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あむりたのしずく

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浄化とは

2015.12.30
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カテゴリ:浄化とは

2015年が早くも過ぎ去ろうとしています。

本当にあっという間の、一年でした。



加速して感じられる 時の流れ・・・

その分、瞬間瞬間の輝きも 眩さを増しているようです。



今年も多くの出会いがあり、体験があり・・・

数えきれないほどの気づきが、感動が、解放がありました。

みなさま、本当にありがとうございました。



導かれてある、今ここ、そしてこれまでの全てに、感謝しかありません。

その完璧さを見るとき、あまりの愛に、言葉を失います。





地球へ受肉し、物質世界を生きるということは

厳しく過酷な体験であり

だからこそ貴重な気づきが得られる 素晴らしい学びの場です。



津留さん式に、「この世はゲーム(遊び)です」と表現するなら

ルールが多く複雑な構造の、リアル3Dフィールドで、

敵キャラや トラップもあまた登場する中、

どう生き残っていくか、どう自分に有利に勝ち上がっていくか・・・

そんな宇宙最強のサバイバルゲームに、

私たちは喜々として身を投じ、何度も果敢に挑戦してきました。



勝者になることも 敗者になることもありました。

長生きしたことも 短命だったこともありました。

男性であったことも 女性であったこともありました。

被害者だったことも 加害者だったこともありました。

正直者だったことも 裏切者だったこともありました。

清貧に生きたことも 欲望のままに生きたこともありました。



そして、とうとう!

ゲームの表面をやりつくす日がやってきました。

ありとあらゆる設定、感情を体験しつくしてきた私たち!

隠されていたゲームの裏面が、顕れ出てきたのです。

おめでとうございます。まさに祝祭のときです。





今度はサバイバルゲームではありません。

ここでは仮に、覚醒進化ゲーム(神への帰還ゲーム)と呼んでみましょう。



それは・・・

自らと調和を図り、周囲と、自然界と、地球と、宇宙と調和を図っていくゲームです

全てを受け入れ、赦し、認め、尊重し、融合していくゲームです。

このゲームにおいて、これまで重要だったルールは通用しません。



サバイバルゲームでは、恐れ、不信、欠乏が大前提の世界でしたから

愛や関心、評価、仕事やお金など、あらゆる面で

どうたくさん得るか、失わずに保持するかが、最重要課題でした。



覚醒進化ゲームでは、愛、信頼、豊かさのあふれる世界へ入っていきます。

その新たな世界を、実際に体感できるようになるには

これまで身につけ、抱えてきた、あらゆる重荷を

どれほど手放し、軽く、自由になっていけるか・・・が鍵になります。





どうぞ、真新しいゲームを楽しんでください。

無理なく、できるところからで構いません。

最初から「赦そう!」「受け入れよう!」と意思の力で努力しても難しいでしょう。

過去のエネルギーが、繰り返し押し寄せ、引き戻されるからです。



ですから扉を開く鍵を使ってください。

感じきらずに隠し、溜めこんできた感情を、終わらせてあげて

自分を縛ってきたルール・価値観・観念を、手放していく・・・



恐れて避けていたもの、弱さや醜さと嫌っていたもの、また良かれと思って握っていたもの

それらのエネルギーは、役割を終え、喜んで光へ還っていきます。

大いなる浄化です。美しい昇華のときです。





すると不思議な変化に気づきます。

常にリアルに感じていた「重さ」「痛み」「深刻さ」が薄れ、軽くなるのです。



「私の人生は○○○、あの人はいつも□□□だった!」という確固とした信念がゆらぎ

「そうだったかもしれないし、そうじゃなかったかもしれない」といった感覚へ

やがて「どちらでもいい」「全てOK」「全て完璧!」と感じられるでしょう。





そしてあるとき、「私」だと信じて夢中にゲームに参加していた「存在」は、

ゲームを体感するための「アバター」のようなものであり

「私たち」の本質は、このゲーム全体をみつめている、「純粋な意識」なのだ・・・

という超越した視点に目覚めるときがくるでしょう。



一人一人、体験も歩む道のりも、目覚めるタイミングも異なります。

あらゆる角度、あらゆる視点から、あらゆる体験を極めたくて

これほど多様性に満ちた世界が創造されたのです。



想像を絶する緻密な完璧さ・・・

その全ては、ひとつであり、光であり、周波数であり、愛そのものです。

その創造の妙なる調べを、楽しみましょう~!!!



2016年も、どうぞよろしくお願いいたします。



光の川


 Painter:Frederic Edwin Church
 Title :The River of Light










Last updated  2015.12.30 20:49:51
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2015.10.29
カテゴリ:浄化とは

「逃げるな」「甘えるな」

とても多くの方々が、この声に凄まれ、迫られ、追い詰められています。

かなり浄化の進まれた方でも、最後にこの声がガンっと立ちはだかって

立往生されていたりします。




「逃げるな」「甘えるな」

それはまず、外側の声として、

肉親や先生、先輩、友人といった方々を通して、繰り返し語られ

複雑な感情とともに、聴くことが多いでしょう。


やがてその声は、自分の内側で、確固とした存在感を持ち、主張し始めます。

24時間つながっている、インターネット回線のように

いつも、自分がどこで何をどうしようとしているのか?を見張っていて

楽なこと、消極的なこと、断念すること等を選ぼう・・とすると

「逃げるのか?また自分を甘やかすのか?ダメなヤツになるぞ!」

と声高に責めたててくるのです。





自分の力(意思・努力・知力・体力・行動力)で、目標(夢・理想)を達成していく。

まさに痛快なサクセスストーリーですね。



長い間、このような生き方が正しいとされ、

このように生きましょうと教えられてきました。

親から子へ、子から孫へ、その教えは伝えられてきました。


その教えを守れる者は、承認され、注目され、尊敬され

どうしても守れない者、挫折した者、守る気のない者は、

役立たず、落ちこぼれ、ダメなヤツ、と烙印をおされ、見放されてきました。


社会的集団生活を行っている人間として、この限りある物質の世界で

何を得て、どう生き延びていくかがテーマの意識状態にあっては、

見放されてしまうこと=存在を否定されることでした。


社会、属する集団からそのように扱われることも、辛い体験ですが

何より苦しいのは、自分で自分の存在価値を否定してしまうこと。

そうなってしまうことへの強烈な恐れが、その声にパワーを与えています。





そのような体験を、集合意識として充分に体験してきた私たち。

そろそろ、次の体験へ入っていく時です。


慣れ親しんだやり方は、愛着があるかもしれませんし、

最期の砦を手放したら、自分はどうなってしまうんだろう?

と恐れや不安を感じる方もいらっしゃるでしょう。

もちろん、まだまだ自分の力で頑張ってみたい方々もいらっしゃるはず。


皆さまそれぞれに、最適のタイミングがあります。

期の熟した方々から卒業していきましょう。




自然体で








Last updated  2015.10.29 10:49:31
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2015.09.17
カテゴリ:浄化とは

子供たちの学校も始まり、長かった夏休みが終わりました。

旅行に出かけ、美しい自然と触れ合ったり、様々な人や場所と巡り合ったり

家族それぞれが、素晴らしい体験をすることができました。



また、特にどこかへ出かけなくても、普段は忙しい子供たちと

家でゆっくり過ごすことのできるこの期間は、とても学びが多いものです。

子供の言動は、まるで拡大鏡のように

親の隠れたエゴを刺激し、握った観念を映し出してくれるからです。



例えば、さっきまで仲良く遊んでいた兄妹が、突然ケンカをはじめるとします。

どちらかが一方的に、またはお互いに、相手を責め・ののしる声が聞こえてきます。

子供だけに、その言葉や態度には容赦がありません。

すると内側には、こんな声が聞こえます。

「なんでそんな言い方をするんだろう。なんで仲良くできないんだろう。」



このように、「なんでそうなるの?どうしてこうなの?」と

目の前の現象を否定的にとらえずにはいられない、内側の反応に気づきます。



そのエネルギーに気づき、見つめていれば、手放していけるのですが

無意識に見過ごしてしまうと、反応した思考が、過去や未来へ暴走をはじめます。

「まったく、いつもいつも!この前だって・・・」

「いったいいつまで、こんな大騒ぎが続くんだろう?」



子供、親、兄弟、パートナー・・・絆の深い相手ほど

思い入れや、期待が大きくなりがちです。(人は一般的にそれを愛と呼んでいますが)

離れがたい相手には、自己の投影も濃く映し出されるからです。

その分、心配したり、執着したり、絶望したり、嫉妬したり、憎んだり

生じる反応も激しいものとなります。



それは、この二元性が支配する物質次元という、ヴァーチャルな世界を

リアルに体験しつくすための、精妙な仕掛けともいえるでしょう。



本来ひとつである存在が、別々の人格のふりをして、お互いにドラマを演じ

体験を深め、気づきを得て、やがて受容し、

さらに超越していくためのプロセスを、歩んでいるのです。






今、全てが起こっている「スペース」そのものが(またはその純粋な意識が)

大いなる我・・・私たちの本質です。



スペースに生じるエネルギ―、現象は、純粋な創造であり、

それに善悪、明暗の判断をつけるのは、過去の記憶に基づく個我の反応です。


それがエゴの反応に過ぎないのだと、いくら頭で理解できても

反応を止めることも、苦しさを減らすことも難しいでしょう。


浄化とは、その判断・反応せずにはいられない、過去の記憶(感情・観念等)を

見つめ、感じ、赦し、手放していく、解放のプロセスです。





人間としての体験を極めるべく、ために溜めてきた重荷を

私たちは、自分そのものと感じ、そう認識してきました。

その体験が充分に終われば、ハッと目が覚めるときがやってきます。



そのために、事が起きてきます。完璧なる創造の顕れです。



損な役回りを演じ続けるみじめさも、何一つ思い通りにならない悔しさも

努力が報われない理不尽さも、予測不能な荒波に翻弄される無力感も

どんな感覚であろうと、それは貴重な、かけがえのない体験でした。



そのために、事が起きてきます。完璧なる創造の顕れです。



事が起こる、内に反応が起きる、それに気づいていきます。

出来る限り、見逃さないよう、見つめていきます。

怒りだろうと、悲しみだろうと、ありのままに感じていきます。



そのために、事が起きてきます。完璧なる創造の顕れです。



感じつくし、手放すごとに、握っていた恐れが、軽く、薄くなっていきます。

限定されていた視野が拡大され、俯瞰的に見渡せるようになります。

起こるべくして起こる・・・ゆるぎない信頼が、内奥からよみがえります。


それは、二元性を超えた在り方へのシフトです。

加害者と被害者、支配と隷属、善と悪、ポジティブとネガティブ・・・

そのような見方、感じ方を、否定するのではなく、卒業していくのです。



            よくがんばりました











Last updated  2015.09.17 16:21:38
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2015.08.18
カテゴリ:浄化とは

 

 夕方、一人で近所まで、散歩がてら買い物にでかけました。

じりじり焦げるような 厳しい日差しも

アスファルトから照り返される熱も 和らぎ、

緑の多い住宅街の小道を やわらかな風が吹き抜けていきます。

まわりを包み込む大気、頬をなでていく風

すべてが体温に近いのか、ぬるく 心地よく感じられます。

まるで胎内にいるみたい・・・

うっとりして目を閉じました。


どこまでが身体で、どこからが外側か

どこまでが私で、どこからが他なのか

壁は消え、境がわからなくなります。

とけて広がり まじりあい そして存在しています。


ゆっくりした歩みは続いています。

交互に足の裏で地面を踏みしめ、リズミカルに蹴りだす

その感覚はリアルに感じますが、ただそれだけ。

頭も思考も私も、そこにはいませんでした。

しばらくして、ふと目を開くと、大通りへ差し掛かるところでした。

体験の余韻は続き、内には静けさが、蒼い海のように広がっていました。

外には、金色に淡いピンクの溶け込んだ、夕焼け空が広がっていました。

「ああ、なんと美しいんだろう・・・」

至福に満ちたため息がこぼれました。

 

 

何度、至福のワンネス体験をしても

何度、奇跡のようなシンクロに鳥肌が立っても


いつも仏像のように微笑んでいられるわけではありません。

感情が動くこともあるし、思考やエゴが声を上げることもあります。

 

それらの体験すべてを、愛しているし、受け入れています。

それら一つ一つのプロセスを、今を

できるだけ見逃さないように見つめ

純粋に味わっています。

そして味わったら、握らず手放します。

今すべきことがあるとしたら、それに尽きるのではないか、とさえ思います。

とはいえ・・・その思いすらも掴まず、流していきます。

 

 

この世には、様々な主義主張があり、

物質世界をコントロールしようとする政治経済のみならず

精神世界における教義や宗派・流派も星の数ほど・・・

そして、それぞれが対立したり批判したりを繰り返してきました。

たくさんの痛みが、生み出されてきました。


違いがあるからと、対立しなければならないのでしょうか。

自分の方が正しい、優れていると、証明しなければならないのでしょうか。

これまでは、多くの魂がこのような体験を探求してきました。


違いは、単なる役割の差に過ぎません。

どのような認識・理解で、どのような体験を味わっていくのか。

すべてが大いなる宇宙によって創造された必要なプロセスです。


一つの山を登るのに、どの方面から、どのようなルートで

どれくらい時間をかけて登ろうと、それぞれの選択の自由があります。

いずれも貴重な経験であり、どの道が優れているなどとは言えません。

もし一本道しか認められなければ、この宇宙の多様性は存在しえないでしょう。


違いを受け入れ、認め合える、尊重しあえる・・・

そんな在り方へ、私たちも、社会全体もシフトしていくことでしょう。


それには、まず「そのままの私ではダメだ。理想とは違う。」と否定し続けてきた

エネルギーに気づき、手放していくこと。

そのままの私を受け入れられれば、今このままの状況を受け入れられ、

周りに見えるあらゆる違いを受け入れることができます。


そのときはじめて、愛や調和に満ちた在り方、選択や行動すら

自然と顕れ出てくるのではないでしょうか。




夕焼け空








Last updated  2015.08.18 08:01:08
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2015.05.29
カテゴリ:浄化とは

夏日が続く中、今日は空気もひんやりと涼しく、

火照った地上のエネルギーを、やんわり鎮静化させてくれているようです。


一人静かに、部屋に座っていると、様々な鳥たちの歌が・・・

また、ゆっくり外を散歩していると、咲きこぼれる花々が・・・

それらの美が、内に沁みわたって行くのを感じます。

それらと一つに溶けあい、静かな喜びに包まれます。




早いもので、もう5月も終盤ですね。

ご自分をとりまく状況が目まぐるしく変化し、どんどん葛藤と直面させられている方。

反対に、まったく状況が動かず、先も見えず、焦りや不安で居たたまれない方。

また、眠くてたまらない方や、体調を崩されている方も多いようです。


いずれも、大いなる解放・変容のプロセスであり

それぞれの方にとって、最善のタイミングで体験されていることですから

どうぞ、その「大いなる一つ」の顕れを信頼してみてください。




私たちは「大いなる一つ」のひとしずく、として今ここを生きています。

感じるべきでないこと、感じてはいけないことなど、何一つありません。

体験すべきでないこと、体験してはいけないことなど、何一つありません。


ネガティブ、悪、闇、いじわる、不道徳、非生産的、不合理・・・

どんなラベルを張り、どう分別してもかまいませんが、

そのように「良くないもの」と判断する、感情・思考、言動や体験であっても

それは、ただ、体験したかったから体験した。それだけです。


ですから、ご自分を咎め続けるのは、否定し続けるのは、

気づかれた方から、もう充分体験された方から、卒業して行きましょう。





楽になりたいから浄化をする。

もう不快なエネルギーを味わいたくないから浄化をする。

苦しみから解放されるには悟りしかないから、そのために浄化をする。


この「浄化」という言葉を例えば、「瞑想」とか「修行」とか「魂磨き」など

他のものに置き換えてみてもいいでしょう。


そのような、藁をもすがる思いで、そのような動機で、

浄化にご興味をもたれ、スタートされることは、素晴らしいことです。

まさにベストなタイミングであり、お導きなのでしょう。


ですが、そのまま続けられていくと、やはり行き詰ります。

「こんなに一生懸命浄化をしているのに、まだ不快な感情・思考が消えません」

「浄化してもしても、次々に湧いてきて、きりがないようで、不安になります」

「どれだけ浄化をすれば、安らぎを感じられるようになるんでしょう」

よく伺う、ご相談です。


これは、例えば

「こんなに瞑想に時間を費やしてきたのに、まだ覚醒体験ができない。」

「こんなにつらい修行に耐えてきたのに、まだ光明が得られない。」

そんな苦しさ、悔しさ、焦り、いら立ちと同じ感覚でしょう。


なぜ、そこにはまり込んでしまうのか?

それは今この瞬間、今ここのありのまま、今のご自分を否定し続けているからです。

今の状態ではダメだから、苦しいから、目標を設定します。

悟りでも、安らぎでも、平和でも、それを目指すべき聖域に祀り上げます。

それは、「今ここには、それはない!」と宣言していることです。


いつかはそうなれるかも。いつかはそうなりたい。いつかはそうなってやる。

でも、それは、いつまでたっても今ではありません。

その「目指している」「待ちわびている」「夢見ている」状況を、

今は、ただ表現しつづけることでしょう。





繰り返します。

感じるべきでないこと、感じてはいけないことなど、何一つありません。

体験すべきでないこと、体験してはいけないことなど、何一つありません。


何を感じようと、何を考えようと、どんな体験をしようと、OKです。

どんなカルマ、どんなトラウマ、どんなブロックがあろうと、OKです。


どうぞ、他の何かになろうとしないでください。

より善いもの、より崇高なもの、より偉大なものであろうと

そんな目標、そんな型に、ご自分をはめようとはなさらないでください。

そのままの、ご自分を受け入れ、認め、向き合ってあげてください。





繰り返し上がってくる、ネガティブな感情・・・

大丈夫です。何の問題もありません。

ただ、そのままを見つめ、感じてあげてください。


全然進歩、前進しないことへの焦りや不安・・・

大丈夫です。何の問題もありません。

ただ、そのままを見つめ、感じてあげてください。


もうこれ以上苦しみたくない、楽になりたい・・・

大丈夫です。何の問題もありません。

ただ、そのままを見つめ、感じてあげてください。





これまで、散々苦しんできた、頑張ってきたご自分を

認め、ねぎらい、感謝し、愛で包んであげてください。


「もう、あんな思いはしたくない」その恐れや不安、

「まだ、こんな思いが湧いてしまう」その失望や自責の念、

「いつになったら、安らぎを得られるのか」その焦りやいら立ちも

それらの起きてくる反応、感覚、すべてを

咎めず、裁かず、ただまっすぐ、見てあげてください。


弱い自分、変われない自分、評価に値しない自分

醜い自分、意地悪な自分、臆病な自分、妬む自分

そんな自分の一面を受け入れられず、嫌っていることに気づいてください。


今許せないなら、今認められないなら、そのままでOKです。

あるがままの自分を許せない、今の状態を、許してあげましょう。

今の自分じゃダメなんだ!と感じる、今の気持ちを、認めてあげてください。

「そうか、わかったよ。そのままでいいんだよ。いつもありがとう。大好きだよ。」

まるごと包み込み、抱きしめてあげてください。





今をあるがままに、受け入れていくこと・・・

それが、扉を開く鍵です。



扉開くとき










Last updated  2015.05.29 16:52:05
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2015.05.05
カテゴリ:浄化とは

ゴールデンウィークいかがお過ごしですか?


29日は、初の青空交流会を開催することが出来ました。

初夏の爽やかな日差しの中、広い芝生の公園で、海を見ながら

身体を動かしてのボディワークや、グランディングのイメージワーク

そして皆さまとの楽しいシェアタイム。


貴重な体験・気づきについてのお話しや、それに対する質問がポンポン飛び交い

とてもイキイキとした、のびやか、おおらかな交流会となりました。

ご参加くださった皆さま、ありがとうございました。


また今後も、このような場を設けていきたいと思います。




さて、私のゴールデンウィークは・・・

夫が、小学生の息子と娘を実家に連れて行ってくれているので

高校生の長女とのんびり休日を楽しんでいます。

何時に起きて、何時にご飯を食べさせて、そんな思考が一切起こらない(笑)

何にも縛られていない、とても自由な感覚。


逆に言えば、普段は、日常では、そのような思考に追われ、

そのような不自由さに縛られているということですよね。


気づくたびに、はい。浄化です(笑)




私たちは、「無意識」に「無自覚」に滑り込むことが、とても上手ですよね。

これは意識的でない状態、エゴや肉体の反応と同一化した状態と言えます。


それは、「役割」や「立場」といった仮面をつけて、さも当然のようにやってきます。

母親、父親、妻、夫、恋人、子、経営者、上司、部下etc…


親と居れば、「子」としての振る舞い、反応が起こり

子と居れば、自然と「親」の立場で思考・行動してしまう。

パートナーと接する時、また上司や顧客と接する時では

それぞれ演ずる役割は違ってくるのではないでしょうか?




それらは、いつもお馴染みの感覚であり、

「無意識」に「無自覚」に、とにかくず~っと続けてきた習慣であり、

まさに自動的・反射的な反応なのです。


あまりに慣れ親しみすぎて、それらの反応が「私」「自分自身」である

と思いこんでしまっているほどです。

それが、本当のストレスの原因であるにもかかわらず

そこに安心を見出し、執着を感じています。




外側の状況、関係が際限なく続き、巻き込まれたままでは

その習慣、思い込みから離れ

「意識的」でいることは、なかなか難しいかもしれません。


ですから多くの先達が、瞑想を勧めているのですね。


まずはもろもろのしがらみから離れ、一人になること。

一人静かな時間と空間を、自分に与えるのを許すこと。

そして常に外を向いている肉体の目を閉じて

内なる目を開き、内側に広がる宇宙を感じ、向き合うこと。


これが「意識的」な状態です。

観察者の視点であるということです。




瞑想でその感覚が体感できたら、

これまでの日常に、どんどん観察者の視点をもたらしていきましょう。

続けていると今度は、この「意識的」な状態が習慣となってくれることでしょう。


でも、油断すると(笑)すぐ「無意識」に「無自覚」に引き戻されます。

それは、ただ単に、長年染みついた習慣だからです。

あせらずに、取り組んでいきましょう。


引き戻されれば、ストレスや不快感・違和感が感じられ

思考のお喋りが騒がしくなることでしょう。

そこでハッと我に還り、また「意識的」であることを選択すればいいのです。



浄化は、そのプロセスを強力にサポートしてくれることでしょう。

内側を見つめ、どうしようもなく起こる反応、そのエネルギーを

一つずつ見つめ、感じ、手放していってあげましょう。


「子」としての自分が感じている哀しみ・無力感を

「親」としての自分が感じている苛立ち・責任感を

「社会人」としての自分が感じている怒り・束縛感を

「パートナー」としての自分が感じている不満・欠乏感を


そして、そんな風にいつもいつも反応してしまう「弱い自分」「醜い自分」を

嫌悪している、許せない、認められない・・・そんな思いもまるごと




やがて、今まで「私」「自分」と認識してきたものが

いかに限定的な矮小化されたものであったかがわかるでしょう。

それが夢のような儚いものであったと理解するでしょう。

同時に、困難と葛藤に満ちたそれらの体験も、愛であったと

大いなる受容が、解放が起こってくることでしょう。


ピンクデイジー






Last updated  2015.05.05 17:41:53
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2015.04.15
カテゴリ:浄化とは

春爛漫・・・

このあたりの桜は、すでにほぼ散ってしまいましたが、

雨で潤った大気は、淡いピンク色の精気で満ちています。

ほこほこの大地からは、次々と草花が芽吹き、成長していきます。

この愛おしい命、完璧なる循環

そして「今」という存在・体験の奇跡に

心ふるえ、喜びと感謝があふれてきます。




皆さま、春を迎え、いかがお過ごしでしょうか?

芽吹き、成長を始める春の、うきうき・いきいきとしたエネルギー。

進学・就職・転居など、大きく環境が変わられた方も多いことでしょう。



慣れ親しんだ状態から離れ、未知なる状況へと入っていくとき

それが客観的に見て、ポジティブと言われる変化であっても

とまどいや緊張、不安や恐れが、感じられるかもしれません。



エゴは、非常に変化を恐れるものだからです。

過去の経験・情報に基づく、判断・予測しかできないエゴにとって

データを持たない未知なる状態へ入っていくことは

危険に満ちた真っ暗なジャングルを、手探りで進んでいくようなもので

安全の保障がない、無謀な行為なのです。



ここで、大切なのは、エゴの声に引きずられ

その不安や恐れのエネルギーの中へ、引っ張り込まれないようにすることです。



外から受け取る刺激(による内側の反応)で、いっぱいいっぱいになりがちですが

そんな時こそ、目を閉じ、ゆったりした呼吸を感じてください。

緊張や不安は、吐く息と共に溶け出して流れ出ていくとイメージしてみてください。

それだけでも、多少リラックスできるはずです。



そしてご自分の意識を、内側に向けます。

内側で肉体、頭や心に起こっている反応を、冷静に見つめていきます。

湧き上がってくる衝動や感情、思考を、ただ見つめていきます。

それらのエネルギーと一体化せずに、一歩引いた視点で、見つめていきます。

これを、津留さんは「想念観察」と呼び、皆さんにお勧めしていました。



ストレスに感じていること、焦りや、咎めや、自信のなさ・・・

さまざまな恐れに基づく声が、頭や心の中をぐるぐる廻り

肉体に緊張や不快感をもたらしていることに、気づかれるでしょう。



さて、それに気づいている、それを見つめているのは、誰でしょう?

ただありのまま、その空間に起きてくることを観察している、その視点、その存在。

それこそが、私たちの本質である・純粋な「意識」なのです。



内なる叡智、大我、神、宇宙、ハイヤーセルフ、何と呼んでもいいでしょう。

今まで気づかなかっただけで、忘れていただけで

それは今ここに、自らの内に、在りつづけています。



いえ、むしろ、それだけが真実で、主体で、実在で、

それ以外の物事は、みな夢・幻に過ぎないのです。



今、もうすでに、私たちはそれを思い出しました。

夢から醒め、真実の目を開いて、その視点で、その周波数で、

ありのままを見つめていきましょう。



内側に湧き上がる反応、エネルギーは、ただの過去の残像です。

感じきらなかった、やりつくせなかった、全うできなかったエネルギー。

渡され、受け取り、握りしめてきた常識、価値基準、固定観念。

嫌い、裁き、憎み、恐れて封印してきた、闇や影と感じる部分。



それらすべての根元には、

分離・欠乏・死(=生きること)への恐れがあることでしょう。



内なる目をしっかりと見開いて、それらのエネルギーを受け入れ

ただまっすぐ見つめてあげましょう。

存在を認められず、表現を許されず、行き場なく抑え込まれていたエネルギーたちを

どうぞ解放してあげてください。



純粋な「意識」の光(=愛)が注がれるとき、そこに癒しと解放がもたらされ

それらのエネルギーは、本来の質、ニュートラルな光へと昇華、変容していきます。

そのプロセスの中で、自然と深い理解・気づきを受け取ることができるでしょう。



やがて、何一つ無駄はなく、失敗も誤りも遠回りもなく

すべては必然で、完璧で、導かれ、繋がっていること、ひとつであることが

わかってしまいます。

これ以上の安心が、開放感があるでしょうか・・・

安堵の笑いがこみあげてきます。

ゆだねること、明け渡すことの意味が、初めてわかります。




日蝕、月蝕などの天体ショーが相次ぎ、

宇宙レベルでエネルギーシフトが起きていますね。

精妙な周波数のパワフルな光が、地上に降り注いでいます。

クラクラ、フワフワ感じられる方、

眠くてたまらない方も多いのではないでしょうか?



ますます、内に留め抑えていたエネルギーが、揺り動かされ

噴出せざるをえない、向き合わざるをえない状況が起こってくるかもしれません。



変化は、循環は、宇宙の理。

いつまでも同じ状態で停滞しているわけにはいきません。



でも、どうか安心してください。

どのような変化が起ころうと、それも必然なのです。

信頼してください。すべては完璧なのです。

出てきたものは、ウェルカム!正面から向き合いましょう。



泣いても、笑っても、怒っても、いいんです。

悟りすました、善い人じゃなくてもいいんです。

ありのままを感じていきましょう。

どんなしがらみも、制限も、手放していきましょう。

そのプロセス、その瞬間を味わっていきましょう。



あなたの本質は、いつだって、傷つきも損なわれもしません。

それは、光そのもの。愛そのもの。宇宙そのものなのですから。


芽吹きのとき
illustration by freedesignfile.com



P.S.

我が家でも、母の一周忌や

末娘が卒園、入学ということもあり

3月はバタバタしていました(笑)


春休みは、家族で沖縄へ。

一気に春を通り越し、真夏の陽気。

晴れ渡る空に、どこまでも凪いだ青い海。


全身が脱力し、毛穴が開いて、深呼吸をしているのがわかりました。

身体の境界線が溶けてなくなり、海に、風に、鳥に、花に・・・

意識は拡大し、自由にはばたき、共振していきます。


ホエールウォッチングでザトウクジラに出会い

シュノーケリングでエイや熱帯魚と泳ぎ

子供たちは、イルカとも触れ合いました。


沖縄の地に御霊に、祈りをおくらせていただき

また、皆既月食のパワーも受け取ってきました。


そして、真っ黒に日焼けしてまいりました(笑)


心身ともに浄化された、喜びに満ちた休日でした。

すべてに感謝を・・・









Last updated  2015.04.15 10:05:02
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2015.02.20
カテゴリ:浄化とは

2月19日、旧暦の新年がスタートしました。

旧暦は月の周期を基とした暦。

新月が月の始めとなります。

満ちては欠けて、の大いなるリズム・・・

安らぎに身を委ね、その波に乗って、

瞬間・瞬間を体験していきましょう。




先日、いただいたご質問。

「これって、どう折り合いをつければいいんですか?」

伺ったとき、電球が光りました(笑)



私自身の経験でも、もちろんのこと。

多くの方が、必死に、もしくは無意識のうちに

自分をとりまく状況と「折り合い」をつけようと、努力されていることでしょう。


だだをこねても、感情をぶつけても、コントロールしようとしてみても

結局、相手を、周囲を、外側を、上手に変えることはできなかった・・・

むしろ自分が、怒られたり、嫌われたり、孤独を強めたりする結果になった。


そんな体験を通して、エゴは学習します。

自分の気持ちの方をコントロールしなければならない、と。


そして、我慢します。気持ちを抑え込み、無かったことにします。

相手に、周囲に、外側に、上手く合わせようとします。

それがきちんとできないときには、罪悪感を感じます。


これらの、スッキリしないモヤモヤ感を何とかするため、

さまざまな観念、理論を駆使して、頭で納得しようとします。

「~だから、仕方がない。」と、頭が心を説得しようとします。

これが、「折り合い」をつけるということです。



そのような、涙ぐましい努力によって、今までは上手く折り合いをつけ

良い人として、正しい人として、立派な社会人として

自他ともに認められてきたわけですが、

それが限界を迎えるときが、やがてやってきます。


頑張り続けることに、疲れてしまったり、

張りつめていた心が折れてしまったり、

耐えきれる許容量をはるかに超える状況が、起こってきたり


今まで慣れてきた対処方では、通用しない。

もうお手上げで、降参するしかない。

自分の表面をいじくり、取り繕うだけでは、どうにもならない。

もっと深く、内奥を見つめざるを得ない。


「こんな状況で、どう折り合いをつけろっていうの~!」

それは、まさに内なる叡智、ハイヤーセルフからの贈り物です。



例を挙げて、見てみましょう。

今、目の前にある状況に関して、心地よくない感覚がある。

不快感や、怖さ、窮屈さ、批判、さまざまな感情やストレスを感じている。

もう折り合いをつけられない。耐え忍ぶことはできそうにいない。

さあ、その時、皆さまならどうされますか?


その状況から立ち去る、断る、ノーと言う選択肢が、ご自分の中にありますか?

そんな選択を考えたとき、エゴの声が、響いてきませんか?

「始めたことを途中で投げ出すのか?」

「また嫌なことから逃げようとする!」

「断ったりしたら、相手から信用を無くす。嫌われる。」

「ノーと言えば、相手を不快にする。傷つける。和を乱す。」


また、津留さん含め、スピリチュアルな教えでよく言われている

「目の前の状況は自分の内面を鏡として映し出しているだけ。

内面を変えなければ、どこへ行っても同じパターンを引き寄せる。」

というメッセージが、足かせになっている場合もあります。



さあ、ここで申し上げたいのは、「逃げましょう」とか「逃げてはいけません」とか

そういうことではありません。

もちろん、どちらの選択、体験もすべてOK!です。


折り合いをつけきれなくなってきたのは、次の段階へ進むサインだということです。

何かの罪でも、罰でも、前世の因縁でもありません。

(その考え方がお好きなら、もちろんそれもアリ。それでOK!です)



こういう視点で見てみてください。感じてみて下さい。

すべては、完璧に、導かれている・・・と。

大いなるひとつ によって。 内なる叡智、ハイヤーセルフ によって。


その信頼から、安心から、

「折り合い」ではない本当の理解が、納得が、腑に落ちていきます。

肩の力が抜け、責めたり、耐えたりする必要がなくなっていきます。


導かれ、目の前に展開していく状況は、

ただ、自分が知らず知らずに背負ってきた、過去の重荷(エネルギーブロック)を

教えてくれているだけなのだ、と。

それらに気づき、認め、見つめていく、手放していくことが

次の段階のプロセスなのです。



この例でいえば、

その状況を前にした、耐えがたい不快感・ストレスな感覚

折り合いをつけたい。つけなきゃ。でもできない。という葛藤

逃げ出したい気持ちや、ノーと言いたい気持ち

それをすることへの、咎めや恐れ(エゴの声)

などを見つめていき、浄化します。


また、こんな思考もわいてくるかもしれません。

「なんで、こんな目に合わなければいけないのか?」

「私の何が、こんな現実を創造してしまったのか?」

「私のどこを変えれば、この状況が変わるのか?」

それらを知りたい、わかりたい、納得したいという焦り、不安、いら立ちを浄化します。


表面を浄化すると、さらにその奥に潜んでいるエネルギーに

自然と気づけるようになります。

忘れていたことを、ふっと思い出したりもします。

過去の関連する出来事の記憶や痛みが、表面に上がってきたり

これまで繰り返していたパターンが見えてきたら

それらも、丁寧に浄化していきます。


ブロックを積み上げていくプロセス、それも完璧でした。

そして今、この3次元世界で2極を極める体験をめでたくマスターして

浄化、統合のプロセスがスタートしているのです。

その素晴らしい体験を通して、2極を超えていくのですね。



頑張って折り合いをつけようと、努力されてきたこれまでのご自分に

どうぞ愛と感謝、温かいねぎらいの言葉をかけてあげてください。

そのままのご自分を抱きしめ、「大好きだよ」と伝えてあげてください。

今ここにいる、そのままの貴方で、完璧なのですから。


梅の花








Last updated  2015.02.21 15:47:33
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2015.02.09
カテゴリ:浄化とは

あまりの大雪に交通機関がマヒ。

都会で遭難し、帰ってこられなくなった娘を待ちながら

徹夜で迎えた去年の誕生日(笑)


今年は、おかげさまで、穏やかに、その日を迎えることができました。

受け取ったメッセージは「心願成就」。

今あるすべてに、心から感謝しています。





内側を見つめていくプロセスには、両面があります。



肉体、欲望、感情、思考、価値観、観念との自己同一化を見切り

「あぁ、これは自分ではなかった!」

「おぉ、これも自分ではなかった・・・」

と、一つ一つはがしていく、落としていく。


そして

「自分」と認識していたあらゆるものは幻想で

「自分」というものは、はじめから無かった、と思い出す。


そぎ落とし、そぎ落とし、ゼロへと向かっていく道。



同時に、すべてを受容していく道も。


肉体の緻密な構造・働き、その完璧さに感動し、感謝する。

扱いかねて抑え込み、恐れてきた感情や、疑いなく受け取ってきた観念など、

過去のエネルギーを、ありのまま認めて見つめていく。


そして

鏡に映るすべては、どんなものであれ自分なのだと、理解・体感が深まる。

これまでのあらゆる出来事・歴史を、すべて貴重な体験であったと赦し、受け入れる。

今ここ、この瞬間の完全さに心ふるわせる・・・


善悪も、人も、星も、宇宙もすべてを抱きいれ、内包していく

形や時空、次元を超えて、無限のワンネスへと拡大・拡張していく道です。




男性的、女性的と表現することもできるかもしれません。

これらは表裏一体であり、

どちらを進んでも、行きつくところ、還るところは同じです。

一方の道をすすむことも、両方を味わうことも、全部OK!

すべての存在、すべての可能性が内包された、無限のゼロなのですから。



無限のゼロ
illustration by Undertow851







Last updated  2015.02.10 19:30:28
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2015.01.29
カテゴリ:浄化とは

春を思わせる、あたたかな日もあれば、

身震いするような、寒風吹きすさぶ日もあり、

でも一歩一歩着実に、本当の春へ近づいていますね。


間もなく立春。

新たな節目でもあります。

つい、本当の春を待ち焦がれてしまいますが、

今ここをしっかり味わい、感じつくしていきましょう。





「私のところへは、わがままになれずに苦しんでいる人たちが来るんですね~」

時折、津留はそんな話をしていました。



人間は縦型と、横型、二つのタイプに分けられる・・・そんな事も言っていました。

縦型とは、外向的、直情的、パワーゲームやコントロールを好むタイプ

横型とは、内向的、内省的、諍いを好まず自分の思いを犠牲にするタイプ



わがままになれずに苦しんでいる人たちとは、この横型タイプのこと、と言えそうです。

津留は、自分がどちらかといえば横型タイプで、その体験を超えてきたがゆえに

そういう傾向の方たちに、より深く響くのだろうと、笑っていました。



私たち一人ひとりの中には、本来すべてが内包されており

あらゆる要素がまじりあっているわけで、

スパッとどちらかのタイプに分けきれるものではないでしょう。



ですから、この場合、ご自分の認識している自己イメージや

これまでの人生で、記憶の多くを占めているパターン

または、今現在おかれている、上手くいかない状況

そんなものに基づいて、ご自分の傾向を感じてみて下さい。





私の場合、この分け方で言えば、ずっと自分を横型タイプだと思っていました。

縦型タイプな大人たちに囲まれ、彼らの激しい感情の応酬を見聞きしながら

その不調和なエネルギーが不快で怖くて、ますます自分を表現できなくなる・・・

そんな体験を探求していたんですね。



そして、自信のなさ、被害者意識といった感覚が強化されていきました。

人見知りで、口下手で、不愛想、そんな自己イメージが定着していきました。

私はそのような仮面をかぶり、窮屈な衣装を身に着けていったのです。



その一方で、縦型タイプを嫌悪し、軽蔑し、見下している自分がいました。

それにより、自分の存在価値を、無理やり見出そうとする切実な思いがありました。

ですから、常に縦型タイプの配役を傍に必要とし、体験を極めていたわけです。

まさに望み通りのダンスを、踊り続けていました。



幸いにも(笑)、その体験に飽き飽きするタイミングがやってきました。

もう不要となったエネルギーを、手放すステージへ移行していったのです。

それは、仮面も衣装も脱ぎ捨てて、素の自分を思い出すプロセスでした。


横型タイプとしての自己イメージや、過去の記憶、

何より、それらに付随する、これまで溜め込んできた感情を、

どんどん感じ、見つめ、浄化していくと・・・

自分の内側に、縦型タイプの要素をしっかり持っていたことに気づきました。

それらの存在を否定し、表出を許していなかっただけでした。



そのことに気づけてからは、内側で訴えてくる縦型タイプの要求や恐れを

正面から見つめ、浄化できるようになりました。



やがて、内なるすべてを受け入れ、認められるようになってきます。

愛おしく思えるようになってきます。

安心して、自分自身でいられるようになってきます。

すると、自然と、外にみえる世界に対しても、否定する必要がなくなってしまいます。

仮面舞踏会(武闘会?)だった人生が、

愛おしく、安らぎとともにある人生へと変容してしまうのです。





大いなる源から、神(無限)ならざる体験を求め、

分かれ分かれてきた魂(意識)である私たちは、

この2極(有限)の物質世界の中へと、喜んで飛び込んでいきました。



その舞台・地球で、壮大な絵巻物を繰り広げるための配役として

縦型も横型も、王様も奴隷も、大富豪も貧者も、ただそこに居て

さまざまな体験を味わっています。

それぞれの喜び、悲しみ、葛藤、絶望を・・・



一生を、頑固一徹、同じ配役で通す場合もあるでしょうし、

シーンに応じて、器用に色々な役を演じ分けたり、

絶頂からどん底へといった、極端な役替えに挑戦したりもします。



配役によりかぶった仮面、身に着けた鎧・衣装を

パーソナリティーやアイデンティティーを、自分自身と信じこみ

忠実に、恐ろしいほどリアルに、その感情体験に没頭してきました。



ワンネス・大我とのつながりを、見事に忘却した私たちは

分離感・恐れに基づく、小我・エゴ・思考の声に振り回され、踊り続けます。

そこに、本当の安らぎや、満ち足りた感覚はありません。



そこで、自分の表現している立場を、何とか正当化するべく

相手を敵視したり、貶めたり

それはもう、涙ぐましい努力で

考え付く限りの自己防衛、理論武装の壁を張り巡らせ

常に外側と格闘してきたのです。



それらは、すべて、貴重な体験でした。

ここでしか味わえない、かけがえのない体験でした。



飛び込んでみると、想像以上に過酷な体験でしたね。本当にお疲れ様でした。

今まで地球上で積み重ねられてきたそれらの体験、それらのエネルギー

そこに身を投じてくださった、同胞の炎のような献身に・・・

また私たちを受け入れ続けてくれた、母なる地球に・・・

心より感謝申し上げます。ただただ、ありがとうございます。



そして、何よりありがたいことに、3次元舞台であった地球は、

もう新たなステージへと移行しています。



盛大な仮面舞踏会は、終演の時を迎えました。

繰り返されてきたお馴染みの悲劇は、今までのような、魅力を失っています。

次第に、うわべだけの、白々しい作り物に見えてくるでしょう。

「え~、またなの?もういいよ~!もう飽きたよ!」

配役を演じることに夢中になっていた人々が、その悪夢から目覚めていくことでしょう。



早めに目覚める人も、まだまどろんでいたい人もいるでしょう。

それぞれに最善のタイミングがあるのです。

それでも地球上すべてが、目覚めの時を迎えます。

大いなる喜び、お祝いの時です。



気づいた人から、思い出した人から・・・

先延ばしにする必要はありません。

今、手放すことが出来ます。

仮面も、鎧も、その下にある恐れも。



新生

illustration by cici_luis








Last updated  2015.01.29 21:40:47
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