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虹色のパレット

10. たった一度の人生だから

10.たった一度の人生だから 


もしも教師の目が輝いていなかったら・・・ きっと子どもの目も輝かないだろう。

 心理劇と出会い、今を体験し、尊重される事から育ち始めた自発性が、自発性の芽が、今、再び摘み取られようとしている。

 心理劇と出会う前の私なら、「仕方が無い、皆そうなんだから。」と初めから諦めて、じっと耐え、自分を殺し、従順で真面目な先生として結構旨くやっていけたかもしれない。そして、内部では相変わらず、不安や焦燥、自己嫌悪や劣等感を深めながら、私は満たされない日々を送っていたに違いない。勿論、そんな私であれば、子ども達とも、瞳と瞳が輝き合うこんなに発展的な、生き生きとした関わりを持つ事は出来なかっただろう。
 しかし、いったん芽生えた自発性の芽は、どんな力を持ってしても誰も摘み取る事は出来なかった。何故なら、地球を持ち上げる程の自発性から溢れる喜び、それがどんなに素晴らしいことであるか知ってしまった私から、あの体験のあの瞬間を消す事は出来ないから!

 私が、「これでいのかな。」と微かに先生でいることに不安を感じ始めたのは、緊張した心待ちで、朝礼台の上から新任の挨拶をしたその年、すっきりとした青空が、コンクリートの運動場の上にも広がり始め、学校中が運動会の準備で忙しく活発に動き回っている頃だった。
 私が膨らめていた理想の風船玉に現実という鋭い爪があけた小さな穴から、空気が漏れるシューシューという音を聞き始めたのだ。
「現実って、こんなものよ。」
と経験豊かな先輩の先生方が差し出して下さる現実風船に切り替える時期だったのかも知れない。私のちっぽけな理想の風船玉から漏る空気をそのまま、差し出された現実という風船に入れ替えていきさえすれば良かったのだ。そして、もし私にそうする事が出来たら、それは、それなりに悪い事ではなかったかも知れない。

 ところが、私はそうしなかった。私にはそう出来なかった。
 私は、空気が漏る穴を見つけては、不器用な手つきで修理を始めたのだ。瞬く間に私の風船玉は継ぎ接ぎだらけのみっともない姿になってしまった。でも、どんなにみっともない姿になっても、私は、私の理想という空気を逃がしはしなかったのだから、私は苦しくても、いやな事があってもいつも満たされていた。修理するまでの間に失った空気は、子ども達との関わりによって生まれる発展的な空気が補ってくれた。
 でも、いつまでもこうして継ぎを当て続けてもいられないだろう。こんなに私の理想という風船玉が引き裂かれ、穴だらけにされるという事はどう言う事なのだろう。私は考えてみた。自分の人生について、それまでに一度も無かったほど真剣に考えてみた。これは私にとって本当に理想の風船なのだろうか・・・。どこかに何かを置き忘れてはこなかっただろうか・・・と。


(12/10/06 更新)

 「今」とは、過去と未来の接点にある瞬間だ。過去からも、未来からも、すっかり切り離された「今」という時はない。
 楽しかった過去でも、そして、それがもう二度と返る事がないないとしても、また、思い出したくない嫌な過去でも、それをもう再び変える事が出来ないとしても、ときに振り返ってみると、それらの過去が、「今」の真っ只中で活動していた時には、見えなかったり気が付かなかったりしたことが、今、ここにいる自分にとって、新しい状況として見えてくることもある。
 私は、先ず過ぎ去った時の中に、嬉しかったこと、楽しかったことを探してみた。
 
 先生や家族に褒められたこと。友達と暗くなるまで遊び回ったこと。本を読んで感動の涙で幾度となく頬を濡らしたこと。運動会や遠足。家族旅行。お正月やお盆。お祭り・・・。

 夜空の星のようにキラキラと輝く、これらの楽しい思い出の中で、ひときは大きく強く輝いているのは、絵を描いている自分の姿だった。
 とりわけ、田舎の小学校での図工は楽しかった。家族が畑で働く様子を描いて、品評会で金賞に輝いたこと。屋根の上から、たわわに実った柿木のある景色を写生したこと。川に水がなくて、サトイモの葉にたまった朝露を集めて仕上げた山の畑の水彩画。友達の顔。家族の顔。身近な自然の材料を使っての工作。写生大会や図画コンクール・・・。

 あんなに楽しく生き生きした時間だったのに、五年生で町の学校に転校した頃から中学生の頃にかけてだんだん色あせていく。勉強とか塾問いか言うものがそれに取って代わっていくのに気付く。そして、高校のところでぷっつりと切れている。
 高校では美術を取りたかったけど、受験クラスで取れなくて、「仕方がない。」と諦めた自分と出会う。

 しかし、それは余りにも遠すぎる過去ではないか。それに、果たして引き返して取りに行こうというほど、はっきりした大切な忘れ物なのか私には自信がなかった。いくらなんでもこれから絵をやろうなんて、余りに現実離れしすぎている。馬鹿げたことを考えるのはよそう。そんなふうに思って、諦めようとすると、嫌だった過去が、苦しかった過去が私を占領し始める。
 こうしようと思ってもすこしも出来ない自分。仕方がないと諦め続けている自分。何かを求めているのに、それが何なのかはっきりしないぐずぐずした自分。「こんなことでは駄目だなー。こんな自分は嫌だなー。」と自己否定する自分。不安と劣等化の中で悶々と過ごした日々。そんなものの全てを隠してくれる勉強という隠れ蓑。勉強さえ出来れば問題なし。本当は、それより持った大切な事で、子ども達は悩み苦しんでいるのに・・・。

「ああ、嫌だ、嫌だ! 諦めて再びそんな人生を送るなんて!たった一度の人生を諦め続けて送るなんて!!(12/06更新)

今、自分が何かしなければ何も変わらない。「今・ここで・新しく」自分が行動しなければ、何も変わらない。発展していかない。
 遅すぎるという事はあるのだろうか。人生においてある決断を下すのに、一番良い時期とはいったい何時なのだろうか。昨日では早過ぎたのだろう。だから、私は、諦めたのだろう。そして、明日では、もっと遅くなるだけだ。
「ああ、あの時こうすれば良かった。」と思ったときのやり場のない、行き場のない不安。焦燥。後悔の念。
「動いて良かった。」「やって良かった。」と思った時の、晴れやかな今を満たす喜び。
 
 今、ここで、新しく発見した自分を育てて行くために、今、ここで、新しく行動していく。悔いの無い人生を自発的に生きる為には、こうする事より他に方法があるだろうか。

 私は、過去のある時に引き返すのでも、昔、自分がしたいと思ったけど出来なかったことをやろうとしているのでもなく、今、私がやりたい、やってみたいと思うことを、今、ここで、新しく始めるのだ。

 そして、何時だって、決心するのは簡単だ。今日、決心して、そして、明日から始めればよいことだ。しかし、私は、もうそんな回転木馬に乗って、決して来ない明日を待ち続けたりはしなかった。

「たった一度の人生だから、力いっぱい、自分の思うとおりに生きてみよう。」

私は、そのときすでに出発していた。(12・28・08更新)



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