プロパガンダの天才だったヒットラーは『我が闘争』で「いかなる宣伝も大衆の好まれるものでなければならず、その知的水準は宣伝の対象相手となる大衆のうち最低レベルの人々が理解できるように調整されねばならない」と言っている。小泉政権が行なった愚民操作(B層をターゲット)はまさにこの考え方を採り入れたものであろう。
(B層:http://plaza.rakuten.co.jp/nihonseiji/diary/200611130000/)
さらにヒットラーは「大衆の圧倒的多数は、肯定か否定か、正義か悪かといった感情的な感覚で考え行動するので、全ての効果的な宣伝は要点をできるだけしぼりスローガンのように継続しなければならない」とも述べている。昨年の郵政選挙で「郵政民営化是か非か」とワンフレーズで国民に何度も問いかけた小泉の宣伝手法そのものである。
ヒットラーと同じように小泉はプロパガンダの意味や効用を理解し、自らの能力を駆使して権力の座に就いた。そして国民の不満を上手く吸収し自らの支持に結びつけることに成功した。またヒトラーは潔癖で決して嘘をつかなかったことが民衆の支持を得る要因にもなったそうだが、小泉もまたスキャンダルには一切縁が無かった。
ところで小泉の演説にはある種の狂気が漂っており、彼の言葉を理解するためには国民も少し狂わないといけない。そして少し狂うことによる”心地よさ”によって国民は感化され熱狂した。一方少しも狂うことができなかった郵政造反組は彼と決別した。さて自らを「闘う政治家」という安部晋三の『我が闘争』は如何なるものか?
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