2010/07/06(火)17:45
自分であるということ
今日は久しぶりに髪を切りに行きました。
一年近く手を入れていなかった髪。
三年ぶりくらいに行った府中の少し不思議な美容室。
必要な時にいく美容室です。
毎回不思議に腑に落ちるメッセージをもらうこの場所。
入って行くなり、ずいぶん雰囲気が変わりましたねと言われました。
決してジャッジはしない方なのでコトバどおりの意味ですね。
前に行ったときは「開花前」という感じだと言っていただきました。
あれからどんな花が咲いたんだろう。
今回は、全体的に軽くすること。
前髪はまた伸ばそうと思っていること。
短い髪の方が似合っていると言ってくれる人もいて短くしたいなとおもいつつ、まだ先かなと思っていることなどを伝えましたが、基本的にはおまかせです。
この「おまかせ」ってのは、彼のセンスにおまかせというニュアンスとは少しちがくて、私が必要なスタイルに合わせて切って下さるので、ある意味「私がしたい髪」にしてくれるという感じ。
不思議でしょ(笑)
でも行くとわかると思います。
今回のテーマは、私らしさに必要な自由と余白。てな感じ。
髪の毛というのは私たちの細胞でできているわけですが、唯一人間の気分で切ったり変えたりできるもの。
スタイリングという型を持つこともできるけど、枠を作って決めつけてしまうということもできる。
今の私は、自由さが必要なようです。
分け目も流れも自由に。風をいれて心地よくしておけば自然にスタイルになる。
自分の中心を信じ、自分の考えを信じ、内側から自分自身があふれていくようにすればよいという感じ。
役割や作法や型や考えが足りないんじゃなく、自分であることが必要なタイミングのようです。
素直な私の髪。
軽くして風をいれて丁寧に手ぐしをいれたらツヤツヤになりました。
邪魔な髪を切っているのではなく、ほぐしています、と言われました。
切っていくうちに、前のようなやんちゃな雰囲気がでてきましたねとほほえまれました(笑)
無くしていたわけじゃなく少し眠っていた個性。
やんちゃな発言はしてないし、そもそもそんなに会話はないのです。
いちばん大切な個性であり決して抑えてはいけない良さではないですかねと静かに言われるとなんだか力がわいてきます。
私は、何者になろうとしていたんだろう。
いや、違うな。
何者になってはいけないと思っていたのだろう。
色々みえて来たこの頃。