喫 茶 去

2011/10/31(月)14:52

「観覧車・・・」の真実は

一週間前に、栗木京子さんの「観覧車回れよ回れ想ひ出は君は一日(ひとひ)我には一生(ひとよ)」という短歌をブログに載せましたが、この歌に出会ったのは1995年の新聞で16年前になります。切り抜きをしたほど気になった歌でした。 私はデートで男性と観覧車に乗った経験がないから、自分の恋の思い出と重ねてるわけではないですよ。ただ、淡い切ない女心として気持ちはわかるなぁと。 で、短歌の勉強をするなら教育テレビ(最近はEテレと呼ぶんですか?)の短歌の番組を見てみようと、昨日朝6時からの「NHK短歌」を録画したんです。 それをさきほど見てみると、画面に「観覧車回れよ回れ想ひ出は君は一日我には一生」が映す出されてビックリしました。 そしてなんと作者の栗木さんが登場し、この歌を作った経緯を話し出したのです。 「シンクロニシティ」という言葉がありますが、「意味のある偶然の一致」のことで、日本語訳では「共時性」というらしいですが、こういう偶然も「シンクロニシティ」と言っていいのでしょうか? まあ、それはさておき、16年前に俵万智さん解説で載ったこの歌を、万智さんはどう書いていたか抜粋してみます。 終わりがまた始まりとなって回りつづける観覧車。それを見つめる作者の目には、二人の時間を封じ込めたいという願いが感じられる。                      (略)            限られた今日という日であることを忘れて、二人の時間に没頭しようとしている。「回れよ回れ」という勢いのある表現からは、せめて今日一日は、せいいっぱい彼との時間を充実しきりたい、という切実な思いが伝わってくる。 片思いをしてる相手との初デート、ふられたかもしれないけれど大切な思い出なのだろうと、私は解釈していました。 しかし、栗木さんご本人曰く、 当時20歳の学生で、理学部のゼミの仲間と遊園地に行った時のことで、恋に恋する感じでした。 「切実な歌でしょう」とよく言われるけれど、ものすごく切実な恋の歌ではないです。 淡い恋はしていたけれども、自分の中のもう一人の私にあげた歌です。 男性が圧倒的に多い理学部の男たちは、女子大のきれいな子と一緒になる人が多く、取り残された青春だった。 真相を知ると面白いものですね。読む人は好き勝手に都合よく解釈しますから。 ゼミの仲間みんなで行った遊園地だったんですね。 でもきっと、4人乗りの観覧車の中には恋してる相手もいたのでしょう。 詠んだ背景を本人が注釈としてつけないかぎり、真実はわからないものですね。 体験していないことを空想で詠むことだってできるわけだし。 偉人たちが残した膨大な歌も、本人の気持ちとは全く関係ない解釈・評論をされて、教科書に載っているのでしょうね。

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