日本語で話そう

2010/01/17(日)16:51

そうは桑名の焼きハマグリ

 このところブログの更新をしていなかった。実は東海道の旅から帰って来てからまた旅に出てしまったのであった。違う世界への旅。妖(あやかし)の世界。畠中恵の「ちんぷんかん」を読んで以来、妖の世界に取り付かれて旅から戻れなくなっていたのであった。本の舞台は江戸時代。東海道五十三次を行く旅人には取り込まれ易い状況にあったのだろう。まあ、本の事はまた後日のブログとして、一時、現(うつつ)の世界に戻って今回の東海道の旅日記を書き終えねば、次回は東海道中最大の難所(私はそう思っている、箱根では無く)の鈴鹿越えに踏み分けて行かれない。東海道2日目は名古屋から桑名まで電車に乗る。「えー、いいの電車に乗って」と言う声が聞こえそうだが、いいのだ。宮(名古屋)の七里の渡しから桑名にある渡しまでは昔も船で渡った。旅人は歩いていないのである。現在船が無い以上、電車に乗ってもかまわないとは先人(例えば先を行くガガーリンさん)の教えだから。桑名の渡し場は去年のうちにringoさん が下見をしておいてくれた。あ、別に私の為ではないけれど・・・。早朝の桑名の渡し場跡は寒々としていた。すぐ側の海辺ではハマグリかアサリの漁をしている船が・・。「桑名の焼きはまぐり!」期待が持てそうと思ったのもつかの間、あまりに早朝のためたくさん並んでいる料理屋がまだ開いてないのだった。東海道「初めの一歩」と歩き出す。後ろは海だから・・。  ここは松坂牛で有名な柿安本店。ここもまだ開店前。「確か四日市に行ったら柿安で松坂牛食べさせてあげるとか言ったよね」と夫に迫るも。「残念だね。開店してなきゃ無理だよね」こうして、タイミング悪くいつも美味しいものは逃げていくのだった。そういえば前泊のホテル、朝食2,500円もするので食べないで出てきた。早く何かお腹に入れなきゃ。500mも行かないうちに東海道は直角に右折した。そして諏訪神社の前をまた直角に左折。ああ、そうか、桑名もまた城下町、曲がりの世界だった。行く手はここをまっすぐ、先が見えている、がしかし、東海道の標識はこの場で曲がれ。  10m曲がって、10m曲がって10m曲がって、写真の先に出てくる。仕方が無い、東海道だから曲がらねば・・・。並びには計量機屋やさん、梵鐘屋さん、表具屋さん、染物屋さん、和菓子屋さん、そして桑名らしく貝の佃煮屋さん。ガラガラと引き戸を開けて店奥に声を掛ける。旅人はハマグリは高いから、せめてもとアサリの佃煮を買ったのだった。重いので夫のリュックサックへ。古い町並みには半鐘もあり、山車(だし)を仕舞ってある山車庫もある。江戸の情緒たっぷりだ。有松の時の様に先手を取られまいと私が言う。「有松みたいに山車を出して置いてくれれば良いのにね」・・・やったね。「そうだね。出し惜しみしないでね」夫が言う。そうは桑名の焼きハマグリとばかりに。敵もさるもの。負けたからじゃないけれど、急におなかが空いて来た。小さな気持ちのよさそうな喫茶店でモーニングサービスの朝食を取る。そこかしこに小さな心遣い。380円。まだまだ旅は続く。そのうち、「四日市まで後何キロ?次の一里塚までは?」といつも人任せで聞いて来る夫が、「もうすぐ一里塚があるよ。次の近鉄の駅まであと15分」などと言う。ははーん。これだ。ところどころに親切な現代の東海道道しるべ。  ふと見ると路地の端に小さな道しるべ。「右いかるが」 ああ、もうこんなところまで歩いてきたんだ。伊勢湾を過ぎれば、奈良も近い。ふと大好きな奈良の方に曲がりたくなる。4斜線の大きな道路に出ると、地図を見ながら、先行く道を考えて道路を左に渡り左側の歩道を歩く。いくらも行かないうちにさっき歩いていた右側に笹井屋という看板を見つけた。「長餅だ!」前日同行のとらのこどもさんに教えてもらった名物長餅。もちろん道路を渡って右側に戻って長餅を所望。お店の中で頂く。店員さんが親切にお茶まで出してくれた。5個入り。餡子がさっぱりしていて美味しい。「お茶も美味しいね。もう1つ食べよ」夫が言う。あれ!もう3個目じゃない?私が娘と母にお土産にしようと残したのに、とは思ったものの、言わない、言わない。昨夜ホテルで友人にもらった餡麩三喜羅3個の内2個食べたのは私だから。四日市に近づいているのは分る。遠く海のほうには高い煙突がモクモクと煙を吐いているのが見えるから。だけど、東海道には人っ子一人歩いていない。どうして?まるで真夏の昼下がりのように。真冬の昼下がりかな。寒いから?やっと四日市に着くとお腹はペコペコ。もう2時を過ぎている。どこで食べよう。そうこうしているうちに東海道はアーケードの中に入っていく。そして食べたものはこれ。また、北インド、ネパールカレー。前回の有松とまったく同じ展開。東海道進んで来ても、我ら全然進歩無し。「おかしいな、今度は匂いがしなかったから、匂いに釣られたわけではないのにね。」夫が言う。そしてまだまだ着かない目的地。本当はこの日にせめて石薬師ぐらいまでは進んでおかないと、次の鈴鹿越えが辛いのだ。鈴鹿は電車の路線から外れ、バスも無い。途中ホテルも無い。しかし、とてもそこまでは行かれないことがわかった。冬の日はつるべ落とし。すぐ暮れる。そして、桑名から四日市、四日市からがまたなんと長いことか。  やっと伊勢神宮に向かう伊勢路との追分に至った。此処からは日没との勝負、とはいえ、名古屋からの帰りの新幹線は6時の切符を買ってある。時間になったらどこかの駅から飛び乗れるよう。地図を握り締め、途中の駅で電車の時間を確かめる。まだ行ったことの無い、この先どのくらいのところにあるか分らない駅とそこを発車する時間を頭で計算しながらただひたすら歩いた。冗談も言わず、モクモクと歩いた。電車に乗った駅の名は「内部」なにやら昔風の名前を持った駅だった。次からは此処から旅を始める駅。もちろん帰りの新幹線の中では桑名で食べられなかった柿安の牛肉弁当をしっかり名古屋で買って食べたのだった。   

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