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カテゴリ:旅
4月2日(水)・・・いよいよですね。その前に。。 もう一か月が過ぎてましたねぇ~(;^_^A なんとか無事帰着してからも、あれこれジタバタ(苦笑) ここに来てようやく落ち着き、2025春の編の全貌解明という事に・・・ とりあえず本州入り・・・相変わらずでした! お天気次第でアチコチふらり(#^.^#) でも今回は、行先~泊まる場所までのルートをなんとなく既にイメージ済でした。 ![]() プチタビは何度もしてますので、懐かしんだり今度はココにみたいな? そして、いつもの様に旅の基本ルールはコレ・・・ 1.何処へ? 今回は○○地区。(何度も行ってますが・・・) 2.予約は? フェリー(往復)と2件の宿泊のみ。(今回はキャンプも視野に入れ) 3.条件は? 有料道路は利用しないこと。(アレン君は強風に弱いので・・・) 4.そして? 快食快眠+極貧生活記。(先を急がず休む時は寝る) ※時系列、画像中心になります。 と言う事で、今回の○○は『関東甲信越』編になります! ![]() 千葉・茨城県は最近行ってましたので ![]() とは言え、新潟辺りは港(発着)の為やむなしですね。m(__)m それでは、4月2日👉(あっという間の新年度・・・そして)のブログからの詳細編になります。画像メインと言う事で・・・m(__)m 新潟行のフェリー内から、いざスタート\(^o^)/ 4時半頃・・・目が覚めて ![]() ![]() ![]() どうやら秋田沖🚢。。。 ![]() マダマダですね~(ー_ー)!! 5時半過ぎ・・・ ![]() 小雨・・・ん~・・・🌂 ![]() 窓ガラスには雨?波しぶき?! 曇り空ならまぁヨシか? ![]() 6時半過ぎ・・・カルク朝食でした🍞 ![]() 実はこのパンで・・・オカミの前歯がポロリ・・・\(◎o◎)/! 曰く想定の範囲内と言う事の様でして( ̄▽ ̄;) 🦷。。。 7時半過ぎ、一旦戻って・・・ソロソロ下船準備。 ![]() 下船準備コール~8時半過ぎには・・・そして8時50分頃車に入りました。 (同乗者も車両にて一緒に下船です) 車内にて荷物を解き元の場所に積み替えて💦 ![]() ナビを見ると新潟までは825㌔なんですね👀 寝てる間の~🚢。。。 前を見ると、ケーキャンカーが! ![]() てか、ケイトラの荷台に乗っかってました(゚д゚)!。。。バリバリだぁ~ヽ(^o^) 長崎ナンバー・・・北海道満喫かなぁ~なんて。。 9時ゲートオープン ![]() ココ迄、自宅から31㌔ね ![]() よっしゃ!上陸じゃよ~(#^.^#) ![]() あらぁ~小雨だぁ・・・🌂 ![]() 新潟のターミナル。半年ぶりか! 下船即ナビ検索からの近くの🅿に・・・ ![]() ![]() ![]() 9℃かぁ~ι(´Д`υ じゃなくて、今日のお天気チェック。 ![]() なんやかんやで、9時半スタートです💦 のんびりぃ~。。。 ![]() で、どっち?(笑) 10時・・・チョットお買い物でした(苦笑) ![]() もうこんな時間になってました((+_+)) ![]() まぁ急いでも雨ですしねぇ~(;´д`)トホホ と言う事で、たまたま地図で見つけた⛩神社にでも ![]() 11時過ぎ・・・👀 ![]() こっち? ![]() よしよしヾ(・ω・`) と言う事で・・・歩くん~かいな( ̄▽ ̄;)v ![]() 雨は小降りになり・・・☔ ![]() ほぉ~👀 ![]() 創建から2400年以上の歴史を有するとされる神社。 日本最古の万葉集にも詠われています。 ![]() 伊夜日子大神(いやひこのおおかみ) 御名 天香山命 御祭神 天香山命は高倉下命(たかくらじのみこと)とも申し上げ、皇祖天照大御神の御曾孫(ひまご)にあたられます。父神は饒速日命(にぎはやひのみこと)、母神は天道日媛命(あめのみちひめのみこと)で、天孫降臨に供奉して天降られました。 天香山命が、紀伊国熊野神邑に御住まいの頃、御東征途上の神武天皇を始め皇軍将士は、熊野荒坂津にて敵の毒気により昏睡に陥りました。この危機を救うべく、天照大御神と武甕槌命は天香山命に韴靈剣(ふつのみたまのみつるぎ)を神武天皇に献ずるよう夢の中で告げられました。韴靈剣とはかつて武甕槌命が国土平定に用いられた威力ある霊剣です。夢告に従い天香山命が昏睡している神武天皇に韴靈剣を献じたところ、霊剣の威力によって神武天皇を始め皇軍将士は忽ち昏睡から覚醒し、敵を撃破されました。天香山命の韴靈剣献上の大功により危機を乗り越えた皇軍は、その後次々と蛮賊を平定し、大和国に入られた神武天皇は、橿原宮で初代天皇として即位されました。 ![]() 神武天皇即位四年(西暦紀元前657年)、天香山命は越の国平定の勅を奉じて日本海を渡り、米水浦(よねみずがうら・弥彦山の背後・長岡市野積)に御上陸されました。当地では住民に漁業・製塩・酒造などの技術を授けられ、後には弥彦の地に宮居を遷されて、国内の悪神凶賊を教え諭し万民を撫育して、稲作・畑作を始め諸産業の基を築かれました。 天香山命は越後開拓の祖神であり、またその御事績から、人々の魂・生命に溌剌とした活力を御授けくださる神様と言えましょう。 ![]() 彌彦神社の御創建について、社伝によると天香山命は第六代孝安天皇元年(西暦紀元前392年)二月二日に越の国開拓の神業を終えられ神去り坐して神劒峰(弥彦山)に葬られ、御子である第一嗣・天五田根命が廟社を築き奉祀した事に始まります。下って第十代崇神天皇の御代(御在位:紀元前97~30年)に、第六嗣(天香山命より七代)建諸隅命が勅を奉じて社殿を造営して以来、御歴代の天皇の勅による社殿修造がなされ、第四十三代元明天皇和銅四年(711)には勅により神域の拡張と神戸及び神領の境を定めたと伝えられております。 よって彌彦神社は御創建から二千四百年以上の歴史を有する神社です。 ![]() 彌彦神社が初めて国史に見えるのは『続日本後紀』巻第二・仁明天皇天長十年(833) 鎌倉時代以降では源頼朝が三千貫の神領を寄進し、南北朝時代には後醍醐天皇が「正宮位大明神」の宸筆の勅額を御奉納になるなど、古代以来中央にも聞こえる地方の大社として、社殿の造営修築を繰り返し、七十五名もの神官が神事祭礼を勤めていました。室町時代の作と伝えられる境内の絵図には、丹塗りの壮麗な社殿群が描かれ、当時の繁栄ぶりが偲ばれますが、応仁の乱が地方にも波及すると、社殿をはじめ御鎮座以来の記録・宝物の多くが焼失、神領も押領されるなど一時疲弊したものの、越後を領有した上杉家は三千二百石余の神領を寄進し社殿を修造・退転した神事の復興をはかりました。しかし上杉家の会津移封に端を発する越後国内の騒擾から再び神領のほとんどを失い、恒例の神事もままならず、七十五名の神官は二十五名にまで激減し混迷を極めました。 江戸時代に入ると、徳川家康からの社殿修理料三百両の奉納をはじめ、三代将軍徳川家光以降歴代将軍による朱印地五百石の安堵、五代将軍徳川綱吉寄進の社殿修繕(元禄十六年(1703)完成)など、戦国時代からの混乱が漸く解消し、安定を迎えます。この間、元禄五年(1692年)頃より吉田神道の神学者である橘三喜に師事し神道の研鑽を深めた彌彦神社神主・高橋左近光頼は、仏教化された神社の在り方をよしとせず、社僧・供僧を追放するなど神社内の仏教色を一掃し、神官と家人の仏葬を廃して新しく「神祇宗」を興すなど大々的な神仏分離を断行しました。この行動は社僧らによって寺社奉行への訴訟に発展し、その結果違法とされ全ての復旧を要求され失敗に終わりましたが、神仏分離を明治維新から遙かに遡る元禄期に先行した事は特筆すべきことであります。 維新によって江戸時代が終焉し明治に入ると、神社は国家の宗祀として位置づけられ、明治四年(1871)五月に国幣中社に列格し、国家管理のもと従来の祭典神事に加え近代神祇制度によって整備された古代からの祭祀が復活、斎行されるようになりました。明治十一年(1878)九月十一日には明治天皇の御親拝を仰ぎ奉り、江戸時代以来の民衆の参拝も隆盛し、社頭の整備拡充が図られておりました。しかし、明治四十五年(1912)三月十一日、門前町で発生した大火に罹災し、善美を極めた御本殿以下の社殿が烏有に帰しました。越後一宮の焼失は当時の越後人にとって非常に大きな衝撃を与え、県内はもとより遠く海外からも復興への志が寄せられ、大正五年(1916)、旧に倍する荘厳且つ壮大なる社殿が再建されました。 大東亜戦争後、神社は国家管理を離れて宗教法人となり、昭和二十一年(1946)、多くの神社とともに神社本庁包括下となりました。昭和四十七年(1972)五月二十三日には昭和天皇・香淳皇后の御親拝を、同五十六年(1981)には皇太子同妃両殿下(今上天皇・皇后両陛下)の御参拝を仰ぎ奉り、翌五十七年(1982)には上越新幹線開通を記念して日本一の大鳥居が奉建されました。 彌彦神社は崇神天皇御代の御創建から現在に至るまでの二千四百年以上に亘り、天皇陛下を始め皇室の御安泰と御繁栄、国家国民の安寧と限りない繁栄のために御神威の御発揚を祈念し続け、伊夜日子大神様への感謝と、魂と生命に活力を与えて下さる事を祈る方々の参拝はますます盛んとなり、年間百四十万人が季節を問わず御神前に額づいておられます。 ※彌彦神社は古くは「伊夜比古神社」と記され、伊夜日子・伊夜彦・彌彦などとも表記されました。 現在は「やひこ」と言い習わされておりますが、歴史的には「いやひこ」と読んでおりました。 と、ありました。 ![]() 休憩室・・・ ![]() ![]() ( ,,`・ω・´)ンンン? これは・・・👀 ![]() 初の精製装置・・・👀 ![]() φ(..)メモメモ 弥彦山?・・・このお天気じゃねぇ~ヾ(≧ ![]() なので、まちあるき・・・と。。。 ![]() フローちょっと ![]() ![]() (・_・D フムフム ![]() オカミは、足湯してましたわ(苦笑) ![]() 小雨の知らない街あるき・・・良いものです ![]() ![]() ( ´Д`)=3 フゥ・・・13時過ぎ・・・\(◎o◎)/! と言う事で近くの・・・道の駅です。13時20分でした・・・ ![]() 燕三条・・・ ![]() ![]() 13時31分・・・着丼 それは蕎麦でした ![]() オカミは『アカモク蕎麦』 ![]() ![]() アタクシは『かき揚げ蕎麦』 ![]() ![]() これはとても良い感じ ![]() すると気になる文字が・・・ ![]() 食べてから目にとまってもねぇ~((+_+)) ![]() コレはアウトレット品??2点で100!! オカミはガソゴソと・・ ![]() どうやら『穴あきスプーン』ゲット(#^.^#) 燕三条ですもの ![]() かれこれ小一時間👀
![]() 14時15分:イカン( ̄▽ ̄;)・・・トットと先へ進まナイト ![]() ![]() 雨は止んできましたよ👀 ![]() ![]() あの山超えかぁ~・・・・ ![]() (・・? ![]() 錦鯉ねぇ~・・・(謎) 田んぼにはマダ雪だぁ! ![]() なになに・・・👀 ![]() 15時半・・・靄が??👀 ![]() うひょ~👀 なんだか映画のワンシーンの様にも ![]() ![]() だいじょぶなの? ![]() 何処がどこやら・・・💦 ![]() そして・・・ 間もなく靄も無くなり・・・すると⛄ ![]() 真冬の世界Σ( ̄□ ̄|||)・・・スタッドレスは正解でしたよ💦 ![]() たどり着いた先は・・・? ![]() えっ? まさかの休館日_| ̄|○ ![]() ここは? ![]() 「ナハナハナハぁ~」。。。オイオイ~💦 駐車しても、雪崩ると危険かも ![]() ![]() なので近くの道の駅を検索・・・トンネルの先に👀発見👉 即、GO!でした ![]() ![]() ![]() ![]() スグでした~ホッと一息(-。-)y-゜゜゜ ![]() ┐(´д`)┌ヤレヤレ 滑りこみ? ![]() 新潟県柏崎市高柳町高尾? てか、閉店時間を過ぎてたり(・_・;) ![]() ![]() ※「じょんのび」は新潟地方の方言で、「ゆったり」「のんびり」という意味 「あー、じょんのびじょんのび」=温泉にゆっくり浸かった時などに使われる。 ・・・らしいです(#^.^#) ![]() どっちにしても、この時間(*´▽`*) なので・・・ ![]() 柏崎界隈でしたねぇ~((+_+)) 🚾・・・💦 ![]() 中々クラシカル仕様だったり・・・👀 とは言え、是非も無し?! ココをキャンプ地と致しました ![]() ![]() 17時・・・早速乾杯🍻 ん~夕食は、非常食? ![]() あるものでササッと済ませることに ![]() ![]() 18時08分 日の入り・・・この後雨かぁ⤵ ![]() ![]() 19時過ぎ・・・辺りは真っ暗・・・ ![]() のびのびなのは良いのですが・・・ そして、野球中継(PC)でも見ながら~ ![]() ![]() そんな現在地・・・ ![]() 爆睡? それが中々ねぇ~((+_+)) 就寝だぞー💤💤 さてさて、本日の移動と位置関係はコンナ感じ・・・ ![]() 参考に「県道1号 と 北陸自動車道」経由とすると2 時間 12 分 (116.5 km) 実走は、あちこち立ち寄りの一般道を走行でした(苦笑) 約7時間・120㌔位かな? 今日のところは、とりあえず南下?! 雨の移動日となりましたとさ・・・でも観光時はほぼ降ってませんでしたよ ![]() さて、明日は? それより、お天気がねぇ~((+_+)) ん~(˘ω˘)💤 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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