人は「当たり前」になっているとわからない ~『安物買いの銭失い』とは?~ 2022.1.31
あっという間の1月だったでしょうか? それとも、何か変化を感じられる1年のスタートになったでしょうか? あなたはどう過ごしていますか? さて今回は「人は当たり前になっているとわからない」というテーマでお届けします。 人は当たり前になっているとわからない 先日、ある商品を買ったとき付属の部品が入っていませんでした。商品を案内する紙には「○○が中に入っている」と書いてあったため、必死にそれを探しましたが見つかりません。なので、お店に「○○が中に入ってないんですけど?」と電話したら、電話口の人は強きの対応で、「それはオートなので入っていないのは当然」という感じの返答でした。 ここで、私はあることに気づきました。 買ったお店は、案内の紙を修正していないようで、「○○が入っている」と書いてあることに気づいていませんでした。それは小さなミスかもしれません。けれども、それが働いている人の「当たり前」や「当然」といった姿勢につながっており、受けた側は大きな印象を受けているかもしれません。 「神は細部に宿る」 「細部とはこのことを言っているんじゃないかな」と密かに感じました。小さなことをどう扱っているのか。もうちょっとそのお店を経過観察していきたいと思います。 ちなみに、買った商品は問題なく使えています。そして、この商品は半額の安売りで買ったのですが、その分トラブルが付属品としてついてきたように感じます(笑)。最近、100均に行ったときにも感じたことですが、安いとその分他のもの(トラブルとか)が付属品としてついてくるのだなと思います。「安物買いの銭失い」というやつですかね。 心の平安とは? 起こった出来事もブログのネタとして考えられるので、私の材料となっていることは感謝したいと思います。けれども、「安い」という判断基準だけで選ぶのも、どうなのかな、と考えさせられるものでした。最後にもう一つ気づいたことを書いて終わりたいと思います。 電話対応など、声には相手の感情がのっかっています。問い合わせに対して、相手が「早く切りたい」「対応していられない」といった雰囲気が感じられると、電話をした人は「ぞんざいな扱いを受けた」と感じられるでしょう。 また、忙しいと心に余裕がなくなります。心に余裕がなくなると、自然にファイティングポーズを取っているのではないでしょうか。それは、無意味な戦いを呼ぶことにつながります。 いまは混沌とした状況にあると思いますが、こんなときこそ自分の心を見直すタイミングです。あなたも心の平安を考える時間を持ってみてはいかがでしょうか。 それでは読んでいただき、ありがとうございます。ブログ村の「本ブログ」のランキングに参加中です!いつも応援クリック、ありがとうございます♪