罰トレーニングまたまた、野口さんのメールより私は大学時代、少林寺拳法部にいました。 体育会系武道クラブということもあって、規律も厳しかったです。 部に関して、私がすごくイヤだったものがあります。 毎月末にある“罰トレ”でした。 その月に、無断遅刻をした部員や、 練習中の態度がたるんでいた部員が、 罰として特別なトレーニングを受けるのです。 罰トレを受ける部員は、毎月7~8人ていどでしたが、 私も何度か受けました(^_^; 罰トレは、月末日の練習が終わった後に始まります。 1年生のある月、私も罰トレの対象者として、初めて罰トレを受けました。 主将〔キャプテン〕が、「腕立て50回!」 と号令します。 すると、対象者全員で腕立てを始めます。 腕立ての後、腹筋、スクワットと続きました。 そして、スクワットの50回目を終えて、「やっと終わりだ」と思ったら、 主将が、平然とした顔をして、 「はい、腕立て50回!」と言うのです。 「うそー!また腕立てか?」と心の中でつぶやきながら、 震える手で腕立てを続けます。 「この後、腹筋もまたやるのかな?」 と考えると、すごく不安になります。 「いつまで続くんだろう?」 という恐れの気持ちも湧いてきます。 とても苦しかったのを覚えています。 罰トレを終えて、「地獄だった~!もうコリゴリだ」と思いました。 そんな苦しい罰トレでしたが、 その罰トレに毎月自主的に参加している者が1人いました。 それは、私の同期のY君でした。 彼は、罰トレの対象者でないのに、毎月参加していました。 なぜなら、体育教師になる予定の彼は、 「筋力と筋持久力を兼ね備えた身体を作る!(本人談)」 ことに燃えていたからです。 不思議なことに、Y君だけは罰トレをする表情が苦しそうに見えないのです。 彼の場合は、むしろ充実感に満ちた表情でやっていました。 罰トレが終わった後、他の罰トレ参加者が苦しそうな表情をしている中、 彼だけが笑顔を浮かべていました。 1年生の時点では、彼が決して体力的に優れていたわけではありません。 今思えば、彼だけが罰トレを楽しめたのは、意識が違っていたからですね。 他の参加者は、 「これは罰としてやらされているんだ。助けてほしい!」 という受け身で被害者的な意識でやっていました。 だから苦しかったし、必要以上に疲れたのです。 しかしY君は、「やらされている」 立場ではなくて、 自らを鍛えるために、自分から喜んで参加していたわけです。 この意識のおかげで、彼は罰トレを楽しめたのですね。 そして、3年生になるころには、彼は同期の中でも、 別格に優れた体力を手に入れていました。 人生で起きる問題や悩み事も、実は最良のトレーニングなのです。 ところが、困難な問題にぶつかった時に、 受け身になって、被害者意識で、 次のように考えたとすると、どうでしょう? 「あー、どうして自分にだけ、このような問題が起きるんだ。 いつになったら解決するんだ? この悩みは、いつまで続くんだ? 勘弁してくれー、助けてくれー」 このように考えてしまうと、 罰トレを受けた時の私のように、恐れと不安に振り回され、 まず精神的に消耗して疲れますね。 ですから、困難な問題にぶつかった時には、Y君を見習って、 「この問題を通じて成長できる!大きな人間になるぞ」 という意識で、喜んで取り組みたいものです。 こう考えることができたら、 問題に取り組むプロセスを楽しめるし、 充実感を持って成長することができます。 人生の達人とは、 まるでゲームを楽しむように困難な問題に取り組める人だそうです。 人生の達人は、ゲームの達人なのです。 |