健康、長生き、アンチエージング

2007/04/03(火)05:01

持病

疾病(623)

精神的、身体的に何の異常もまったくなく、完全に健康といえる人はこの世にはほとんどいない。皆何かしら身体のどこかに多かれ少なかれ持病といえるものを思っている。それが気になるかどうか、生活に支障を来たすかどうかで病人と健康人と言われる人に分かれてくる。なるべく自分の身体の調子をよりよい方向に向けたいと思うのは万民の願いであろうが、アンチエイジングを絡めて、その方法を探究していきたいと思う。すっかり元気になった平沢一郎さん(左)。「がんの子供を守る会」のソーシャルワーカーと話を弾ませる(川崎市内で)  神奈川県内の保育園で働いて5年。日々成長する子供たちに囲まれ、保育士の平沢一郎さん(27)は仕事にやりがいを感じていた。小児がんの一種の神経芽(が)細胞腫(しゅ)を幼児期に患ったことなど忘れかけていた。 体調を崩したのは昨年暮れ。腹痛が次第に強さを増し、食べ物がのどを通らなくなった。今年1月、救急車で川崎市内の病院に運ばれ、腸閉塞(へいそく)と分かった。 小児がんに関連して起こったものではなかったが、大腸の一部などを切除する手術を受けた。順調に回復し、今月半ばに退院できたが、保育園は自らの判断で辞めた。 腎臓の上の副腎に神経芽細胞腫が見つかったのは、1歳半の時。風邪に似た症状で訪れた小児科で、医師が腹部の腫れに気付いた。神経のもとになる細胞が悪性化する乳幼児の病気だ。手術で腫瘍(しゅよう)を摘出。転移を防ぐため、抗がん剤の投与と腹部に放射線照射を受けた。 治療の影響で、幼稚園のころは頻繁にぼうこう炎を起こした。小学校低学年の時は、真っ赤な血尿が続き、友達に見られていじめられた。以来、トイレは1人で行くようになった。 10歳ぐらいになると、体調は落ち着き、体育の授業も普通に受けられるようになった。自分の病気については知らされておらず、両親が病気について小声で話すのを偶然耳にして以来、「聞いたらきっと悲しむ」と感じて尋ねられなかった。 主治医から初めて説明を受けたのは高校1年の時。「ショックというより、不調の原因がわかって納得した」。告知の時期は、両親と主治医が話し合って決めた。平沢さんは「理解力も育っていたし、進路を考える上でも適切な時期でした」と感謝する。 乳幼児期の病気を知らずに成人すると、別の病気になった時、適切な治療を受けられない恐れもある。 しかし、病気を知ることは過酷な現実と向き合うことでもある。高校では進路選択に悩んだ。医療職に興味を持ち、看護大進学を望んだが、両親は「身体的にきつ過ぎる」と反対した。 「無理」と言われると意地になる年ごろ。両親と何度か口論になったが、心中は複雑だった。「やってやる」という思いと「体が持つか」という不安がせめぎあった。それ以来、平沢さんは克服したはずの病気に度々悩まされることになる。◇ 近年、子供の重病が治るようになった。だが、日常生活で様々な壁にぶつかり、悩む人は少なくない。治療後の課題を探る。 神経芽細胞腫 副腎などにできる小児がんの一種で、年齢によって悪性度が異なる。1歳未満で見つかるものの多くは悪性度が低く、自然に治るものもあるため、尿を調べる生後6か月検査は4年前に中止された。一方、1歳を超えて見つかるケースは治りにくいものが多い。[出典:読売新聞]

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