2006/05/26(金)13:01
DEEP PURPLE メンバーを替えながら進化するブリティッシュ・ハードの生きる伝説
DEEP PURPLE メンバーを替えながら進化するブリティッシュ・ハードの生きる伝説
Jon Lord ジョン・ロード/キーボード
Ritchie Blackmore リッチー・ブラックモア/ギター
Nick(Nicky) Simper ニック・シンパー/ベース・ギター
Ian Paice イアン・ペイス/ドラムス
Rod Evans ロッド・エヴァンス/ヴォーカル
70年代前期のブリティッシュ・ハード黄金期、レッド・ツェッペリンと共に常にその頂点にあり、いまだ生きながらにして伝説化しているのが、ブリティッシュ・ハードの一方の雄ディープ・パープルだ。
1967年にイギリスで結成されたラウンドアバウトというバンドが彼らの前身。
このバンドには、元アウトローズのリッチー・ブラックモアや元フラワーポット・メンの2人、ジョン・ロードとニック・シンパーも含まれていたが、68年にはサウンド強化のためメンバーチェンジを行い、元メイズのロッド・エヴァンスとイアン・ペイスが加入。
それと同時にバンド名も改め、ディープ・パープルと名乗るようになる。
68年にはアルバム「ハッシュ~ディープパープル1」でデビューした彼らは、いきなりそこからのシングル「ハッシュ」が全米4位の大ヒットを記録し、キーボードを前面に出したアート・ロックとして、大きな注目を集めた。
アメリカでは同年中にリリースされたセカンド・アルバムからも、カヴァー曲の「ケンタッキー・ウーマン」がスマッシュ・ヒットし、前作以上の成功を収めた。
しかし、ポップなシングル曲とは裏腹に、このアルバムや次のサードではしだいにクラシック音楽色を強め、プログレ・ハードの原型とも思えるような、ストリングスを多用した組曲などが増えていった。
だが、初期の彼らは、アメリカでの好調ぶりに比べ、イギリスでの評価は低く、まだまだ無名の存在であった。
折しもこの頃、イギリスではレッド・ツェッペリンが大ブレイクし、ハードでヘヴィなロックが脚光を浴びつつあった。
リッチーは自分たちも、もっとハードなアプローチをするべきだと主張しはじめる。
このリッチーのアイデアに対し、ジョンやイアンも賛同し、以降サウンドをハード路線へと切り替えてゆくのだが、69年メンバーの協議によりニックとロッドを解雇することとなった。
理由については、2人の技量が及ばなかったと噂されたこともあったが、実際はそんなことはない。
初期の3枚のアルバムを聴けば分かるが、第1期ディープ・パープルの人気を支えていたのは、ロッドのヴォーカルと言っても過言ではない。
太くて甘い、本当にいい声だ!
ニックのベースも、ライブでは聞いたことがないので、はっきりとは断言できないが、アルバムで聞く限り腕にまったく問題はない。
逆に浮いているのはリッチーのギターだったりする・・・。
もしかすると、ニックのベースはけっこう音も大きく目立っていたので、リッチーにとっては目障りな存在だったのではないだろうか!?
ロッドについては、他のメンバー達が地元イギリスでの成功を重要視していたのに対し、1人アメリカへ渡りたがっていたためだという。
後任には、リッチーのアウトローズ時代の仲間、ミック・アンダーウッド(クオターマス~ストラップス~ギラン/ds)の紹介で元エピソード・シックスのIan Gillanイアン・ギラン(vo)とRoger Gloverロジャー・グローバー(b)が加入した。
ロッドは脱退後72年に、あの伝説的な名盤「キャプテン・ビヨンド」をタイトル同名バンドの一員として生み出す。
このアルバムは1期パープルの目指していたプログレ・ハード路線を見事なまでに開花させた奇跡の名盤であったが、活動場所がアメリカであったことと、カプリコーンというサザンロックが得意なレコード会社からリリースされたため、当時はあまり話題にならなかった。
しかしながら、この1枚のアルバムで、ロッドのシンガーとコンポーザーとしての資質の高さは、充分すぎるほどよく分かる。
ニック・シンパーはその後ウォーホースやファンダンゴを結成し活動するが成功には至らず、80年代から目立った活動はしていなかったが、95年クオターマスIIのメンバーとして元気な姿をみせていた。
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