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虹色のパレット

6.あこちゃん

6.あこちゃん

あこちゃんは、綺麗におかっぱの髪を揃えた日本人形みたいに、何時も静かに座っている。でも、目が会うと、嬉しそうにニコニコと微笑んでくれる。だから、私はそれ以上なにも強制するようなことはしなかった。

 一年生の初めての授業参観の後のことだった。あこちゃんのお母さんが心配そうに私のところにやってきた。
「先生、うちの子の様子見てたんですけどねぇ・・・。何も言わないで黙って座っているだけなんですね。仲良しのAちゃんとかKさんとか、みんな凄く活発でしょ。どんどん手を挙げるし・・・。それに比べるとうちの子は何であんななんでしょうね・・・。」
私は、「それなんですよね、私が苦しめられたのは!」と自分の子どもの頃の事を思い出していた。
「先生やうちの人に良くそう言われたっけな。その度に、今度こそ手を挙げよう。今度こそ思ったことをはっきり言おう。今度こそ活発な大きな声で、発言しようと何度思って、何度失望したことか。ただただ自信をなくし、自己嫌悪、自己否定にまでエスカレートしていってどんなに苦しい思いをしたことか。」

私は、あこちゃんのお母さんに言った。
「お母さん、お子さんによってみんな違うんですよね。活発に発言するような子もいれば、あこちゃんみたいに聞くことが得意な子もいるんですよね。どちらがいいっていうことではないんです。活発で喋らなければいられない子に、黙りなさいと言っても中々そう訳には行かないし、静かに人の話をよく聞いている子に、喋りなさいと言っても、それもまた本人にとっては辛いことです。それぞれ、個性もありますし発達段階も違いますし・・・。誰に比べて活発じゃないから駄目だと決め付けてしまわないで、もう少し様子を見てあげましょうよ。」
「そうですね。先生の仰る通りかも知れませんね。別に悪いことしてるわけじゃないし、人様にご迷惑かけているわけでもないし・・・。そういわれてみると、私もあんなだったかもしれませんね・・・・。」

「実は、何故私がこんなこと言うかって言いますとね、私、子どもの頃、本当にあこちゃんみたいに何も言えなかったんですよ。凄く引っ込み思案だったんですよ。その度に、手を挙げなさい。○○さんはずいぶん良く手を挙げるのに、どうしてお前は・・・。駄目だね。今度から、大きな声で活発に発言しなさいなんて言われて、ずいぶん自信をなくしたものです。」
「ええっ、先生がですか? とても信じられませんけど、本当ですか?」
「そんなことを話すと皆さんそう仰ってびっくりなさるんですけど、人生どこかで出会いがあったり、出来事があったり、自分自身の内から何かが盛り上がってきたり、いろいろな事が関わり合うって、人は変わり成長していくんじゃないですか。私自身まだまだ未熟ですぐに失敗したり行き詰ったりしてしまうんですが、いつの間にか、自分の言いたいことが言えるようになってきました。」
「本当にそうですね。先の事は分からないのに、焦ったり、勝手に親が決め付けたりして、ああしなさいこうしなさいって言ったって、子どもには子どものやり方っていうか、生き方っていうかそういうものが有るんですよね・・・・。先生、良く分かりました。他の子と比べるんじゃなくって、ます、この子をこの子として見守ってあげる事が大切なんですね。お忙しいところをありがとう御座いました。」

「時々学校での様子もお母さんにお知らせします。私は、お母さんがあこちゃん全体の姿をお知りになった方がいいのではと思ってお知らせするだけですよ。先生がこう仰ってたけど、そんなことじゃあ駄目じゃない!とか子どもを叱る材料にしないで下さいね。もしそうなら、お母さんと私の間にそう言う共通理解が成り立っていなければ、寧ろ、お知らせしない方がいいですけど・・・。」
「先生のお考えは良く分かりました。先生がこう仰ったからこうだって言うんじゃなくて、学校ではそんなんだな、そう言う事があったんだなと思いながら、私の立場でこの子を見ていくようにします。」
あこちゃんのお母さんは、そう仰ってから、丁寧にお辞儀をして帰られた。

「お母さん方って素晴らしいなぁ。ほんのちょっと話すだけですぐに分かってくれるんだから。」
それは、お母さん方と話した後何時も思うことだ。それに、皆さん、それぞれに色々な経験も深く,人間的にも幅のある方たちばかりだ。未熟な私をかばって下る事も度々ある。お母さん方から教えられる事も沢山ある。
ここでも、「教え、教えられ。育て、育てられ。」しながら関係が発展していく。自分に学ぼうと言う気持さえあれば、何処でも教育の場となる。

次の日、あこちゃんに、
「あこちゃんのお母さん、いいお母さんね。優しいでしょう。」
と言うと、あこちゃんは、嬉しそうな目をして、
「そう。あたしね、お母さん大好きなの。」
と小さな声で答えてくれた。

自分のお母さんを褒められた時の子どもの顔を私は大好きだ。どの子もくすぐったいような、恥ずかしいような、何とも言えない嬉しそうな顔をするのだ。その顔を見ながら、
「子どもにとって、お母さんて大切な人なんだなぁ。」
と思わずにはいられない。

あこちゃんに、声が小さいから大きい声を出しなさいという代わりに、私があこちゃんの近くに行って話をする。
「あこちゃん、昨日は何したの?」
「きのう? 何したっけなー。あっ、そう、お母さんとね、お買い物にね、行ったの。」
正に蚊の泣くような声だけれど、はっきり話す事ができるのだから、心配ないと私は思って、なるべく私から話し掛けるようにする。
授業中も、あこちゃんが内緒話みたいな声で発表すると、
「どのくらい静かになれば、あこちゃんのこえがきこえるかな。あこちゃんもう一回いってみて。」
とか言ったりすると、教室中がシーンとなって、あの小さい声でも結構聞こえるのもだと言うことを、子ども達と一緒に発見して喜んだりしている。そうして、そういう瞬間を捉えて、
「それじゃあ、あこちゃんがどれくらい大きい声で言えば、ずーっと後ろの方の人にも良く聞こえるのかな。」
とかちょっと言ってみる。あこちゃんは、今度は、自分からほんの少し、でもあこちゃんに取ったら凄く大きい声で、もう一回答えを言うのだ。すると、子ども達は、
「そんくらいの声だったらいい。」
「こんどは良く聞こえた。」
ちょっとおませな子は、
「へー、あこちゃんにも大きな声出せるんだね。ぼくびっくりしちゃった。」
とか始まって、あこちゃんは、嬉しそうな顔をして席に座ってニコニコするのだ。


認め合うって素敵な事。そこから全てが始まる。子どもと教師、子どもと子ども、子どもと親、親と教師。お互いをそのままで認め合う。
「そんことことじゃあ駄目ね。」
とネガティブな言葉を送られて、ありのままの自分を否定され、どうして伸びて行けるだろう。
「そのままのあなた、ありのままの君って素晴らしいね。」
と言われたら、伸びないわけには行かない。暖かい太陽の光を浴びる植物のように!!


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