2013/03/11(月)21:56
守られた命を十分に使い切って生きたいと思います。
2年前の東日本大震災の日のことをブログに次のように書いていました。
http://plaza.rakuten.co.jp/nijimigoto/diary/201103120000/
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震度7の栗原市の高速道路で地震に遭いました。
帰り道、命拾いの体験をして、家に帰ってきました。
前を走っていたトラックが止まったので
右車線に移り、その時左車線を見たら、大きく陥没していました。
暗い中、トラックがよく陥没を発見して手前で止まってくれたと感謝しました。
トラックが陥没を見落として、走行していたら
私たち夫婦は死者の中に連なっていたと思います。
私たちの車が先に走っていたら
トラックも巻き込んで事故に遭っていたと思います。
私たち夫婦は死者の中に連なっていたと思います。
トラックは、そこに止まって、警察に電話をしてくれたようです。
その後、私たちの後ろを走行して来ませんでしたから。
トラックの運転手さん、ありがとうございます。
橋はどこも段差があり、そこはゆっくり通過して来ました。
橋にかかる度、不安でした。
渡れるだろうか?
渡り切るまで大丈夫だろうか?
鴨居が倒れて道路をふさいでいたり
他にも陥没していて、片道車線しか通過出来ないところもありました。
携帯電話がなかなか通じない中不思議と
2人の息子たちからの電話が通じました。
家に着いてみると
家の中は、転倒物ゼロで棚から落ちたものは花と米びつ位でした。
水道は大丈夫でした。今(13日)電気が通りました。
これから、祈る気持ちで安否確認をします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・ここまで。
この日は東松島の簡保に行くか一関の簡保に行くか迷った挙句
蟹食べ放題&飲み放題の一関に決めたのでした。
東松島に決めていたら、私たちの命は無かったかも知れません。
守られた命を十分に使い切って生きたいと思います。