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虹色のパレット

15.外国の土

15.外国の土

 1971年の夏。私は、初めて外国の土を踏んだ。
 まず、ハワイで入国を済ませたが、その時は、夜だったので何も見えず、周りには日本人が多かったし、外国という実感も余り湧いてはこなかった。
 でも、「もうすぐサンフランシスコ空港です。」という機内アナウンスがあり、海と空と雲ばかりだった視界に遠く遥かにアメリカ大陸が見えてきたときは、さすがにに興奮を抑えきれなかった。太平洋の向こうにある筈のアメリカ大陸が、今、目の前にゆったりと横たわっている。ジェット機が高度を下げ始め、空港がぐんぐん近づいて来た。建物が、家々が、そして、車や人々が小さく小さく動いている。アメリカの大地が、今、眼下に迫り、そこにも、人々が平然と仕事をし生活をしている。「ガタン!」と言う軽い衝撃が伝わって、私は、アメリカの大地に降り立ったのだ。それは、感動の一瞬だった。

 サンフランシスコからロスアンゼルスまで国内線で一時間くらい。そこから、手配されていたチャーターバスで、4~50分もすると、ウエストウッドと言う静かな街に着いた。宿舎は、UCLAのキャンバスに近い、ラ・マンチャと言うUCLAの学生寮だった。当時の日本の大学の寮とは比べ物にならないほど、豪華に見え、さすが、アメリカと感動したものだった。
 英会話のクラスは、素人まがいのアメリカ人教師が気のなさそうに教えるだけで、たいしたことはなかった。むしろ、みんな、UCLAの学生たちとの交流やショッピング、サンタ・モニカビーチなどでカリフォルニアの夏を楽しんでいたようだった。私も、英会話のクラスが初めから目的ではなかったので、むしろ、そのほうが気楽でよかった。
 はじめは、ラ・マンチャの生活やその周辺の探索でさえも、すべてが珍しく新鮮で面白かった。そのうちに、ディズニー・ランドやナッツ・ベリー・ファーム、ハリーウッドなどのオプショナルツアーやホーム・ステイなどもあり結構楽しく過ごしていた。
 新しい土地にも、文化にもだんだん慣れて来るに従って、私も、K先生あから伺っていた、ラ・シェナガという画廊街に足を運んだり、ダウンタウンに行ったり探索の範囲を広めていった。しかし、なんと言っても、ロスは車なしではお手上げだ。そこは、幅広いフリーウエーが縦横に走っている車天国。砂漠の中まで広く広く広がっただだっ広い街だった。







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