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自分の
「べき」が
怒りを生む
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仏教では、苦を生み出す三毒といわれる厄介な煩悩「貪瞋痴」(トンジンチ)があり、その二つ目が、〈瞋恚〉(シンニ)(カッと腹立つ怒りの心)です。
怒ったらいけないわけではないですが、
怒りによって感情的になり、失敗や後悔をしてしまうことも少なくありません。
冷静になれなかったり判断が狂ったりもしますので、
できることなら怒らずに過ごしたいものです。
たとえ「怒る」までいかなくとも、
イラッとしたり、ムカッとしたりすることはあると思います。
例えば、
公の場で知人に元気よく挨拶の声をかけます。
しかし、相手からは無視されたように反応がなかった時‥、
待ち合わせの時間に遅れないように早めに着いて、
相手は三十分平気で遅れてくる時‥、
「はぁ?なんで?」と怒りの感情が湧いてきます。
そこには腹が立つ原因があります。
相手が一方的に悪い訳ではありません。
相手を攻める前に、怒りの原因を自分の中に探ってみましょう。
すると、原因らしきものが見えてきます。
それは、
私たちの持つ、自分の価値観ともいえる期待や理想、思わくなどです。
先の二つの例なら
「挨拶はするべきもの、されたらきちんと返すべき」、
「待ち合わせには遅れてはいけない」
という価値観になります。
私たちは、
「約束やルールを守るべき」
「迷惑や心配をかけるべきではない」等々、
各人各様に
「こうあるべき」という、ゆずれないこだわりの価値観「~するべき」
を持っています。
怒りとは、現実が自分の「べき」に反していると感じた時、生じます。
つまり、
現実と自分の価値観とのギャップが怒りを生むのです。
「自分が正しい」を前に出しすぎると衝突が起き、怒りも多発してしまいます。
自分の「べき」だけが正しいわけではなく、
他人には他人の「べき」があるのです。
怒らないですむに越したことはありません。
何でも自分の思いや理想の「べき」に当てはめて白黒つけないで、
グレーゾーンの寛容さを持つのです。
また、
自分の価値観を見直すと、ムダに怒らなくて済みます。
そのためには、やはり心に余裕が必要です。
齷齪(アクセク)するのではなく、
ゆったり、のんびり構えて対処する。
「他人は他人」
「それも仕方ない」
「まぁいいか」
などと柔軟な考えを持って怒りとうまくつきあっていくと、
怒りにくい「私」になれます。
特効薬の念仏は、心に余裕をもたらしてくれます。
合掌
南無阿弥陀仏
専称寺 亀山政臣拝