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カテゴリ:日本語で話そう
以前、日本語ボランティアは子供クラスでも教えていた。日本語を習うのは何も外国人ばかりではなかった。 日本語を習う理由もさまざまざ。日本で生きていくために日本語を急いで習わなければならない切羽詰まった子供達には教室での他に自宅で補習授業、受験のための日本語を、受験英語、理科、国語、社会まで教えた。 昔、日本人の男性がフィリピンで結婚しておいてきた子供で日本語を話せない子供達が日本の父の元にやって来た。 その子たちの国籍は日本。 あっちの学校でどんなに優秀でも、日本の高校、大学に入るのには日本人と同じ試験を受けなくてはならない。日本語による設問に日本語で回答する。 彼らは留学生枠は使えない。日本国籍だから。親の転勤などで外国にいたわけではないので一度日本の中学、高校に席を置いてしまうと当時、帰国子女枠はなかなか使えなかった。 日本人になってしまったから。 ほとんどの彼らは親の資金不足で英語で受けられる私立のわずかな帰国子女枠も受けられない。 頭が良くてどんどん日本語は上手になっても、理科や数学の設問の日本語は難しい。日本の歴史なんてさらさら難しい。古典も覚えるの? 教えていて、日本の政府に腹が立ったものである。 日本での進学を諦め、再び日本にいる家族と別れ単身あちらの大学に入るために戻って行った子がいた。10年も前の話。5年ほどfacebookや手紙で交流しながら彼女の生活を見届けていたが、突然音信不通になった。 その彼女から母の日の前日、メッセンジャーでメッセージをもらった。「先生お元気ですか。いま日本に帰っています。明日母の日です。ランチをご馳走したいので会えますか?」英語でそう書いて有った。 10年ぶりに会ったルミちゃんは懐かしそうにはにかむ姿も変わらなかった。「先生に送ってもらった教科書でずっと勉強していた」という日本語で会話した。聞けば、フィリピンの大学を卒業してカナダで働き、2週間前に来日してこれからは日本にある会社で人事の仕事をするんだそうだ。 母の日のケーキとカーネーションのアレンジしたのを貰った。そっちも嬉しかったけれど、10年もずっと覚えていてくれて連絡くれたことの方が嬉しかった。 写真はカーネーションでは無くオダマキ。 西洋オダマキ posted by (C)灰色ウサギ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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