風林火陰山雷の研究 其の三 「風林火山を旗印に用いたのは武田信玄が最初ではない」
wikiによると、風林火山の陣旗の始祖は武田信玄ではないようです。南北朝時代に、足利尊氏を一時は追いつめた事がある南朝方の武将北畠顕家が武田信玄より先に風林火山を旗印に用いました。北畠家は村上源氏の庶流で、顕家の父親は北畠親房。親房は後醍醐天皇によって開始された建武の新政を補佐。後に足利尊氏が鎌倉にて反旗を翻すと、顕家は奥州より兵を引き連れ、新田義貞、楠木正成とともに足利軍を打ち破る。やがて、足利尊氏は九州で再起し、顕家は再び足利軍と戦うが、和泉堺浦で高師直軍と戦い戦死する。享年21。顕家の子の北畠顕成は後に村上師清と名乗り、村上水軍の祖となる。------------------------------------------------------------------基本はネットや本を利用して調べていきますが、ブログをご覧になっている皆様からの意見や要望も参考にしていこうと思っています。何か「風林火陰山雷」について知っている方がいれば、是非とも情報提供をお願い致します。