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虹色のパレット

虹色のパレット

8.見栄え教育

8.見栄え教育

 例えば、職員会議がある。
 区の健康教育研究協力校という様なのに指定されて、先生方は張りきっておられる。会議は、体育の研究授業にはどんな教材を選ぶかと言うようなテーマで進んで行く。司会が、
「校長先生は、如何ですか?」
なんて言うと、コックリ、コックリやっていた校長先生は、びっくりしたように目をしょぼしょぼさせて、
「ええ、いいでしょう。先生方がいいようにして下さいよ。」
なんて仰ってまた黙る。
「やっぱり、子ども達が一番動くのは、ボール運動ですよ。」
「確かに、難しい教材かもしれませんが、子どもは生き生きとしますね。」
「それだけ遣り甲斐が有るっていうもんじゃないでしょうか。」
会議はまともに進んで行く。私は、
「やっぱり、先生なんだな。色々有っても、子ども達の事考えているんだな。」
と思って、私も生き生きしてくる。

 そんなふうに、何回か話し合いが持たれ、それでは、いよいよ今日は決定して、本格的な準備に取り掛かろうと言う日の会議。
「大体、ご意見も出尽くしたようです。校長先生、今までの経過でお分かりの事と思いますが、先生方の意向としては、研究授業の教材は、ボール運動という事なんですが、校長先生は、如何でしょう。」
という事になる。私は、
「校長先生は、話し合いの随分先のほうで、先生方のいいようにと仰こだから、これで決まりだな。でも、やっぱり、上の人に最終決定をして頂くのが、道筋であり礼儀なんだろうな。」
と思いながら、校長先生の決定を待っていた。
「まあ、皆さん、毎日遅くまでご苦労様です。えー、ずっと聞いてたんですがねぇ・・・、皆さん色々ご意見もお有りのようですが・・・。どうでしょうね、ボール運動というのは、難しいんじゃあないですか?」
鼻眼鏡の上目遣いで、みんなを見渡す。私は一瞬、
「えっ?どういう事?」
とびっくりして、自分の耳を疑った。
「困りますよう、ボール運動でさぁ、子どもが興奮してしまとまりがつかなくなったりしてさぁ・・・。それに、ボール運動って難しい割には見栄えがしないんですよぉ。せっかく先生方が、苦労して指導しても、子どもが蜘蛛の子を散らしたように勝手に動かれたんじゃ、研究授業としてどうでしょうね。」
私は、
「何を今頃校長先生は仰ってるんですか。」
と今にも言いそうになる。でも、今まで中心になって話を勧めてこられて先生や、他のベテランの先生も誰も何も言わないとい。とにかく、校長先生の意向を最後まで聞こうという訳なのかな、と思いながらカッカする心を抑えて黙って聞いていた。
 それでも、校長先生も流石に言い難いという様子を隠しきれないで、言い淀みながら続けられた。
「まあ・・・、色々やってみるのもいいんですが・・・・。ボール運動に比べたら機械運動は見栄えがしますよ。こう、子どもがさ、真っ白い体育着に、赤白帽を被って先生の笛の合図で、ピッ、ピッっと動く様子は、見ていても気持がいいですよ。先生方の指導の効果も一目瞭然ですよ。」
例の老眼鏡の鼻眼鏡越しに上目遣いに先生方の同意を求めるように一同を見回しながら、下る最終決定のお言葉・・・・。もう誰もが、予想していた。
「どうだい、機械運動ということにしようや。どうですか、そういうことで。」
「だって、校長先生、今までずうっとみんなボール運動って言う事で話し合ってきたんですよ。先生方は皆さん、そのおつもりで、時間を掛けて話し合ってきたんですよ。」
私は、あまりのめちゃくちゃに、もう自分を抑えることは出来なくなって、司会の進行も待たずに思わず言ってしまった。そして、
「先生方、そうじゃなかったんですか?」
と、先生方を見回した。すると司会の先生は、そんな事は無視して、
「えー、色々ご意見もあるかと思いますが、校長先生のご意向は、機械運動と言う事ですが、皆さん如何ですか?」
「結構です。」
「校長先生がそう仰るんでしたら異議有りません。」
「賛成多数のようですから、研究授業の教材は、機械運動ということに決まりました。」

私は、余りの事に、ただ呆然とするだけだった。
「ああ、こういう絵に描いたような、めちゃくちゃな、強引な、不合理な事が起こるんだな・・・。これが現実と言うものなのか・・・。」
私は自分が腑抜けになった様な気がした。
「ご無理ごもっとも。」
ああ、この国際化を目指しているはずのの日本社会にこの伝統はしっかりと根を張っているんだ。

 「先生、何時までもこだわっていても仕方が無いわよ。校長先生がそう仰るんだから、それに逆らったら損よ。それに、あの先生は、機械運動が得意だから、やはりご自分の得意なものだと遣り易いんじゃない。本当に、ボール運動は校長先生の仰るように難しいわよ。」

 「長い物には巻かれろ。」
手のひらを返したような変身術。保身術。淀んだ、しかし、ときに小ずるく光る目。私には到底習得できない術だ。

 余りの事に、私は、なんだか伸しイカみたいにぺしゃんこになって、もう、怒る事も膨らむ事も出来ないで、暗くなりかけた道をバス停に向かった。


教室では、子ども達に、
「言いたい事ははっきり言いなさい。それに対して反対の人もいれば、賛成の人もいるでしょうけど、そこから話し合いって始まるでしょ。」 とか、
「先生が言った事でも、もし変だな可笑しいなということがあったら、例え、そてが先生であってもはっきり言って下さい。先生も気がつかないで、皆さんに言ってもらって、これは先生が間違ってましたね、とか、いいえそんなこと言ってません、先生の言っている事はこう言う事ですとか言えるでしょう。」
なんて言いながら、盛んに言われていた民主的学級運営を子ども達とすすめていながら、自分たちの会議では、平然として、このような不合理が通ってしまう。
「子どもの世界と大人の世界場また別よ。現実は、そう理想通りには行かないわよ。いろいろ思うように行かない事だって有るものよ。そういう事が分かるには経験を積むより他無いわね。」

裏表のある文化。建前と本音の文化。理想と現実が切断されている、繋がっていない文化。哲学の無い文化。その時の状況でコロコロ変わる文化。
「そうかなー。」と言う憤りにも似た強い反発と、「そうかも知れ無い。」というぼんやりした不安と、「これでいいのかなー。」という疑問と。

 混乱を深めながら、しかし、教室に行って子ども達との関わりが始まると、
「先生にとって一番大事なのは子どもなんだから、頑張らなくては!」
という気持ちが盛り返してくる。

 先生になって一年もしないうちから、「理想と現実」の間で、先生でいることに不安を感じ始めていた。しかし、それは自分の経験の無さ、社会人としての未熟さから来るのかもしれない。もっと現実を踏まえた強い先生にならなければと思い頑張る。そういう私の思いは、子ども達によって支えられていた事は言うまでも無い。いくら理想に燃えていても、先生を辞めてしまえば何にもならない。もう子ども達と発展し合っていく事も出来なくなってしまう。そんな思いで、四年弱私は頑張った。

 しかし、そう思えば思うほど、頑張れば頑張るほど、私は引き裂かれ、どうにもならない深みにぐんぐん落ち込んでいくばかりだった。これは小、中、高、そして、大学の前半まで私を苦しめていた状況と同じだった。しっかり遣ろうと思えば思うほど、頑張らなければと焦れば焦るほど、自分がしようと思うこと、したいことが出来なくなっていく。そう言う出口の無いジレンマ。

★「前例が無い。」怠惰な事なかれ主義の蔓延。毎日が前例の無い新しい日なのに!!

★「出る杭は打たれる。」井の中の蛙の足の引っ張り合い。画一教育。

★「見た目に美しい、見栄えがする。」中身はどうあれの上げ底、過剰包装文化。
  目の前であからさまに起こった教育委員会の目のみを気にした見栄え教育。
  保身、保身。自分さえよければ。小さく固まった、小ずるい保身術。

 日本文化の素晴らしいところを失いながら、ネガティブなところだけが、どろどろと陰湿にしぶとく生息している一見豊かに見える物に溢れた社会。見栄えの上げ底、過剰包装社会。素晴らしいもの、事、文化を保存して行くには、どんなにかポジティブなエネルギーが必要な事か。でも悪いことは何もしなくてもはびこる。むしろ、日々新たな毎日、変わらない、何もしないというとがすでに問題なのだ。

 私の経験は、日本ではもう古臭い事になっていると思っていたら、問題の種は成長して、今、もっとひどい事になっているようなので、心が痛む。今、教育の危機を共に考えていきたいとアメリカ流率直さで、書き足したた部分もあるが、こういうのって、日本では嫌われるかなと思いながら、やっぱり書かずにはいられない。何もしないことは自分も共犯者。

教師の目が光を失った時、子どもの目は輝くだろうか!!

 保身のための見栄え教育は、その時、未熟では有るが、真面目で希望に燃える若い教師の芽を摘み取り、目の輝きを奪ばおうとしていたのだ。そうして、その後もずっとそうしてきたから、今、日本の教育界は停滞し、むしろ、どうしていいか分からない程の大混乱の中で方向さえ失っているのだ。


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