★  OVER  THE RAINBOW  虹の彼方★

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、鎌倉時代。その鎌倉仏教が生んだ宗教家の代表格が、日蓮である。日蓮上人というのは、その激烈な性格、極端なほど歯に衣着せぬ直截な表現もあってか、生涯にわたって何度も何度も法難を受けた宗教家である。その一つに、鎌倉竜ノ口の法難という有名な事件がある。

文永8年(1271)9月10日のことである。
日蓮は、時の権力者であった北条氏に楯つき、他宗ことごとく敵に回した結果、すでに出来上がっていた日蓮有罪の筋書きのもとに、捕らえられてしまった。
佐渡へ流罪ということで、北条宣時の屋敷へいったん預けられる。しかしその夜半、夜中の12時ごろになって、突然出立ということになった。
これは表向きは佐渡へ流罪と見せかけ、じつは竜の口の刑場で首を刎ねるため、人目をはばかっての突然の連行である。
日蓮は裸馬に乗せられ、平左衛門頼綱以下役人たちの手で連行されてゆく。

日蓮はもう悟っていた。自分が行こうとしている所、その目的を。
馬は現在の鎌倉雪の下から鶴岡八幡宮の若宮小路にさしかかった。そこでいきなり、日蓮は馬から飛び降りたのである。
警護の侍が慌てて駆け寄ろうとするのも構わず、日蓮はうっそうとした八幡宮の杜に向かって、大声で呼ばわった。

「いかに、八幡大菩薩はまことの神か!」
なにしろ、法華経の読誦行で鍛えているから、気合が入っている。
「われは日本第一の法華経の行者である。そのうえ、身には一寸の過ちもない。かつて釈迦仏が法華経を説かれるゆえに多宝仏、十方の諸仏、菩薩が集まりたる折り、無量の諸天ならびに天竺、漢土、日本国などの善神聖人、皆おのおの法華経の行者に疎略あるまじき由の誓状を差し出されたではござらぬか。さらばこの日蓮が申すまでもなく、急き急きその誓状の宿願を遂げさせたもうべきに、なにゆえここに出会われぬのか!」


ここで言っていることは、こうである。
むかし、お釈迦様が法華経を説かれた時に、世界中の菩薩や諸天善神が集まって、法華経の行者を守護しようと固く約束したはずなのに、八幡さまは、なぜちゃんとその約束を守らないのか。それでも、ほんとうの神なのか、というわけである。鎌倉八幡は、日蓮に叱り飛ばされたのである。
警護の侍も、度肝を抜かれたに違いない。よほどの信念の持ち主でなければ、こんな言葉は出ないだろう。
さてこの結末はというと、竜の口に到着して、いよいよ処刑とあいなった時である。役人が近づいて鞘を払い、白刃が大きく振り上げられたその時、天の一角、江ノ島の上空に正体不明の光り物が出現した。月ぐらいの大きさで、非常な明るさ。浜辺の貝殻、砂ひとつぶまではっきりと見分けられるほどだった。
この光が、江ノ島上空から戌亥(北西)の方向へ、ゆっくりと移動してゆく。この怪異現象に、馬はいななき、太刀取りの役人ほかほとんどの者が眼をおおって、われ先にと逃げ出してしまった。
これで日蓮の処刑は不可能になってしまい、棒立ちになっていた平左衛門は仕方なく、日蓮を相州依智の本間邸へと連れて行く。かくして日蓮の行者生命と活動は、その後も続くのである。



なんだか、日蓮宗幼稚園の紙芝居のようになってしまったが、私、雲切童子の立場からいって、日蓮に脅迫された鎌倉八幡の気持ちはよく分かる。これでは、のんびり江ノ島弁天といちゃついているわけにもいくまい。
「法華経の行者を守護することは何よりも優先事項であると、お釈迦様の前で一筆入れたじゃねえか、それでも神か!」と叱りとばされては堪ったものではあるまい。
こういう具合に、一般の人の商売繁盛やら縁結びやらはいつでも良いが、行者、宗教家の守護は優先順位が一位なのである。国家の一大事に等しいのである。
これは功徳力という点からいって、偏差値の比率が非常に高いからである。日蓮の信念の強さを伺わせるエピソードだが、これなどは、神と人間の関係という観点からみると、非常に面白い。
少し論点がずれたが、日蓮が鎌倉八幡を名指ししたのも、土地神であると同時に、もっとも力の強い神の一人であり、ものごとの価値判断のわかる神であることを知っていたからであろう。神にはまさに、「神通力」を体現できる神もあれば、ハナ紙にしかならない神もあるのである。鼻紙を拝んでも仕方あるまい。


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