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2011.12.22
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カテゴリ:本・読書
「白船来航」って知ってますか?  


黒船」はあまりにも有名ですが、白いペンキで塗りたくられた「白船」も日本を脅かしていた事があったことを、西尾幹二の『国民の歴史・下』を読んで初めて知りました。1908年(明治41年)のことです。



日本が日露戦争で勝った直後に、日本の連合艦隊の2倍の規模もあるアメリカ大西洋艦隊16隻の戦艦が、大挙して日本にやって来ました。


アメリカの目的地は大西洋から出てサンフランシスコのはずだったのに、出航当時はまだ世界一周航海であることを伏せていて、突如、世界一周と発表したので、日本は恐怖におののいたそうです。





当時のアメリカは人種差別が激しく、カルフォルニアには大量の中国人移民がいて、信用できない不道徳な労働者として嫌われ、1882年に中国人の移民は禁止されました。


その後に移住した日本人は不運なことに、中国人に似ているものだから、黄色人種は劣った種の生き物というレッテルを貼られ、アメリカ人からものすごいバッシングにあっていました。


ちなみに日本人で最初に移民したのは、戊辰戦争で行き場を失った会津藩士だと言われています。


とにかく昔から欧米人の人種差別というのは根深く、残酷であるからこそユダヤ人を迫害し、日本に原爆を落とし大量殺人を犯しても罪の意識を持たない国ですよね。ルーズべルト大統領の人種差別感情は特別凄かったらしい。


自由とか正義とか人道とか綺麗ごと言ってるアメリカだけど、やってる戦争は本当は残酷ですから。




日露戦争で白人のロシア帝国をやっつけたりしてしまった黄色人種の日本人は、アメリカ人にとっては恐ろしい人種としか思えなかったのでしょう。


今度は日本の兵隊が大挙して押し寄せてくることは確実と新聞が書きたてて国民を煽り、カルフォルニアでは反日感情から排斥感情へと変わって行きます。


日露戦争はかろうじて勝ったものの、戦費の多くをイギリスやアメリカの援助で賄っていた日本なのだから、疲労困憊してたわけですよ。


こんな状態でアメリカに反米感情を持つわけがないのに、アメリカは勝手に興奮して敵意を持つようになり、日本を仮想敵国にしたてあげます。



あの昭和の戦争が起きた理由の一つが、日本人に対する人種差別であることは知られていますが、アメリカが先に日本に敵対心を持ったわけです。


で、このままにしておくと、バルチック艦隊をやっつけた日本艦隊に太平洋の覇権を握られことを恐れて、16隻の白い戦艦で威嚇しに来たわけです。


一応、演習と称して世界中の港に寄港し、各国にアメリカ海軍力を誇示して回ったんですが。



しかしアメリカの新聞各社は、アメリカの戦艦を日本が撃った場合、大戦争が始まるということを世界に恐怖の報道を流したたため、フランスのジャーナリストは日米戦争は避けられないかのごとく報じたり、アメリカに負けたスペインの貴族や資本家からは、日本に軍資金の援助をする申し立てがあったりしたのだとか。



日本は心底驚き、怯えました。


そこでどうしたかというと・・・・・


アメリカでは明日にでも日本軍が攻めてくるというキャンペーンが繰り広げられていたので、日本はその逆に、白船がやって来たら友好キャンペーンをいっせいに開始したんだそうです。



朝日新聞は「米艦歓迎英語会話」欄を設け、アメリカ海兵隊員がうろうろ迷っていたら、どういうふうに声をかけるかというような英会話のマニュアルを載せたり。


別の新聞では一面に「米国艦隊万歳万歳」と書き、アメリカに媚を売り、二面には日本国民へ向けて粗相のないよう説教調で注意を促したそうだ。


入港した横浜は黒山の人だかり。子ども達は小旗を振り、女子は菊の花束を持ちつつ万歳万歳を連呼し歓迎。花火2400発を打ち上げ、街中は提灯飾りを作るなどの趣向を凝らして歓迎。


新橋駅のホームでは列車が到着すると、千名もの小学生が「星条旗は永遠なれ」を歌ったとか。(笑)
天皇謁見や園遊会や晩餐会の歓迎式典でもてなし、アメリカに対する卑屈なまでの迎合作戦を繰り広げたのだそうだ。



明治政府には、こんな外交手腕のある政治家がいたんですねぇ。


アメリカは拍子抜けしたでしょうね。





日本中を興奮させた白船が立ち去ってから2週間後に、日本の連合艦隊は、九州の東南沖で大演習を行ったという。


艦隊を三班に分け、一班を奄美大島を占領したアメリカ軍と仮想し、二班三班はこれを迎え撃つ体制をとらせたそうだ。実践さながらの訓練だったという。もちろん、この事実はまったく伏せられていた



それから35年くらいのちに、あの戦争へと突入して行くわけで・・・・・



明日、山本五十六の映画見てきます。








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最終更新日  2011.12.23 01:21:49
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