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2004/04/13(火)14:38

intention(意思)とpatience(忍耐)

Homeopathy(28)

昨日の食にも関連しますが、意思(intention)は、人として生きていると、なんらかの行動をするとき、実はとても重要と考えています。食事ひとつにしても、どういう思いで食事をいただくのか、どういう思いで作られた食事をいただけるのか、ということが、その食事を伝わって、エネルギーとして身体にはいってきますね。 病気のときに医療を受けるという、行動をおこすときにも、その意思は重要と考えています。現代の医療にしても、代替補完医療にしても同じでしょう。どういう風に考えて、その医療を選択して、それをどういう意思で受け止めて、行動に移していくかが、そのインテンションが、エネルギーとなて、身体に影響していると思います。 人にある医療をすすめる場合、あるいは勧められる場合、そのインテンションに関わるので、それを十分に考慮する必要があると感じています。ある人にこういう医療もあると進める場合、勧めた人自身がどういう人であるか、その人とどういう人間関係にあるのか、どのような勧め方か、どういう風にそれを相手が受け止めるか、そしてどのようにその進めを活かすか、はとても微妙なインテンションの働きがおこっているように思います。 精神科の外来では特に初診では、その受診動機をとても重要視しますが、一般内科の外来ではあまりその辺は素通りかもしれないですね。でも、実際には医療者も人間なので、サブコンシャスのレベルで関連しているとも思います。 本人が医療を必要ないとおもっている場合に勧めるのはとても困難です。なにか目的でもって、治りたい、楽になりたいと望むその意思が、医療を求める原動力になるのでしょうか。 当人がアンテナを張り巡らしていると、以外とスムーズですね。ある程度、自分でいろいろな情報を吸収しようとしているばありは、以外と簡単に紹介ができます。また、こんな人もいます。何らかの病気というレッテルを、例えば医師に貼られてしまって、あるいは自分でも張ってしまっていて、ある考えに固執してしまっていると、それ以上の進展を望むことが難しかったりします。 今の世の中には、代替医療の選択肢がだいぶ増えてきましたが、その選択と、あるいは他者からの紹介、他者への紹介というところで、とても難しいハードルを感じることが多々あります。 健康という基準と病気という状態との違いというのは、自信の不快感とも関連しているのでしょうが、其の人々で閾値もぜんぜんちがいますね。健康とはなに?病気ってなに?となるとこれまたとても長くなる話題なので、また改めます。病の意味という分野は医療人類学の分野でかなり研究されていましたが、エナジェティックヒーリングの見方では、体の不調は体からのメッセージで、なんらかのサインを体がだしてきていることに、その人に気付きをあたえてくれる、そのひとつの過程とも理解できます。 人が病気あるいは怪我をしたという状況で、その病気ところのみや、怪我の場所のみでなく、その奥にかくされた、その人からのメッセージを読み取ることができたら、その病気をケガをひとつの手段として人間として成長できるのかもしれません。 それへの対処の方法も、さまざまな選択肢から選んでいくことも可能になってきます。それをメッセージと気付く段階から、その治癒の始まりともいえるかもしれません。 さて、ホメオパシーのレメディーを飲み始めると、根本体質?、その人が所持している、生まれてからの、あるいは生まれる前の胎児の頃からの、さまざまな体験から生じている、エネルギーのブロックや抑圧が、からだの表面へあらわれて、それをメッセージとて伝えてくることに気付くことがあります。 ということも踏まえると、まだホメオパシーの勉強を始めたばかりですが、ホメオパシーはとてもすばらしいと万人に紹介するのには、ちょっと躊躇してしまうところがあります。ホメオパシーの治療では、患者として忍耐力が非常にいります。からだのメッセージを受け止めてそれに対処していくことへの忍耐力でしょうか。自分の状態を、それを自分自身のものと受け止めて、真っ向からその状態に付き合っていく、忍耐力ともいえます。急性期の治療では、忍耐などなくても、劇的な効果を期待できますが、慢性のさまざまな問題はさまざまな問題を人として生まれてからかかえていますので、それと付き合っていくのに忍耐がいります。 ジョージ・ヴィトルカスというクラッシック・ホメオパシーのリバイバルを精力的にされているホメオパスの本で、この患者としての、忍耐について記載されている章がありました。 医療にかんして、そのインテンション(意思)とペイシェンス(忍耐)が、今日のキーワードです。 現代人の忍耐力のなさから、ホメオパシーを敬遠して、アロパシーへと走るという考え方もできるくらいです。ちょっと極端な言い方になってしまいましたが。忍耐さえあれば、ホメオパシーのレメディーが、一枚二枚とその人の皮をはいでいくように、だんだんとその人の本質へ入っていけるような気がしています。

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