凪いだ瞬間、彼の膝が地についた。 ――単なる偶然。 これまでの彼の様子から、これで仕留めることが出来たはずだった。 ――確実に絶つはずだった命。 しかし。私は彼を殺すことが出来ず。 私は盛大に彼に躓き、宙を舞った。 そして、空中で回転、地に足をつけ、体を反転させた瞬間。 意識を失ったはずの“彼”が、半端無い殺気を伴い立ち上がった。 「え―・・・」 言葉を失う。 「くっくっく、男の顔面を足蹴にするとは、なかなかおてんばなお嬢さんだ。」 「な―、ど、どうして・・・?」 「ふむ。説明は出来ないが・・・」 「Consciousness to reverse・・・“反転する意識”かっ!」 彼の精霊が、恐怖さえ感じられる声を上げる。 「・・・“反転する意識”、とな・・・アレを持った者がいるとは・・・」 「知ってるの?イフリート。」 彼を睨みながら、聞く。 「ふふ、お嬢さん。話は聞くから、そんなに睨まないで欲しい。」 「冗談―、そんなに殺気をバラまいといて、嘘が上手いのね。」 「む?殺気は元々だ。そういう風に教えられたのでな。収めるのには神経を使うが・・・まぁ、女性の言うことには耳を傾けよう。」 楽しそうに笑いながら、殺気を収める彼。 まるで、殺気を収めたその姿は暗殺者だった。 漆黒の影。 ただ、いるだけで恐怖を感じる。 いるだけで暖かい感じのする“彼”とは、まるで正反対だった。 「さて―、話を続けてはくれまいか?紅蓮の爺様とやら。」 「う・・・うむ、“反転する意識”は、特異体質に似たようなものだ。」 「アレルギーのような、か?」 彼の言葉には、暖かさが無い。絶対零度の様な冷たさ。 「ぅ・・・ふむ、要するに、とある条件に反応するという点では、似ているのだが・・・」 「マイナス方向の反応ではないのですな?爺様。」 「・・・一概にそうとは言えないが。まぁ、本人にとってマイナスだけではないだろう。」 「ほぅ・・・あいまい、だな。だが、要するに、俺は反転後の意識。裏アルウェン・・・虚言の存在、か・・・」 しばしの沈黙。 そして―― 「・・・では、戦闘再開だ。いつまでもこうしていたのでは、かのように美しい月も悲しむであろう・・・!」 影が、消える。 すぐさま後方に飛び、風のように迫る短剣を弾く。 腕には鈍痛。半端じゃない力だった。 「へぇ、魔術師の癖に、力があるのね・・・!」 飛びのき、 「・・・Fortificando」 肉体を強化する。 「――小賢しい。」 彼の声が横から聞こえた。 刹那、本能のままに跳躍する。 私が元いた場所を、二本の銀が通過し、斬り刻んでいった。 「魔術もそこそこ、か。有望だな。」 寸評するように彼は呟くと、 「ふっ・・・だが、まだまだだ。」 そう、ニヤリと笑って、跳んだ。 「な・・・にぃ!?」 イフリートの驚く声。 彼は、魔術無しに、二メートルの高さを跳躍して、私を追ってきた。 「くっ・・・!」 反撃をしようとしたその瞬間。 「そらっ!」 私は、両手で殴られて地面に背中から叩きつけられた。 受身を取るが、それでもダメージは大きい。 「く、ぁ―っ!」 圧倒的な力の差。 魔術で肉体強化をしても、この程度。 「安心しろ、痣や深い傷にはならない程度にしておいた。」 「あ、ありがたい限りね・・・感謝、するわ。」 「・・・さて。まだ、踊れるだろう?」 「当然。楽しませてあげましょう。」 まだ、殺法がある。 それさえ決まれば、あるいは・・・ 「何か策があるようだな・・・レディーファーストでいこう。」 くっくと笑う彼。 ――チャンスは、これきりしか、無い。 「では・・・遠慮なく。」 「ふふ、どうぞ。」 彼の周囲の空気が変わる。 殺気が二倍に膨れ上がった。 それに臆せず、構える。 「――殺法、第二・・・」 彼が、少し動いたのを視界の端に捕らえたが、気にしない。 なぜならこれは、 「・・・無月っ!」 回避、不可能だから。 「回避不可能か。だが・・・」 彼に飛び込み、そのまま、上段下段、左右と、まるで輪で包むように斬る。 次は上から・・・! ギィン!カンッ! 瞬間、剣が止まった。 人間には不可能に近い動きを止められたせいで、腕の痛みが半端ない。 だが、止まるはずは無かった。 その止まるはずが無かった剣が、初動で止められている。 「・・・護法第二番、現月。ぬかったな、お嬢さん。」 「う・・・そ・・・」 殺法には、それぞれ対応する護法がある。 だが、それの使い手は、めったにいないはずだった。 崩れそうになる気力を持ち直し、大きく離れる。 幸い、肉体強化の魔術は、まだ解けてないようだった。 「さて・・・」 殺気の篭った声で、動けなくなる。 否。身体自身が動くことを拒否している。 動いた瞬間死ぬ。 直感が、そう告げていた。 「では、俺の番、だな。」 しかし、動かなくても死ぬことは明白だった。 幼い頃の、暖かい思い出が、少し蘇った。 ―いつも優しかった兄さん。 「この世に未練は、無いな?」 ―遊んでくれた、従兄弟。 「まぁあっても、殺すだけだが。」 ―暗殺者として生き、しかし暖かかった父さん。 「惜しいな、実は俺好みなのだが・・・仕方があるまい。ゲーム、だからな。」 ―生み、育ててくれた母さん。 「では、――参る。」 ―世話をしてくれた、使用人達。 みんなただの、記憶。 偽りかもしれぬ、過去。 「―殺法、第五番・・・」 ビシッ。 空気が、凍るを通り越して、割れた感じがした。 (しっかし、五番とは半端無いわね・・・) 殺法の最終技、五番。 話でしか聞いたことが無いが・・・それもそうだろう。 この感じ。 確実な死の具現。 見たものは皆、死の道を歩んでいるのだから。 「・・・虚夢、斬月っ!」 強い風が、私を包んだ。 かまいたちの無数の刃が、四肢を斬る。 次の瞬間。 私は、 バラバラに、 されているだろう。 「ふん、むくわれないね・・・」 誰かが、小さく、呟いた気がした。 |