再発の恐怖
先日定期検査でパパの病院に付き添って来ました。今回の検査、実はとても怖かった。10日程前から体調崩していて、数日前は食欲もなくなり、殆ど1日中寝ているだけの生活。気力も落ちて来ていて、風邪にしてはどんどん気持ちが吸い取られているような感じ。どうした?!?!と喝を入れても全く反応が鈍く、殻に閉じこもるばかり。私は仕事の締め切りを控えた一番神経がピリピリしている時期でしたが、命には代えられないです。それでリフレをしてあげていたり。パパの気持ちを吸い取っていた原因は鼻血だったようです。白血病を発病する1ヶ月前、風邪をこじらせ、熱が上がったり下がったり、咳が止まらなかったり、頭が痛かったり、時々鼻血を出したりしていました。今回の体調悪化も、時々鼻血が出ていたようです。発病当初、決定的だったのは大量の鼻血。枕が真っ赤に染まる程で、今私は鼻血と聞くだけ、このブログを書いているだけで、その時の光景や不安感、言い知れぬ恐ろしさが蘇ってくる程です。今回は大量では無かったようですが、それでも止まりは悪く、私以上の不安感があったようで、再発したのでは、、と思い込んでしまったようです。移植して、先日ようやく5年が経過し、本来ならもっと喜べるはずなのに、再発の不安はやはり拭えないものなのだと、改めて思いました。こればかりは救ってあげる事が出来ない。本当に恐怖との闘いなのだな、と。その上、、去年肺炎をこじらせ入院し、そこから両肺気胸になり、肺の繊維化が進んでいる事が分かり、呼吸不全で現在も安静が必要な日々が続いているものの、時にはあれ?と思うくらい元気な日があり、本人の気持ちのコントロールは本当に大変だろうと思います。私やいがぐり君も、今でこそだいぶ慣れてしまったけれど、この生活を受け入れられているのか?と言えば、まだまだ納得の出来ない事や、不便はあり、それが不幸だと感じる事もあります。それを不幸だと。その考えこそが不幸なのだけれど、何故だかこの1年は私も随分マイナスに考えたり、じっと耐えたりして、苦しい時間を過ごして来ました。再発という言葉は、命自体をすぐに奪うものではなく、気持ちをじわじわと奪って、闘う体力気力を少しずつ奪って行く麻薬のようなものです。5年経てばその恐怖はすっかりなくなろだろう、と夢に描いたけれど、そう簡単にはこれからも歩ませてはもらえないようです。パパはよく、『何か悪い事をしてしまった罰なのだろうか』と言いますが、違うよ、と言いたい。罪を犯した訳ではない。でも、病気は人をそんな風に思わせてしまう事もあるのです。暗い内容になってしまったけれど、今日もパパは少しだけ元気です。それで良いのでは、と思える1日でした。いがぐり君も一生懸命1週間学校に通ったし、私も1週間仕事、頑張った。明日大雪の予報。調子が良ければ録りためた映画でも観てもらい、またリフレの練習台になってもらおうと思います。毎日にありがとうですね。