年越し蕎麦、いつ食べる?
それは大晦日のこと。。。夕飯に年越し蕎麦を作ろうと思ったら、「え?年越しの頃に食べるんじゃないの?」とAから待ったがかけられた(※この時21時過ぎ)。「え~?年を跨いだらダメでしょ、もう食べようよ~」とBの声。さて、正しいのはどっち!? なんてやりとりがありまして。そういえばなんで年越し蕎麦なんだろう?いつ食べる?どんな蕎麦?…と疑問が湧きあがったので、ちょっと調べてみたら。米と同じくらい古いそば文化って話題の尽きないトピックだったorz [年越し蕎麦、いつから始まった?]大晦日の晩に蕎麦を食べる慣習が始まったのは、江戸時代の中期から。 原料である植物のそばは、縄文時代に伝わり、弥生時代には全国で栽培されていた古い食材。が、その食べ方は、脱穀したそばの実の雑炊、あわやひえと混ぜた粒食、熱湯でこねあげた団子の蕎麦がき、こねて餅状に伸ばし焼いて食べる蕎麦餅などだった。 現在のような麺状の蕎麦が作られるようになったのは、1600年代以降のこと。うどんの技術に基づいたこれを“蕎麦切り”といい、木曽から江戸へと伝わった。1700年代からは小麦粉をつなぎに加えるようになり、煮崩れしにくくざるやかけ等、茹で蒸し蕎麦以外の食べ方ができるようになった。↑小麦粉配合の高い蕎麦が出回るようになったため、蕎麦粉のみ、またはほぼ蕎麦粉であるという意味の生蕎麦(きそば)という言葉が標榜されるようになったんだって! また、流通が安定拡大し、人々が白米中心の豊かな食生活に移行していった時分。江戸で脚気(かっけ)が大流行し、「蕎麦を食べている人は脚気にならない」と巷でいわれうどんを凌ぐ人気を博した。蕎麦の夜店や出前が犇くようになり、ひとつの町に2軒以上の蕎麦屋があるほどで、この頃蕎麦に関する習わしが多く生まれていった。年越し蕎麦もそのひとつ。ex.引っ越し蕎麦、晦日蕎麦↑“中華そば”“沖縄そば”という名称も、“蕎麦切り”(略されて蕎麦)に似た細長い麺だから。蕎麦文化の根強さを示す言葉だったんですね~。 [年越し蕎麦、どんな縁起を担いでいる?]1. 蕎麦の麺の形状から「細く長く寿命を全うする」「細く長く家族の縁が続く」2. 蕎麦の麺が切れやすいから「昨年の災厄・苦労を切り捨てる」又は「借金を切り捨てる」3. 蕎麦は風雨に垂れても陽が差せばすぐに起き直るから「健康になる」4. 蕎麦を団子にして金銀細工師が散らかった金粉を集めるために使うから「金を集める」、それを水につけると蕎麦粉は溶け金粉だけが底に沈むから「金が貯まる」5. 蕎麦は胃腸を掃除して清浄にするから「体内の毒がとれる」などなど。1や2は屡耳にする定説ですが、細く長く続く縁起と切れやすい縁起を一緒に担ぐのはどうにも、家族の縁や寿命が切れそうで嫌なイメージ…。なので、個人的には健康祈願か、金運アップの縁起がいいなーと思います。代々ウチはコレ!みたいな縁起があれば別ですけど。 [蕎麦にまつわる記述]眉斧日録(1756)「闇をこねるか大年の蕎麦」大阪うどんの老舗の松葉家(明治時代)「年越し蕎麦は注文が殺到した」大坂繁花風土記(1814)「十二月三十一日晦日そばとて、皆々そば切をくろふ。当月節分、年越し蕎麦とて食す。」「正月十四日年越とて、節分になぞらへ祝う。この日そば切を食ふ人多し。」↑正月十四日は、四季節でいう一年の終わりなので、年越し蕎麦と同様に節分蕎麦を食べる習慣があったみたいです。年越し蕎麦と節分蕎麦が合体して、今では元旦や1月14日に蕎麦を食べる地域もあります。本朝食鑑(1695)「蕎麦は気を降ろし腸を寛し、能く腸胃の滓穢積滞を練る」↓まとめ↓年越し蕎麦は、労苦と切れる縁起を担ぐなら絶対に年が明ける前に食べるべし。蕎麦の種類は、掛けそばでもざる蕎麦でもなんでもよい。薬味に葱をつけるとなお縁起が良いとされる。→労ぐ(ねぐ)=神を慰め加護を願う、禰宜(ねぎ)=神社の神職 特にこの謂れが歴史が、というわけではないらしい。。。いつのまにか根付いた生活習俗ってやつですネ! 以下、参考にしたサイト様wiki 年越し蕎麦 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B4%E8%B6%8A%E3%81%97%E8%95%8E%E9%BA%A6日本文化いろは事典 蕎麦 http://iroha-japan.net/iroha/B02_food/04_soba.htmlからしら萬朝法 蕎麦のはなし http://homepage2.nifty.com/ToDo/cate5/soba3.htm株式会社越前屋 年越蕎麦 http://www.echizenya.co.jp/mini/colum/tosikosi.htm